望みの形

黒澤伊織

望みの形



「じゃあ、次はどこを切り落とそうか」

 自分の背丈ほどもある、大きな鋏を持って、少年は事もなげにそう言った。

「ママは暴れるなって言ったんだよね? 机を叩いたり、教科書を投げたりするなって」

「うん」

 奏太は素直に頷いた。その目尻から、涙の粒がゆっくり膨れ上がった。

「ぼく、どうしても駄目なんだ。ママの言うことを聞かないとって思ってるのに、ここではそう思えるのに、目が覚めると何もかもが嫌になっちゃって、どうしてもママと喧嘩しちゃう」

「分かってるよ」

 少年は慰めるように、奏太の肩に手を置いた。

「だから、ぼくが手伝ってる。そうだろ?」

「うん」

 ぽろり、涙が太ももの辺りに落ちた。正確に言えば、もし、奏太に太ももがあれば、その上に落ちただろうと思われる場所に。

 つまり、奏太には太ももがなかった。太ももだけでなく、膝も、脛も、つま先も——要するに、奏太の足は根元から切り落とされ、両足とも失われていたのだ。

 切り落としたのは、もちろん少年だった。その大きな鋏を軽々と開き、まるで伸びすぎた枝でも切るように、易々と。その日、奏太が泣きながら、ママに逃げるなと言われたと、ぼくも逃げたくないのに勝手に足が逃げるんだと、そう言ったから。

 無論、これは現実でなく、奏太の夢の中だった。少年も、その大きな鋏も、失われた奏太の両足も、ましてや奏太自身の素直さも、夢の中であるからこそで、どれも現実ではないのだった。

「大丈夫だから、泣くなって」

 少年が奏太の隣に腰掛ける。

 夢から覚めた現実で、奏太は小学校六年生、中学受験に向けて、猛勉強をしているところだった。いや、これも正確に言うのなら、そうしたいと思っている、というところか。四年生の時から始まった塾通い、しかし奏太の成績は芳しくなく、どう頑張っても偏差値は中の中、平均を超えることもなく、そのまま二年の月日が経ち、「勉強しなさい!」「したくない!」「塾に行くって約束したでしょ!」

「もう行きたくない!」と、その間、奏太とママは喧嘩ばかり、暴れる奏太に怒鳴るママというその構図は、いつしか日常になりつつあった。

 奏太が夢を見るようになったのは、そんな日々の合間だった。広い世界に、ぽつんと一人で立ち尽くす夢。そう、初め、少年の姿はそこになく、腰掛けるためのベンチも、いまは少年が鋏を使うときに必要な、病院の手術室にあるような白いベッドも、その他も何もなかったのだ。

 ただ、奏太は一人きり。教科書も問題集もないから、勉強しなくて構わないし、塾もないので行かなくていい。怒るママも、うるさい妹も弟も——パパはいつも仕事でいないけれど——誰もいない、奏太は自分の好きなようにしていいのだ。

 最初はそれでもいいと思えた。けれど、次第に奏太は恐ろしくなった。この世界の広さが、そこでたった一人だという事実が、そこで初めて奏太はいつもママが言っていることを、きちんと理解したのだった。すなわち、「ママは奏太のためを思って怒ってるんだからね」。

 その瞬間、奏太は自分でも信じられないくらい素直な気持ちになって、このままじゃいけないと強く思ったのだった。勉強はしなくちゃいけないし、だから塾にも行かなきゃいけない、偏差値を上げて、ママが選んでくれた良い中学へ入らなくちゃいけない。それなのにどうだろう、奏太と来たら、わがままばかり、ママが怒るのも当然だ。

 しかし、夢の中ではそう思ったというのに、目が覚めれば、奏太は今日も勉強しなくちゃいけないのかとうんざりし、せっかくママが作ってくれた朝ご飯も残して、憂鬱な気持ちで学校に行き、塾へ送ってくれるママの車の中で「行かない、行きたくない」と繰り返した。そうすれば、ママは怒って、逃げようとする塾に奏太を押し込んで、遅い晩ご飯の後、塾と学校の宿題を机の上に、二人は寝るまで怒鳴り合っているのだった。けれど、一度眠りにつけば、再び奏太は夢の中、素直な気持ちで悲しくなって、どうして起きている間はこんな気持ちでいられないんだろう、良い子でいられないんだろうと、ママに謝りたい気持ちで一杯になるのだった。

 少年が現れたのは、その頃だ。

 大きな鋏を手にした少年は、奏太一人きりの世界に突然現れて、奏太の話を聞いてくれた。いや、この夢の中で「ぼくは悪い子だ」「どうやったらママと喧嘩しないで済むんだろう」と苦しむ奏太の傍らに、気がついたらいたのかもしれない。

 夢の中のことだから、その辺りはあやふやだった。けれど、同時に夢の中にしては、はっきりと確かな部分もあった。それはすべてを吐き出した奏太に、少年が提案したことだった——「ねえ、君、見ての通り、ぼくはこの大きな鋏を持っている。この大きな鋏で、君の悪い部分をすべて切り落としてしまうってのはどうかな?」

 これが現実ならば、奏太も驚き、その場から逃げ出したかもしれない。けれど、何度も言うとおり、これは夢の中で、奏太の反応も現実とは違った。

「それはいい考えだ」

 奏太は心からそう思い、どこを切り落とすべきか考えた。

「塾に行かなくちゃいけないのは分かってるんだ」

 奏太は言った。

「だけど、それがどうしても嫌で、逃げ出したくなっちゃう」

「そうか」

 少年は思案してから、頷いた。

「じゃあ、悪いのは、逃げようとする君の足だ。その足を切り落としてしまおう」

 その瞬間がとても怖かったことは否めない。けれど、奏太は勇気を持って頷き、少年の前に右足を伸ばした。

「片足だけで良いのかい?」

「多分」

 奏太が答えるや否や、少年の大きな鋏が足の付け根に触れた。ひやっと冷たいその感触に、奏太はぎゅっと目を閉じた。

「行くよ、せーの」

 じゃきん、大きな音がして、恐る恐る閉じた目を開くと、奏太の右足は跡形もなく消えていた。それが夢であるからか、切り口からは一滴の血も流れておらず、切り取られた足も、ただマネキンのそれのように、ごろんと転がっているだけだ。

「これならママから逃げ出せない」

 少年はにこにこして言った。

「よかったね」

「うん、よかった。本当に……」

 安堵に、奏太は眠くなり、次に目を覚ますと、それは現実の朝だった。すぐに夢を思い出し、布団をはだけて足を見る。しかし、切り落とされたはずの右足はそこにあり、足の付け根をいくら見ても、そこには傷一つついていなかった。

「なんだ」

 奏太は少しがっかりした。けれど、そのがっかりは、その日のうちに払拭された。いつものように「塾に行くよ」とママ、逃げようとした奏太の右足は、まるで逃げるのを拒むように、動かなくなったのだ。

「すごい、すごいよ」

 夢の中、少年の姿を認めるや、奏太は興奮してそう言った。

「ぼく、今日は逃げなかったんだ。だから、ママもそれほど怒らなかった」

「それは良かった」

 少年は平然として頷いた。あの大きな鋏を携えて。

 夢で、奏太は右足がないので立っていられず、その代わりに、白いベッドに腰掛けている。

「じゃ、君の悪い部分はなくなったってことか」

 嬉しそうに、少年は言った。

「いや、それは……」

 しかし、奏太は俯いた。

「まだ、駄目なんだ。だって、ママはまだ怒ってる」

「どうして」

 促すように、少年が尋ねる。

「今日、塾のテストだったんだ。みんなで一斉にやるやつ」

「うん」

「でも、ぼく、駄目なんだよ、テストになるとお腹が痛いような気がしてきて、どうしても集中できなくなるんだ。それで家ではできた問題も、できなくなって……ママは怒る。真面目にやってないんでしょって、一度、病院に行ったけど、どこも悪くなかったし」

「なら、次に切り落とすところは決まったね」

 落ち込んだ顔の奏太とは裏腹に、少年は明るい顔で言った。

「腸だよ。腸を切っちゃえばいいんだ。あ、それとも胃かな? 二つ同時に切っても良いけど」

「胃は駄目、ご飯を食べないと、ママが怒るから」

 奏太は慌ててそう言って、

「でも、そんなにうまくいく? 腸を切り取ったら、お腹は痛くなくなるのかな?」

「なんだ、まだ疑ってるの?」

 呆れたように少年は言い、早くベッドに寝転べと、目顔で奏太を促した。シャツをまくり上げると、尖った鋏の先端が、やはり冷たく奏太に触れた。そして、それが柔らかい腹の皮膚に潜り込むとき、悪寒が奏太の背中を走った。そして——じょきん、鋏の音がして、奏太は現実で目を覚ます。パジャマをめくり、確かめてみても、もちろんそこには何の傷跡もない。しかし、効果のほうはといえば、抜群だった。次のテストの時間、奏太は腹痛を起こさなかったのだ。

 喜んだ奏太は、それからも少年の力を借り、自分の悪い部分を次々に切り落としていった。まるで庭の植木を整えるように、ゲームをしたくなる手の片方を切り落とし、鉛筆を持つ以外の指を切り落とし、トイレに行きたくならないように陰茎を切り落とし、右足を切り落としたというのに、まだ逃げようとする左足を切り落とした。

 そうして、多くの部分を切り落としたので、夢での奏太の姿は悲惨だった。胴体には頭と、右手の一本しかついておらず、その右手の指も薬指と小指は欠けている。それに頭のほうも、最近、色んな匂いが気になって集中できないと奏太が言ったので、いましがた、その鼻も切り落とされたところだった。

「いつもありがとう」

 奏太は少年に礼を言い、その三本の指で、満足そうに鼻のあった場所に触れた。

「どういたしまして」

 少年も嬉しそうにそう応え、美術品でも眺めるように、奏太の姿を矯めつ眇めつした。それから、何か言いたげな奏太に気づいて、首を傾げた。

「あのね……」

 少年を見上げ、ためらうように奏太は口を開いた。しかし、すぐに首を振り、

「やっぱりいいや」

「何だよ、言ってみろって」

 ぷっと頬を膨らませ、少年は言った。

「ぼくと、君との仲だろ? 何も隠すことなんかないじゃないか」

「違うんだ」

 奏太は慌てて首を振った。

「何も隠してなんかない。本当だよ。だって、君は——ぼくの親友だから」

 学校の友達はいる、塾の友達もいる、けれど、奏太の本当の姿を知って、それを助けてくれる友達は、少年しかいなかった。もちろん、ママのことを話せるのだって、この少年ただ一人だけだ。人に言わせれば、これはただの夢かもしれない。けれど、奏太にとって、この夢の少年は、心を開くことのできるかけがえのない友達だったのだ。

「親友か」

 そう呼ばれて、少年は嬉しそうだった。得意げ鋏を鳴らし、

「じゃあ、その親友に何でも言ってよ。ぼくにできることなら、何でもしてあげるからさ」

「じゃあ、しゃべれないようにして欲しいんだ」

 喉につかえていたものを吐き出すように、奏太は言った。

「ぼくがわがままを言わないように、騒げないように、大きな声を出せないように——もう二度と、嫌だって叫べないように」

「もちろんだよ。お安いご用さ」

 少年は奏太を安心させるように、大きく頷き、親指を喉に当てた。

「それなら、ここの、声帯ってやつを切り落としちゃえばいい。そうすれば、もう二度と声は出ないさ」

「でも」

「でも?」

 悲しそうに、奏太は目に涙を溜めて言った。

「でも、そうしたら、もう二度と君と話せなくなっちゃう、そうだろう? ぼく、それは嫌なんだ。だって、せっかくできた親友なのに……」

「奏太」

 少年が、奏太の名前を呼んだのは、これが初めてかもしれなかった。

「ぼくも奏太と話せなくなるのは寂しいよ。でも」

 少年は難しい顔をして、奏太を見た。

「でも、ママのことは? 奏太がこんなふうになったのは、全部ママのためだろ? 奏太のことを誰よりも思ってくれる、ママのため。それをやめてしまって良いのかい? せっかく悪いところを全部切り落として、ママの望みに近付けたのに」

 奏太は泣いた。少年の言葉はその通りで、奏太が考えていることの、ほとんどすべてだった。ほとんどすべてというのは、そこに少年のことが含まれていないからで、ママと少年を天秤にかけたくないという奏太の気持ちは、どこにも行き場が見つからなかった。

 少年は黙って、奏太の涙に寄り添った。けれど、それからしばらくして、奏太にはない足で立ち上がると、大きな鋏を持ち上げた。

「ねえ、嬉しいよ、奏太」

 そう言って、その喉の辺りに切っ先を突きつける。

「ぼくは嬉しい。でも、やらなくちゃ。分かるだろ?」

 ややあって、口を引き結び、真っ赤な目で奏太は頷いた。その顔には、決意の表情が宿っている。

「よし」

 少年はつぶやくと、いつものように鋏の先を喉元に差し込んだ。小さな部分である声帯に、鋏の動きはとても小さく、音もいつものじょきん、ではなく、ちょき、と小さなものだった。けれど、それだけで奏太の声はなくなった。

 かくして、奏太は不平も漏らせない体になった。塾の時間から逃げ出さず、ゲームもせず、腹痛もなく、トイレも我慢でき、集中を妨げる匂いも感じない。ママの言うとおり、黙って机に向かって勉強し、それでも偏差値は平均のまま、超えることはなかったけれど、ママと喧嘩はしなくなり、日々は平穏に過ぎていく——はずだった。

「どうしたっていうんだよ」

 再び夢の中、少年は困惑して奏太に尋ねた。今夜の奏太は声も出せないまま、唸るように、一本しかない腕を振り回し、首を振り続けているのだ。

「……!」

 奏太の目から、涙が溢れる。ぶんぶんと首が振られ、右手の、三本きりしかない指が、突き刺すように心臓を指し示す。どんどん、と胸を強く叩く。

「なに? 心臓?」

 さすがの少年も、おののいたように聞き返した。その言葉に、奏太が首を縦に何度も振る。

「だめだよ、そんな」

 少年も強く首を振った。

「君、ぼくに心臓を切り落とせって言ってるの? そんなことしたら、どうなるか分かるでしょ?」

 どんどん、それでも奏太は胸を叩く。泣きながら、出ない声で叫びながら、少年に訴えかける。心臓を、ぼくの心臓を!

「だめだって!」

 鋏に伸ばされた三本指を、少年は振り払うように脇へやった。半ば叫ぶように、奏太に事実を突きつける。

「心臓なんか切り落としたら、君は生きていられないんだぞ」

 わあっと、もしまだ声を出すことができたなら、奏太の口からはそんな声が漏れただろう。目からはぼろぼろと涙が出て、鋏に伸ばされた三本指は、力なくだらんと下ろされた。

 考え得る限りの、悪い部分を切り落とした奏太は、現実の世界でも、この夢の中のように素直になり、ママの言うとおりの人間になれるはずだった。けれど、足に腕、指、内臓、鼻、そして声帯までをも切り落とし、悪い部分をなくしたというのに、それでも現実の奏太は身をよじり、出ない声を上げ、一本きりの腕を振り回し、ママに抵抗するのだった。

 なぜだかは分からない。けれど、いまの奏太に分かる唯一のことが、この心臓がいけないのだということだった。きっと、この心臓がどくどくと体の中で暴れるので、奏太も暴れてしまうのだ。だから、次はこの心臓だ。この心臓を切り落としてもらえば、きっと奏太は良くなれる。

「だめだよ」

 けれど、少年は再び言った。

「だめだ」

 すると、奏太は哀れに泣き崩れた。もし、まだ奏太に声があれば、少年と話し合い、別の切り落とす部分を見つけられたかもしれない。しかし、奏太は声を失い、一人で考えることしかできなかった。この心臓を切り落としてくれと、少年に懇願することしかできないのだ。

「君の心臓を切り落とすことはできない」

 奏太がひとしきり泣くのを待って、少年は言った。そして、再び絶望に泣き崩れようとする奏太を止めるように、こう言った。

「でも、ぼくに一つ考えがある。これでうまくいくかは分からないけど……」

 躊躇う少年に、暗闇に日が差したように、奏太は顔を上げた。

「そこまで期待されても困るよ。でも……」

 少年は口ごもったが、奏太の希望の眼差しに、その考えを口にした。

「あのね、ここでの奏太と、現実での奏太を交換するんだ」

 どういうことだろうと、奏太が首を傾げる。それを見て、少年は話を続ける。

「奏太は、ここでは素直でいられるんだろ? ママの言うことを聞こうと思えるし、勉強だってちゃんとやろうと思える。叫んだり、暴れたりすることもない。でも、現実じゃ、その反対だ。だから、ここでの奏太を現実に送って、現実の奏太をここに送る。簡単な話、取り替えっこするんだ。それなら、ぼくも協力できる。まあ、素直な奏太と会えなくなるのは寂しいけど」

 それは素晴らしい提案だった。その証拠に、奏太の目には光が灯り、希望が溢れ出すのが見て取れた。

「気に入ってくれたみたいだね」

 少年は嬉しそうにそう言った。けれど、すぐに顔を曇らせ、奏太の目を覗き込んだ。

「でも、言ったようにうまく行くかは分からない。……いや、君と、あっちの君を取り替えっこするのは簡単なんだ。この鋏を使ってね、君を切り取って、あっちに移せばいい。それであっちの君を同じように——だから、心配なのはそこじゃない。一度そうしたら、君はここへ戻ってこれなくなると思うんだ。あっちの君が、それを望まないと思うからね。そして、あっちに行ってしまった君は、二度とぼくに会えないし、望みを言うこともできない。だから……」

 奏太の頭はめまぐるしく働き、それがどういうことか、どれほどのリスクがあるものかを考えようとした。しかし、一度差した光は消しがたく、奏太には、既に少年の言う通りにするという道しか見えなくなっていた。

「じゃあ、やるんだね?」

 それを見て取った少年が聞く。

「本当に?」

 うん、奏太は首を縦に振り、少年の鋏をじっと待った。もっとも、奏太には待つことしかできなかった。逃げ出すための足がなく、振り払うための手もなく、嫌だと言うための声も、切り落とされ、無くなってしまったのだから。

「なら、いくよ」

 いつものように、大きな鋏を軽々と持ち上げて、少年は奏太の輪郭を、じょきんじょきんと切り取り始めた。右手についた、三本指が細かい他は、奏太は至極簡単な形だった——頭に胴体、それに一本の腕。

 頭のてっぺんから切り取られた輪郭が、ぐるりとその形をなぞり、もう一度頭のてっぺんに行き着くとき、

「さよなら、奏太」

 少年の小さく、悲しそうな声がして、じょきん、奏太は夢の中から切り落とされた。ありがとう、声にならない声で奏太は言い、現実の中へ落ちていく。

 一方、少年の仕事はまだ完全に終わってはいない。現実の中、ベッドに眠っている、手足があり、それぞれ十本の指のある、奏太の複雑な輪郭を切り取らねばならないからだ。

 けれど、恐らく少年は、それをいとも簡単にじょきんじょきんと切り取って、夢の奏太と同じよう、頭のてっぺんから頭のてっぺんへ行き着いて、すぐに現実から切り落としたに違いない。

 その証拠に、朝、いつまでも起きてこない奏太に痺れを切らし、ベッドの布団を剥いだママが、手の一本と、足のない奏太を見て、家中に響くような叫び声を上げ、半狂乱でパパを、救急車を呼ぶ騒々しさを余所に、奏太は幸せそうな笑みを浮かべ、すやすや眠っていたからだ。

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望みの形 黒澤伊織 @yamanoneko

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