幕末タイムトラベル!

黒船屋

第1話 パレンバン号 ウィレム2世からの親書

蒸し暑い中選挙に行った。選挙に行くつもりは無かったが一昨日安倍元総理が銃弾に倒れて亡くなり選挙に行く気になった。自民党を応援する為である。安倍晋三さんはもう一度三度目の総理にしれっとなって在位最長を更新するものと思っていた。幕末や明治のように政治的な信条でもなく射殺するのはなんとも理解しがたい。


山笠の集団山見せをみに行くルートに福岡市役所の近くを通るので安倍さんの記帳をした。花束をかかえたご婦人や若い女性‥安倍さんの写真が笑顔でこちらをこちらを向いている。現実とは思えない空間、拉致問題、美しい国ニッポン、アベノミクス、モリカケ、オリンピック、コロナ、射殺されなければいけない理由がどこにあるのだろう。


それはさておき主題は幕末である。歴史が好きだが幕末は資料等が多く、まだネットオークションでも安価で落札できる。私の趣味は幕末に関する美術品や古文書を集めて研究することである。とは言っても研究者でも学芸員でもなくただ好きなだけで休みの日は各地の神社仏閣、城、戦場跡に行き、ブログやホームページをだらだらと20年近くやっている。


幕末でペリーがやって来たのは1853年だがそれ以前に海防に関する色々な事件が起こっている。阿部正弘が老中になった1843年の時点では、既に異国船打払令は廃止され薪水給与令が発令されている。経緯は1837年にモリソン号がやってきて、これを日本側ではイギリス船とまちがえ異国船打払令により砲撃するも、実はアメリカ船で日本人漂流民を救助して帰還させ、通商を求めて来た友好的な船だった。この事より幕府を批判する声が高まり、1840年清国のアヘン戦争の敗退により政策を変換し天保の薪水給与令を発令する。これ以前の海防の話は一旦割愛して阿部正弘が老中になってからの話をしましょう。


もしかしたらこれにうまく対処していればこの後の展開がかなり変わったのではないかという事件があります。ご存じのとおりオランダとは長崎を通じて通商がありました。西暦1844年8月に長崎にいつものオランダ商船ではなく軍船が現れました。オランダ国王ウィレム2世の親書を持ってきたのです。内容はアヘン戦争や海防や通商に関する事と各国が日本に開国を求めてやって来る予告で、言わばオランダ国王から徳川幕府、徳川家慶への開国勧告でした。この真摯な奉書をどうしたかというと貴国とは通商(貿易)はあるけど通信(国交)はないと無視します。シーボルトがこの親書に草案時にかかわっていたといわれますが、事実に即した的確な指摘ではないでしょうか。大きなチャンスをみすみす逃したとも言えます。




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