最終話 青
拝啓
暦の上では秋とはいえども、まだまだ暑さを感じる日々が続いております。貴方はそんなことも気にせずに、どこかで自由に過ごしているのでしょうか。
やっぱり、おかしく感じるわね。
貴方には会ったことがなかったけれど、貴方は私なんでしょう?
だから、貴方が先にわたしを一番わかってると言っていたこと、いつまでも強く覚えているの。
私だって、貴方のことは他人だなんて思えない。
だから、畏まった書き方はやめてしまうわね。
今日はシレーヌ、貴方に手紙を書くことにしたの。
今更とも思うでしょう。
けれど、当時の私は自分の置かれた状況について行くことで、一杯一杯だったわ。
少し時間が掛かりすぎてしまったけれど、私はもう前を向いて生きていける。
どれもこれも、貴方たちのおかげよ。
警察のお世話になった後は、お父さんの仕事の都合で東京の高校に進学したわ。
施設に入ったお母さんとは、最近になって初めて面会をしたのよ。
やっぱり、全てを許すことはできなかったけれど、私を見て『青』と呼んでくれた時は、思わず泣きそうになってしまった。
高校生の間、ゆきとは離れてしまったけれど、電車で会える距離だったから、お互いの中間地点でよく遊んだわね。
彼女は去年の冬くらいにバッサリ髪を切っていたわ。
ふざけて、失恋?なんて聞いたら、苦虫を噛み潰したような顔をしていたの。
周りにもさんざん言われたそうで、憤っていたわね。
とにかく、恋愛が理由じゃないみたい。
ごめんなさい、貴方はゆきのことは知らなかったかしら。
けれど、私は素敵な友人のおかげで楽しく過ごせていることを伝えたかったのよ。
それから、最近になって私も、この街に戻ってきたの。
私、大学生になったのよ。貴方の大好きな海が見えるこの場所で、一人暮らしを始めたわ。
貴方が私を救ってくれてから、もう4年も経ってしまった。時の流れは早いわね。
これまでの人生の中で、この4年間が一番早く感じるもの。
現実逃避をしていたころの私は、苦痛を耐える為だけに生きているようなものだった。
一番大切だと思っていた碧ちゃんが亡くなって、お父さんとお母さんと過ごす家族の形も無くなった。
日に日におかしくなっていく母に恐怖を覚えたのは事実だけれど、それをどうこうしようだなんて思えなかった。
私の中には、諦める選択肢しかなかったのよ。
きっと、碧ちゃんへの罪悪感も理由の一つでしょうね。
あの日、碧ちゃんが崖から転落死したことを貴方も知っているでしょう。
原因を作ったのは私なのよ。
碧ちゃんが亡くなる数日前、彼女は夕方になると、私を置いてどこかに出かけ始めた。
私と碧ちゃんとは年齢が1歳しか離れていなかったものだから、姉妹というより友達のような関係性に近かったわ。だから、何かするときはいつも一緒に過ごしていたの。
引っ込み思案な私の手を取って、彼女の目から見える自由な世界を私に半分与えてくれた。
だからこそ、仲間外れにされたようで悔しかったのよね。
そこで私は、碧ちゃんの興味を引ける何かを見つけ出そうと思って、そこらを中を駆けまわったわ。
この街を探検していくうちに、海の良く見える公園を見つけたのよ。
とてもきれいな景色で、すぐに目を奪われた。
碧ちゃんも気に入るだろうと思って、次の日には彼女を呼んだわ。
それが間違いだったのね。
彼女がこの景色を見た瞬間、すごく気に入ったのが分かったの。
よかったと安心したのもつかの間、好奇心旺盛な彼女はもっと近くで海を見ようと身を乗り出していた。
碧ちゃんと叫んだ時にはもう、彼女は私の視界から姿を消していた。
助けようと思って崖下をのぞき込み、絶望したわ。
今でも鮮明に思い出せてしまうけれど、わざわざ手紙に書く描写ではないわね。
小学生の私にはショックが大きすぎて、しばらく腰を抜かしていた。
そうこうしているうちに救急車やら警察やらが駆けつけてきたみたいだけれど、私は動けなかったの。
結局、警察が現場に訪れるまで、私はずっと固まったまま。
今でも後悔しているし、きっと私は一生悔やみ続ける。
でも、人生を全て諦めたわけではないの。
『未来をちゃんと見て』
貴方が言ってくれた言葉よ。
私は碧ちゃんのことを忘れることも、無かったことにすることもできないけれど、後悔を抱えて生きていく決心がついた。
だから今日、初めてあの場所へ向かおうと思うの。
ねえ、シレーヌ。
貴方はもう一人の私。
貴方が私の中に居た事実は、変わらないと思ってるわ。
でも、不思議で仕方がない。
貴方は本当に私が創り出した存在なのかしら?
あれから解離性同一症について、自分でも色々と調べてみたのよ。
私と貴方ように自己の認識が分かれていて、なおかつ活動時間も長い場合を考えると、どう考えても重症の部類に入るわ。
それに、こういった症状には長期の治療が必要だとも書いてあったの。
貴方がすんなりと私の中から消えてしまったことも、意思をもってそれを行ったことも。
全てが不自然に、綺麗にまとまりすぎている。そんな気がするのよね。
それに、凛久さんから聞いた最後の言葉……
『大丈夫、これからもシレーヌが守ってあげる!』
そのセリフには、聞き覚えがあるの。
何かがあって落ち込む度に、彼女は私に向かっていつも、その言葉をかけてくれていたわ。
シレーヌごっこにのめり込んでからは、一人称が変わってしまったけれどね。
ねえ、シレーヌ。
貴方、本当はもしかして……
「ちょっと凛久さん! シレーヌへの手紙を勝手に読むのは……!!」
顔を真っ赤にした青が、俺の下で元気に跳ねていた。
あれから結構背が伸びたものだから、俺が頭の上に掲げて読んでいる手紙には、青の手が届かないようだった。
「ああ、もうちょっとで終わるから」
「そんな!! もうやめて頂戴……」
羞恥の感情を顔に出して、泣きそうになる青の姿を見て、さすがに可哀そうになってきた。
続きが気になるものの、渋々俺は手紙を引き渡した。
青はムッとしたまま俺から手紙を受け取ると、公園の奥にある白い柵の前に、花と一緒にそれを添えた。
宛先が違うんじゃないかと声をかけたが、彼女は断固として譲らなかった。
今日は八月二十八日。
碧の命日だ。
こちらで一人暮らしを始めた青は、俺の大学の後輩となった。
キャンパス内で偶然の再会を果たした俺たちの縁は、何気に夏まで続いていた。
毎年この日は、上浜と一緒に碧の事故現場に向かっていたため、何気なく青も誘ってみた。
青は少し驚いたように目を見開くと、少しの間悩んだ末に頷いてくれたんだ。
さて、もうすぐ上浜も来るはずだが……
「凛久! 青ちゃんも久しぶり!」
ぶんぶん腕を振り回しながら駆けてくる上浜は、俺以上に身長が伸び、いい具合にモテそうな筋肉がついていた。まあ、実際こいつはモテる。
上浜は家から一時間近くかけた場所にある東京の大学まで、足しげく通っている。
ちなみに、体育会に入ったせいで単位はギリギリだ。たまに泣きついてくるが、学部も違う今は勉強を教えようがない。
「薫さん、久しぶりね! この前はありがとう」
「ああ、気にすんなって! 結葵が俺を足にするのはいつものことだしな」
上浜と青は、上浜妹づてで、交流があるようだった。
そういえば、こないだもラーメン食ってる最中に車で来いと呼び出されていたな……
俺に妹が居なくてよかった。
上浜は青との会話を終えると、俺の肩に日に焼けた腕を乗せてきた。筋肉が重い。
「そういや、凛久はどうよ。学校の先生になるんだろ?」
そう、俺は今、数学教師になるべく大学に通っている。
嘘から出た誠とでも言おうか。あの時、青に対して咄嗟についた嘘が、本当になってしまった。
父さんは俺の夢を聞くと、少し寂しそうな顔をしながらも、応援すると認めてくれていた。
学部の単位に加えて教職の単位を取るとなるため、忙しさは感じるものの、やりがいはある。
「大変だけど、楽しいよ」
「そうか! にしてもあの凛久が先生とか想像つかねぇな」
屈託のない笑みで笑う上浜の様子に、嫌味なのか、単にそのまま口にしただけなのか判断ができずに顔をしかめる。
「なんだよ、応援してるって意味だよ!」
「変なとこ分かりにくいよな、お前」
呆れたように口に出すと、青がクスクスと笑った。
なんだか、シレーヌとのやり取りを思い出す。
懐かしさを感じて、俺も笑ってしまった。
*
一通り話を終えた後、俺たちは事故現場に向き直って手を合わせた。
あたりには蝉しぐれの音だけが響いている。
長い黙とうの末、ようやく青が目を見開くと、少しの逡巡を挟んだ後に口を開いた。
「ねえ二人とも、ここで歌を歌ってもいいかしら」
「歌?」
突拍子も無い青の提案に、思わず言葉を尋ね返す。
「そうよ、歌」
青はゆったりと微笑むと、俺たちの言葉を待つことなく、歌い始めた。
Partir,c'est mourir un peu,
C'est mourir à ce qu'on aime:
On laisse un peu de soi-même
En toute heure et dans tout lieu.
美しい旋律があたりに広がっていく。
俺は、この歌を知っていた。
いつかのシレーヌが、海で歌っていたあの曲だ。
どこか寂しさを感じるような、切ない歌。
青の歌はもちろん綺麗だったけれど、シレーヌの歌声とはどこか違うように感じた。
この歌が歌い終わる頃には、あれ程うるさかった蝉の鳴き声も静まり、静けさが戻っていた。
「これは、父の国の歌なのよ。碧ちゃんともよく歌ってたの。だから、贈ろうと思って」
ただただ、歌声に吞まれていた俺たちを現実に引き戻す様に、青が口を開く。
「何かの映画で使われた曲らしいわね。曲名はたしか、『別れの歌』だったと思うわ」
「フランスの歌か」
上浜が口を開いた。
「薫さん、貴方和訳できるの?」
「いいや、授業で少しかじってるだけ。単語単語しか聞き取れなかったし……ってか青ちゃんが教えてくれよ!」
「実は、私もどういう意味なのか分からないのよね。ハーフだけれど、日本語しか話せないの」
二人は俺の目の前で、顔を合わせて項垂れていた。
俺は軽くため息をついてから、スマホをいじり出す。
「……別れ、それは死ぬことだ。ほんのわずかに」
俺の声に反応した二人は、輝いた眼でこちらを見つめ返した。
「それは死ぬことなのだ。愛するものにとっては」
二人は首をそろえて続きを待っていた。
「人は残していく。自らの一部を」
「どんな時も。どんなところにも」
俺の翻訳が終わったと同時に、上浜が詰め寄ってきた。
「凛久、お前フランス語も話せるのか? 凄いな!!」
「いや、サイトに載ってたから。ほら」
俺はスマホを上浜の方へ向けて、歌詞サイトのページを突き付ける。
上浜は目の輝きを半分なくすと、がっかりしたような顔で俺を見つめた。
口に出されるよりムカつくな。自分も分かんなかったくせに。
俺は、その歌詞を読みながらシレーヌと別れたあの日のことを考えていた。
『大丈夫、これからもシレーヌが守ってあげる!』
あの言葉が、ずっと違和感に残っていた。
探るような気持ちで青にも伝えてみたのだが……
やはり、不思議に思っていたと手紙に書いてあったのだ。
あの言葉から連想されるのは、
神谷碧
青の姉、そして俺が初めて出会ったシレーヌの存在だ。
馬鹿げた話になってしまうことを重々承知で言おう。
俺たちが出会ったシレーヌは、青の創り出したもう一つの人格などではなくて、
青を心配した碧が残した魂の一部ではないかと。
まあ、どう考えても非現実的だ。
例え事実だとしても、シレーヌ本人すら気づいてないのかもしれない。
結局、彼女の正体は闇に包まれたままなのだ。
あの夏の日々、真夜中の海で笑う彼女の姿が頭に浮かぶ。
この仮説を彼女にでも話せば
「さあ、どちらかしら」
と悪戯に微笑むのだろう。
「おい凛久、聞こえてるか? 考えると周りが聞こえなくなる癖も相変わらずだな」
上浜がくしゃくしゃと俺の頭をかき回す。その手を俺が払いのけた。
二人で地味な攻防を続けていると、青がこちらへと駆けてくる。
「ねえ、この後久々に、あそこのファミレスへ行きましょうよ!」
「懐かしいな、あの店舗のポテトが上手いんだよな」
「チェーンだからどこでも同じ味だろ」
「フッ わかってねえな……あそこはなんかこう……そう! 青春の味がするんだよ」
「それこそわけわかんねぇわ」
「なんだと?」
「ふふふっ」
これは『人魚姫が泡になるまで』の物語。
その終わりとこれからの未来の話。
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泡沫の人魚姫 最終話
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泡沫の人魚姫 藍色 @aimizin
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