04 糸 普通 生きる目的

 窓の外は雨が降っていた。私は雨宿りで入った喫茶店で窓の外を眺めている。雨足が強くなってきたせいか店内の人は少しずつ増えてきているようだった。

「糸。これからどうする?」

「そうねぇ」

 イヤホンから聞こえてくるシュワルツからの質問に頬杖を着きながら生返事で答えた。これからどうするか。考えなければいけないことなのだろうが思考は全然纏まっていなかった。

 あの研究所を出てからはや数ヶ月がたった。そのなかで様々な人々に会ってきたが、未だに私は自分の生きる目的を見つけることが出来ないでいる。目的も見つからない為、次にどうしようかと問われても何も思い付かなかった。

 既に氷が溶け始めたカフェオレを飲みながら窓の外の雨の軌跡を何とはなしに見つめ続ける。甘くて美味しい。以前はコーヒーしか選択肢が無かったので初めてだったが正解だった。甘味もあるのだがさっぱりしていてとても飲みやすい。

「あの、お客様。少しよろしいでしょうか?」

 気だるげにカフェオレを飲んでいると店員さんから声をかけられた。急に声をかけられたものだからマナーが悪かっただろうかと身構えてしまう。

「は、はい。何かありましたか?」

 つい返事が詰まってしまった。

「はい。申し訳ありませんが相席をお願いしてできませんか? お客様と年齢もそう変わらない女性の方なのですが」

 しかし告げられたのはただの相席の確認だった。雨足が強くなるに連れて、店内の客入りが多くなってきているのは先程も思ったが満員に近くなってしまったようだった。

「あぁ、なるほど。構いませんよ」

「ありがとうございます」

 深い一礼と共に店員さんがお礼を告げて下がっていく。こちらとしても雨宿りで利用させてもらっているのだからその辺りは別に構わなかった。おそらく相手も雨宿りが目的であろうし。念のためシュワルツとの会話は避けた方が良いだろう。

「シュワルツ」

「あぁ、分かっている。一旦研究所の方の情報を集めてくる。何かあったら画面を二回タップしてくれ」

「了解。ありがとう」

 短く返事を返すとシュワルツは黙る。スマートウォッチも見かけ上は普通の物であるし問題は無い。

「わ、めっちゃ美少女!」

「?」

 ふと、近くで声が上がったので視線を向けると目の前に女性が立っていた。年の頃は二十歳はいっていないだろう。僅かに幼さの残る顔立ちで高校生位だろうかと想像がついた。髪は黒色であるが服やマニキュア等は明るい色で纏められている。けれど派手すぎる様子もなく傍目から見ても可愛らしい、という感じで似合っていた。おしゃれをして何処かに出かける途中なのだろうか。

というかその女性は明らかにこちらを見つめていた。

「あの、私の事?」

 おそらくこの女性は私に声をかけたのだろう。美少女、というのだから誉められたのだろうか。こちらからも返事をしてみた。

「あ、すいません。急に変な事言っちゃって」

 こちらから声をかけると不味いという風に萎縮して謝ってくる。

「いえ、誉められたのでしょう? ありがとね」

「す、すいません。相席になるとは聞いてたんですけどまさかこんな綺麗な人だとは思わなくて」

 そうして相手の女性はこちらに謝りながら、そして誉めながら私の向かいの席に座る。とても器用な事をしていた。

「いえ、お化粧なんかは最近勉強したばかりでね。教えてくれた人がとても良かったの」

「え、それで? 凄いなぁ。私なんて初めての時は友達に大爆笑されましたよ。恥ずかしかったなぁ」

 今度はにこやかに笑いながら返答してくる女性。先程からコロコロと表情がよく変わりとても魅力的だった。ついこちらも笑顔になる。

「あ、私夜久明音って言います。高校生です」

「あぁ、私は九十九糸。よろしくね」

「はい」

 明音さんといった少女がそのまま自己紹介してくる。まだ自己紹介の癖がついていないものだからつい受け身になってしまった。彼女のように出来るのが理想なのだろうが。なかなか難しい。

「んー」

 そんな彼女はメニュー表に視線を落とし、眉を寄せていた。どうやら何を頼むか悩んでいるらしい。

「け、結構高い……」

 いや、どうやら気になっているのは種類より値段の方らしい。表情は冷や汗でも垂れそうなほど強張っていた。高校生と言っていたし使えるお金も限られるのだろう。

 彼女は視線を私の飲み物に向けてきた。

「あぁ、これ? カフェオレ。美味しいわよ」

「あ、じゃあ私もそれにします」

 どうやらカフェオレは大丈夫な範囲だったらしい。店員さんに注文を告げていた。

「もしかして明音さんも雨宿り?」

 注文を終えた彼女にこちらから声をかけてみる。とりあえず初対面の話題は天気が良いというのを何処かで見たので実践してみた。

「はい、そうですそうです。友達と遊ぶ約束してたんですけど、雨で友達の乗ってるバスが遅れちゃってるみたいで」

「あぁ、お友達と遊ぶ途中だったの」

 彼女がおしゃれをしていた理由に納得する。友達と会う約束をしていたからか。

「そういう糸さんもですか?」

「えぇ、ちょっとした旅行中なのだけれど、雨も強くなってきたしこれからどうしようか考えようと思って」

「えぇ!? 一人旅ってやつですか?」

 明音さんは旅行の部分に食いついてきた。

「え、えぇ。そうなるのかしら? そうは言ってもそこまで遠くには行っていないのだけれど」

「いやいや。それでも凄いですよ。私なんて県外に出たの修学旅行だけなんですから」

 修学旅行、というのがよく分からなかったが彼女はあまり遠出をしたことが無いのは理解できた。

「あの、そういえば糸さんっておいくつなんですか? 一人で旅行してるってことはもしかして成人されてたり?」

 ふと、不安げな表情をして明音さんが恐る恐る質問をしてくる。何をそんなに怯えているのだろうか。

「えと、ちょうど二十歳ね」

「え!? す、すいません!! 馴れ馴れしく話しかけちゃって!!」

 そして明音さんは私の年齢を聞くと再び恐縮して謝ってきた。

「あぁ、もしかして年齢の事? そんなに気にしなくても良いわよ。ここではお互いただのお客なんだし」

「い、いえ。最初とかもかなり失礼な事を言ってしまったんじゃないかと」

「誉めてたのでしょう? だったら悪い気はしないわ」

「あ、ありがとうございます……」

「ふふっ」

 肩を縮こまらせて謝っている明音さんがなんだかとても可愛らしく、つい笑ってしまった。本当に先程からよく表情の変わる女性だ。

「お待たせしました」

 彼女と話していると明音さんが注文していたカフェオレが運ばれていた。

「あ、こっちです。ありがとうございます」

 明音さんはカフェオレを受け取ると、ガムシロップとコーヒーフレッシュを入れて一口飲む。

「ふぅ」

「ね。美味しいでしょう?」

「あ、はい。美味しいですね」

 彼女に飲むのに合わせてこちらも一口飲む。こちらは氷が溶けて僅かに薄くなっていたがそれでもスッキリと飲みやすい。

「あの、糸さんはどうして一人旅をしてるんですか」

「え?」

 明音さんは喉を潤すとそんな質問をしてきた。

「き、急にすいません。けど一人旅って大変じゃないです? 私には一人旅なんて考えられなくて。どうしてなんだろう、って」

「目的、ね」

「は、はい。どうして一人旅をしようと思ったのかな、って」

 彼女の質問だが正直に答えるわけにはいかない。まさか私は遺伝子研究の実験体で逃げ出してるの、とは言えなかった。だからこそ、私は用意していた返答をいつものようにするだけだった。

「えと、とある研究をしててね。それで色々な場所を回ってるのよ」

「あぁ、そうなんですね」

 明音さんは私の返答に疑うことなく納得してくれた。まぁ、嘘ではないので良しとする。そしてせっかくなので彼女にも質問してみることにした。

「そうだ。貴方にも聞いてみても良いかしら」

「え、な、何をでしょうか?」

 私の言葉に彼女は体を面白いに強張らせる。そんな緊張をほぐすように私は笑顔で話始めた。

「そんなに気負わなくても良いのよ。気軽に答えてくれて良いから」

「は、はい」

 けれどまだ彼女の緊張は解けない。顔は真剣だ。そんな真面目な少女に私は少し苦笑いを浮かべながら質問を行う。

「私の研究はね。貴方の生きる目的はなんですか、なの」

「え? 生きる目的、ですか?」

「そう。とは言っても無理に答えなくても良いわよ。人によっては答えづらいかもしれないでしょうし」

「生きる目的、生きる目的」

 私の後の言葉を聞いてか聞かずか彼女は真剣に悩み始める。答えるかどうかそんなに悩むのなら無理に答えなくても良いのだが、とは思うがあまりに真剣なので声がかけづらい。 けれど無理に聞き出すのは本意では無いのでさすがに声をかけることにした。

「あの明音さん? 言いづらいのなら言わなくても良いのよ?」

「え? あぁ、いやそうじゃなくて」

 そうじゃなくて、とはどういうことだろうか。どうやら彼女は生きる目的を話すかどうか悩んでいるのでは無いらしい。ならば何をそんなに悩んでいるのだろう。

「えと、すいません。考えてみたんですけど思い付かなくて」

「え?」

 そして返ってきた彼女の答えがあまりに予想外な物だったからつい声を出してしまう。

「す、すいません。役に立たなくて。けど、生きる目的かぁ。なんだろなぁ」

「はぁ、えと、無いの?」

「うぅ、本当にごめんなさい」

「い、いえ。謝る事じゃないのよ? どう答えようとも自由だから」

 必死に彼女のフォローを行うが頭の私の頭の中は困惑していた。しかし生きる目的が無いとはどういう事なのだろう。

「んー。年末に友達とライブに行く約束してるからそれまでは死ねないなぁ。今度の映画でも初主題歌歌ってるからそれも見たいし。けどそれが終わったら死ぬかと言われればそんな訳無いし。来年は来年でやりたいこと出来るだろうしなぁ」

 そういって明音さんはやりたい事を列挙していく。それは確かに今年にも達成できることだろう。彼女の言わんとしている事も理解できた。

「あのー、死にたくないから生きてる、とかじゃやっぱりダメですかね?」

 そうして最後には明音さんは体を小さくしてこちらを見上げてきた。その表情は先にもまして不安そうだ。

「ふっ、ふふ」

 その返答に失礼とはいえ私は笑い声を上げてしまう。

「ご、こめんなさいね。けど、そう。そうか。そうよね」

「やっぱりおかしいですかね? けどなぁ。そんな大層な目的なんて無いからなぁ」

 明音さんは私の様子を見て落胆したように呟く。けれど私はむしろ彼女を抱き締めたかった。

「いえ。むしろ助かったわ。そうか。別に目的なんて無くても生きていたいからでいいのよね」

「糸さん?」

 私の様子を見て明音さんは不安そうに声をだす。けれど私の心はむしろ晴れ晴れとしていた。

「明音さん。ありがとう。私は考えすぎてたみたい」

「は、はぁ。お役に立てたなら良かったですけど」

 彼女は私の変化に困惑しているようだった。さすがに此方の話題に引き込み過ぎたと思う。このままでは私は急に笑いだした危ない人だ。とりあえず話を変えよう我に返り、先程の彼女の話を引き出してみる。

「ねぇ、さっき言ってたライブの話を聞かせてくれない? 貴方の生きる目的になっているのでしょう?」

 少し冗談めかして彼女に話を振ってみた。

「それなら任せて下さい!! まずは始まりはネット投稿からでーー」

 そして彼女は生き生きと好きな音楽について熱弁してくれた。のべつまくなしに捲し立てる彼女の熱量にすこし面食らってしまったが、これもこちらから話題を振ったからと最後まで付き合う事にする。というかあるじゃないか生きる目的。

 きっと誰しもそんな感じなのだろう。きっと何だって良いのだ。生きたいから生きてても良いのだ。そして彼女のように何かを見つけて、次々に生きる目的にを見つければよいのだ。


「で、この前のライブが凄かったんですよ。もうこんなライブあるんだってびっくりしちゃって!!」

「そ、そうなの」

 とはいえ30分も喋り続けられるとさすがに堪えてくる。いや、ほんと彼女の熱量は凄かった。さっきからカフェオレに手を着けずスマホでミュージックビデオなどを片手に喋り続けているため氷が溶けてしまっている。凄い。本当にそれしか言葉が出てこなかった。

 しかしそんな彼女の手に持っているスマホから通知音が鳴り響いた。

「あ。幸來からだ」

 どうやら件の友達かららしい。少しホッとした。ひと段落着くようだった。

「こっちに着いたの? 良かったわね」

 外を眺めてみると未だに曇っているもののいつの間にか雨は止んでいる。

「すいません。私、喋ってばかりで」

「いいのよ。私も暇してたし」

 気にしないで、とばかりに返答をする。しかし少しばかり彼女の勢いに押されてしまったのは内緒だ。

「何処で合流するの?」

「あ、このままここで待とうと思います」

「そうなの」

 私は残ったカフェオレを飲み干すと彼女の分の伝票も合わせて持って立ち上がる。

「え!? あ、あの」

「いいからいいから。楽しい話をしてもらったお礼よ。この後友達と遊ぶのでしょう? そこでお金は使いなさいな」

 私に手を伸ばそうとした彼女を手で制する。

「でも……」

「いいの。とはいっても私が稼いだお金では無いのだけれど」

 申し訳なさそうな彼女に言葉を重ねる。ここで私の稼いだお金だったらより格好着いたのだろうが。こればかりはしょうがなかった。

「さようなら、明音さん。機会があればまた会いましょう」

「は、はい。お金、ありがとうございます。さようなら、糸さん」


 外に出ると雲は未だに厚く、晴れ間は見れない。けれどもう出発は出来るだろう。雨は止んだのだ。また降ってきたら何処かでまた雨宿りでもすればよいだろう。

「シュワルツ」

 シュワルツに声をかけ、画面を二回タップする。

「ふむ。糸よ。店を出たのか。それでこれからどうするか決まったのか?」

「えぇ、とりあえずはね」

 先程の明音さんの話を聞いてから私のしたいこととは何かと考えた。1つの思い付いたことがあったのだ。

「では何処に行こうか?」

「それなんだけどね。シュワルツこれからの季節に美味しい物って何かしら?」

「ふむ?」

 私の質問にシュワルツが怪訝そうな声を返す。行き先を聞いて料理の質問が返って来たらそうなるだろう。

「そうだな。これからは気温が下がってくるだろうから鍋など温かい食べ物だろうか。あとは近くの百貨店では北海道市なるものがやっているようだ」

 しかしそんな私の妙な質問にもシュワルツは律儀に返してくれる。そして興味を引かれる言葉が出てきた。

「北海道市って?」

「北海道の特産品や名物を集めた期間限定の販売らしい。広大な農地を利用した酪農品や豊富な海産物などが人気らしいな」

「そう、なるほどね」

 酪農や海産。どちらも余り気にしてこなかったものだ。

「興味があるなら案内しよう。少し早いが夕食にでも」

「あぁ、いやシュワルツ。その必要は無いわ」

 シュワルツの申し出はせっかくのものだが断ることにした。それよりもよいことを思い付いたから。

「では、どうする? 行き先を決めなければ」

「北海道に行きましょう」

「……なんだと?」

 私の言葉に珍しくシュワルツが言葉を詰まらせて返答してきた。珍しい事なのですこし面白い。

「だから目的地よ。北海道にしましょう」

「構まわないが。移動方法はどうする?」

「そうねぇ。時間もあるしのんびり行きましょう。新幹線と飛行機以外にしましょうか」

 せっかくなら色々な所を見て回りたかった。ここから北海道までいくつの県を跨ぐのだろうか。そのどれもがきっと未知の体験だ。

「糸よ。先程の喫茶店で何かあったのか?」

 シュワルツは私の様子をおかしく思ったらしい。質問の意図も理解できた。

「そうね。とりあえず移動しながら話すわ」

 私は自分が笑みを浮かべているのを自覚しながら歩き出す。どう話せばシュワルツを納得させられるだろうか。生きる目的など無くても良いことに気づいたなど。ちょっと予想が付かない。けれどシュワルツとならそんなすれ違った会話でも良い気がした。どうせ長い時間があるのだ。きっと最後にはお互いにそれぞれ気付くだろう。

「さ、行きましょ、シュワルツ」

「了解した。目的地は北海道だな」

 そして自分の興味があるものを辿っていけばきっと見つかる筈だ。私の有っても無くても良い生きる目的が。

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人工少女は現実の中で「生きる目的」という夢を見るか。 @asia_narahara

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