第92話 生きる呪い




 二階から精密な援護射撃をしていたカタリナは、ある違和感を感じていた。


(受像機にノイズが……やっぱり急ごしらえの全身コーンバートには無理がありましたかね……?)


 視界の片隅に黒い染みのようなものがチラつく。気のせい程度だった染みは、徐々に範囲を広げて視界を侵食していった。

 やがて広がった染みが映し出したシルエットに、ミティアライトの瞳が大きく見開かれる。


「ぁ……あぁっ……!」

「……カタリナ? どうかし――」

「ぁぁああああ゛あ゛ッ! ちく、しょぉ……! なんで、どうしてっ……!?」


 愛銃を放り投げ、首を押さえてのたうち回る。その様子に尋常じゃない異変を感じたフィリップは、すぐに彼女の管制システムを強制終了させようと、首元にあるプラグを開いた。中の非常用スイッチをオフにするが、システムが落ちない。

 その間にもカタリナの自我を構築するデーターベースは、黒い染みに侵食されていった。仰向けに倒れて四肢を痙攣させ、首から下の上半身だけがぐんっと宙へ浮く。


「どうして、あんたがっ……――フランチェスカァァア゛ア゛ッッッ!!!」


 その絶叫と共に、大きく開いた彼女の口から黒いもやが勢いよく吹き出した。

 叫ばれた名に唖然としたフィリップの前で、大量のもや戸愚呂とぐろを巻くように舞い上がる。異物を吐ききったカタリナは、ついに意識を失ってシャットダウンしてしまった。


『――……抗ウイルス剤で済ませてクリーンアップを怠ったのはお前の落ち度です。おかげ電子世界に残された痕跡を辿ってここまで来ることができました』


 聞き覚えのある冷淡な声に、クロエのガトリング銃が止まった。血の気の引いた美貌が見上げた先には、見覚えのあるローブを象った影がゆらゆらと宙に漂う。


『あぁ……ノエル、いけない子ですね。弟を見捨てて死に損なった挙句、こんな場所でまだ足掻こうとしているなんて……』

「どう、して……? あなたは、ミシェルが……」


 道連れにしたはず――。

 震える喉は、その事実を口にすることができなかった。


 するともやは火がついたようにボウッと膨張して、講堂内をぐるりと逡巡した。嘲笑うように、嬉々とした様子で。


『アレは実に愚かでした。システムとデーターベースを消滅させれば私が死ぬと思っていたようですが、それは間違いです。私は不死身の専用食。肉体が滅んでからも怪物を恨む人々の怨嗟の念となって、永遠の時を生きる呪い。機械の身体など、所詮は入れ物に過ぎません』


 水に垂らした墨汁のようにその存在感をありありと示す亡霊が、クロエの頭上で渦を巻く。


『M2、あれは失敗作です。生身の脳などさっさと燃やしてデータだけを詰め込んでしまえばよかった。そしたら私の傀儡かいらいとして傍に置いてやったのに。無駄死にですよ、お前の愚かな弟は』

「む、だ……?」

『ふふふ、そう、無駄死に。私がお前に情欲をたぎらせ、その身体を好き勝手していると思い込んでいたようです。おかしいですよね。お前がふしだらな熱を持て余してせがんできても、私は何一つ与えなかったと言うのに』

「ッ……!」

『ああ、怒った顔もそっくりです。お前たち姉弟は見目だけは本当に素晴らしい。皮を剥いでヒューマノイドに着せるのはどうでしょう? きっと下劣な人間たちが素晴らしい出来だと賞賛して、拍手喝采で値段をつけますよ』

「黙りなさい!!」


 煽られたクロエが堪らずトリガーを引くが、発射された弾丸は全てもやをすり抜けて講堂の壁を打ち砕いた。


『無駄です。実体がないものは殺せない。お前もよくわかっているでしょう?』

「殺してやる……絶対に殺してやる!!」

『あああ……憎悪、ですか。私にもその感情はわかります。しかし自由に動く身体がないのも不便なものです。なので……――そこの出来損ないをいただきましょうか』


 人々の怨念そのものの姿となったフランチェスカは、肉の蕾に咲く存在へ目を付けた。自らのウイルスの痕跡を辿ってわざわざミュンヘンまで来たのはそのためだ。


 この世の全てを食らおうとする意地汚い異端児。だが、未だ何者でもない不安定な器は却って好都合。その未知数な可能性を上手く利用できれば、ヴィジブル・コンダクターなどというしみったれた組織に寄与しなくとも、デイドリーマーズを滅ぼせるかもしれない。


『私に身体を明け渡しなさい、化け物め』


 講堂全体に漂っていたフランチェスカは、死にかけの子どもを目掛けて一気に突撃した。クロエの弾丸が即座に追ったが、どれも虚しく壁や窓ガラスを撃ち抜くばかり。


 底なしの黒い怨念は細い糸となり、真白の痩躯に絡みついた。


「ッ!? ――、――!!」


 苦し気に藻掻く様子を見せた異形の子は、背中に生えた四肢をむやみやたらに振り回し、激しく抵抗する。しかし幾千年の呪いは容易に振り払えるものではない。それでも講堂を破壊し尽くす勢いで我武者羅に暴れまくる。柱が崩れ、石の床に亀裂が走った。


 これでは手出しができない。マコトとララはそれぞれアーティとタマキを抱えて二階の踊り場へ飛び上がり、クロエとユリウスも同じく退避する。床が抜けて真下の地下水道へ崩落するのも時間の問題だ。


「クソッ、あのままじゃ乗っ取られるぞ!」


 ユリウスが憎々し気に吐き捨てる。

 フランチェスカの凶行を前に一同が手をこまねく中、アーティがゆっくりと立ち上がった。



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