第75話 開眼
尻尾は天窓に向かって大きく口を開き、不協和音の咆哮を響かせた。開ききった口の端から双頭の触手のように裂け、それぞれの獲物を狙って縦横無尽に暴れ回る。
頭に食らいつこうと一直線に伸びてきた先端を
「ちょっと大人しくしてろ……!」
殺しきれない勢いによって、指先から包丁を入れたように捌かれていく。「ピギィィィィイイイ」と鼓膜を破るような絶叫が放たれた。
間を置かず駆け出して向かったのは、触手の付け根。黒い粘液が纏わりついた重い拳を叩き込む。だが――。
「……?」
風穴を開けそうなほどめり込ませた拳に、まるで手応えが感じられない。
不思議な感覚に一瞬だけ思考が流された右肩を、灼熱の痛みが襲う。新たに生えた細長い触手に背後から貫かれたのだ。
「ッ!?」
まるでハエでも叩くように壁へ叩きつけられる。身体中の骨が粉々になる衝撃が走った。だがそれだけでは終わらない。気絶する暇もないまま持ち上げられ、もう一本が腕に絡む。そしてありえない力で外側へ引っ張りはじめた。力任せに引き千切ろうと言うのだ。
「~~~ぐッ、こいつ……!」
皮膚と関節が伸び、形容しがたいビリビリとした痛みにくぐもった声が上がる。
ユリウスがすかさず照準を合わせるが、絶え間なくうねる触手はマコトを盾に牙を剥き出しにして、嘲笑う。
そこへ駆けてきたのはタマキだ。車輪のように激しく前転し、刃となった尻尾で触手を斬り落とす。力なく地に落ちたマコトの周囲に血の華が咲いた。
「ッ、ごめん、助かった」
「ニャッ」
肩を貫いたままの残骸を引き抜き、顔面蒼白で投げ捨てる。本体と切り離されてなおビチビチと動く先端は、地面に滴る血を舐め取るように這いずり回った。
専用食の不死の能力は万能ではない。超人的な回復速度を持つが、欠損した部位をゼロから生み出すことはできなかった。この融合体と違って、腕を失っても生えてはこない。
砕かれた骨と貫かれた肩の修復をじっと待つ。相手も消耗したのか、すぐには動けないようだった。肩で息をする蒼白な顔には冷や汗が浮かぶ。
そこへ、待ち侘びた号令がかかった。
「センセェーッ!
二階から身を乗り出したフィリップが照射ボタンを押す。天窓付近を旋回していたドローンからデータの光が降り注いだ。上半身を覆う体毛の艶が増し、幾重にも別れた尻尾は元の形を取り戻していく。
「右肩のクランプスは俺がやる」
「じゃああたしは左のペルヒタを」
二階から阿吽の銃口が火を噴いた。
伏せ撃ちの姿勢でスコープを覗いていたカタリナが、魔女の頭に向かって一発。片手が使えないので狙撃の精度は落ちるが、的が大きければあまり問題にはならない。ユリウスも追随するように右肩に生えた二本角の悪魔を撃ち抜く。
両肩が破裂し、崩れ落ちる巨体。
器の完成度が十分なものであれば二匹は絶命するはず――しかし瞬時に負傷した部位を黒い毛が覆い、前の両足首から再び二匹が頭を生やした。
「まぁ、一発じゃ無理だよねぇ……!」
口端を引き攣らせて眼鏡のブリッジを指で上げたフィリップが、すかさず次の
銃声と断末魔が響く講堂で、肩の回復に努めていたマコトが眼前の生き物を見上げる。
専用食が実体を持たないデイドリーマーズ
ミッシュ・マッシュは、既にマコトの理解の範疇を飛び越えた存在に変わっていた。
だがマコトの脳裏には、鮮やかな世界を映す青が浮かぶ。あなたを知りたいと、真っ直ぐに見つめる瞳が。
「俺にもできるかな、アーティ」
巨像の専用食には、受肉前から受け継いだ異能がある。
タマキは内容量を無視した胃袋と無限の食欲、そしてマコトには目が合った者の脳を破壊するほど暴力的な承認欲求。
アマネを殺した村人の目玉を抉り取って以来無意識に抑え込んでいた力が、新たな感情を糧にして再び開眼した。
突出して駆け出したマコトに、背中に生えたナハツェーラーの首が反応する。唾のように吐き出した血の刃を飛び上がって回避した勢いのまま、吸血鬼の頭の上にふわりと降り立った。
上から覗き込む色違いの瞳。逆光の影になったそれは、右側の淡黄色だけがやけに神々しい光を放つ。
――知らないから、私は先生を理解したいと思うの。
――だからあなたも、恐れず歩み寄って。相手を知って。
知ってほしいなら、まず知ろう。
大切な二人が、そう教えてくれた。
「分かり合おうか、徹底的に」
その美しい瞳に見つめられた刹那、ナハツェーラーの視界が赤黒く染まる。
脳に直接流れ込む相手の情報の濁流と、内側から吸い出されるように溢れ出る自己の情報。二つの力に圧縮された目玉が勢いよく飛び出し、弾けた。
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