第70話 友と友




 フィリップは義手の繊細な指先を動かしながら、色男をちらりと見やった。

 義体技術に精通しているわけではないが、この作品が数十年先の技術を先取りしたようなクオリティを誇っているのはわかる。初めて出会った時、瓦礫がれきから真新しい松葉杖を差し出されたのも気がかりだ。何か、人外めいた力を感じる。


 答えは出会った時から既に決まっていたのに、無意識に核心へ遠回りしていた。心の中で「どうかそうであってくれるな」と身勝手に願ってしまっていたのではないだろうか。命を救われて、こうして言葉を交わして。マスターピースという人格に少なからず好感を抱いているから。直接答えを聞けなかったのはそのせいだと、フィリップは気がついてしまった。


「……ボクの想像通りなら、あんたがここにいる理由がわからない。捕まったら何されるかわかんないよ?」


 ヴィジブル・コンダクターは、デイドリーマーズの他にエネミーアイズを追っている。怪物の情報を保持しているにも関わらず、それを人類のために開示しない仮想敵を。


「話し合いたい奴がいるんだ。そいつを止めないと、取り返しがつかないことになる」

「それがウチにいるって?」

「ああ。だからこんな似合わない格好をしてまで潜入してるんだろ?」


 ダブルボタンのジャケットを壁のフックにかけ、身体のラインにフィットしたベスト姿になったマスターピース。似合わないどころかあれこれ着せたくなる造形美をしているのに。嫌味な男だと思った。でもどこか憎めない、そんな不思議な魅力に溢れている。


「ボクがあんたを捕まえるとは思はないの? こんなところにまで招き入れちゃってさ」

「どうだろうな。少なくとも組織の利益を優先するようなできた奴には見えねーけど」


 肩を上げてとぼける背中を睨みつけた。図星だが人から言われると少し腹立たしい。フィリップからしてれみれば、デイドリーマーズを害獣を決めつけて徹底的に駆除しようとしている組織こそが安直なのに。


「だけどお前には先入観がない。物事がフラットに見えてるところが気に入ったんだ。まぁ、間違いなく変な奴だけどな!」


 マスターピースは冷蔵庫から瓶ビールを二本取り出して栓を開けた。そのまま隣の空いたスペースにどかっと座り、一本を差し出してくる。毒気が抜けた顔で呆然とするフィリップを見て、白い歯を見せてニカッと笑う。


「なぁ、俺たちって友だちになれると思わないか?」


 彼の言う「俺たち」が単純に二人のことなのか、エネミーアイズと人間のことなのか、それともデイドリーマーズに関してなのか。この頃のフィリップには判断がつかなかった。

 一つ確かなのは、そこには敵意も嫌悪もなかったということ。マスターピースは可能性を信じている。暴力的な解決ではなく、対話がもたらすであろう先進的な未来を。


「……あんたは英国生まれの名技師で、人誑ひとたらしの色男。今のボクには、それだけでいいや」


 瓶ビールを受け取ったフィリップの肩を豪快に叩いた男は、快活に笑った。嬉しいという感情を隠しもせず、ただただ幸せそうに。


 それ以来、二人は腹を割って話せる友になった。そこにヴィジブル・コンダクターとエネミーアイズという括りはない。デイドリーマーズの研究をするフィリップは、仮説を立てるたびに得意気に披露した。だが決して答えを強いることはしない。マスターピースもフィリップに何か手引きさせようとはせず、黒い森の大火に焼かれた少女を連れて来た時も、協力を惜しまなかった。


 与えられる限りの善意を惜しみなく注ぎ合い、やがて友は親友となる。

 かけがえのない時間を過ごしたはずの二人だったが、三年前に突如として別れを迎えた。切り出したのはマスターピースからだった。



『お前のところのトップに合わせてほしい』




 * * * * *




「マスターピースはさ、センセーと同じ専用食だったんでしょ?」

「知ってたんじゃないの?」

「わかってたけど、言わなかった。その頃ボクもまだ若くてさぁ。絆されちゃったんだよね、あの人誑ひとたらしに」

たらしはあの人の得意分野だから」

「さてはセンセーも被害者だね?」

「そうかも」


 ユリウスとタマキの帰りを待つ間、暗い下水の壁際で横並びに座る二人は、お互いの追憶を重ねた。

 予想外の共通点だったが、案外すんなりと腑に落ちた。全てはマスターピースの手の平の上だったのかもしれない。


「俺が受肉したばかりの頃、マスターピースが会いに来たんだ」


 アマネの最初の死後数か月。腐敗が始まった肉体の前で呆然と存在するだけだった幼いマコトの元に、彼はやって来た。

 巨像は専用食を生み出す際に姿を現す。KAMI型が成層圏から降りてきたのを確認して、マコトを探していたらしい。が、彼の目的の一つだったから。


 二人は藤がつるを巻く巨木の下を一緒に掘り起こし、遺体を埋葬した。

 ようやくアマネを弔うことができて泣きじゃくる生まれたばかりの同胞に、彼はこの世界のことを色々と教えてくれた。


「その時に、亡霊の話を聞いた」

「亡霊?」

「亡霊は専用食俺たちを捕まえて、巨像に食べさせるんだって。だから絶対に自分の存在を知られちゃいけないって、しつこいくらい言われた」

「じゃあ、エネミーアイズがボクらから逃げ続けたのは……」

「正確には亡霊から逃げてたんだ。不死の俺たちにとって、巨像に食べられるのが唯一の死を意味するから。……実際、もう何人も犠牲になってる」


 専用食を捕らえて巨像に食わせる亡霊。つまり目的は、巨像の実体化だ。

 聞いたこともなかったが、今さらマコトが嘘を吐く理由もない。


「いつも世界中をふらふらしてて、こっちが会いたい時には全然捕まらないのに、来る時はいつも突然なんだ、あの人。あの日だって……」


 藤が咲くあの巨木を使って造られた天誰真己徒御主神アマタマコトミヌシの館に、彼は突然やって来た。忘れもしない嵐の夜だ。

 相棒のタマキと世界を繋ぐ鍵束を、説明もなく押しつけられた。マスターピースのアイデンティティとも呼べる二つを。

 ついて行きたいと暴れるタマキに爪を立てられながら「どこに行くの」と聞いた。大切なものを何もかも置いて、一人でどこへ何をしに行くつもりなのか。引き止めるすべはないのか。普段はあまり使わない頭を、その時ばかりは擦り切れるほど回転させた。けれど……。



『愛してるって、叫びに行くんだ』



 そう言って歯を見せて笑った男を、どうやって引き止めれば良かったのだろう。


「それから数日もしないうちに、ジャパニックが起きた」


 余震が何日も続き、やっと落ち着いた頃。ララに留守を託し、タマキとトーキョーへ向かった。

 避難民や救助隊で溢れ返る首都圏を逆流して、規制線を掻い潜りようやく辿り着いた高台の公園。破壊された首都に咲いた花と巨像に、マコトはカメラを向けたのだが……。


「HITO型って首の周りを十の頭がぐるっと囲ってるでしょ? のっぺらぼうと顔があるので五つずつ」

「ボクも亜細亜監視哨あじあかんししょうの応援でトーキョーに行ったから知ってるよ」

「じゃあ、

「…………」


 トーキョーに拠点を置いていた日本支部が大打撃を受け、混乱を極めていた当時。HITO型を観測する人手が足りないと、世界中のウォッチャーがトーキョーに集まった。

 その時には既にドイツ支部を預かる身になっていたフィリップだが、全ての職務を放棄して駆けつけた。ジャパニックが起きたのは、マスターピースとフランチェスカを引き合わせた直後だったからだ。そこで見たものの答え合わせが、ようやくできた。


「センセーの話を聞いて全部が繋がった。で、


 その時、頭上のマンホールの開く音がした。

 瞬時に飛び降りて来たのは確認するまでもなく、ユリウスとタマキだ。持てる限りの銃火器とジャンクフードを詰め込んだボストンバッグを滑らせるように置き、肺の中の空気を出し切るほど大きな溜息を溢す。


「なんなんだこのデブ猫、目につく食べ物全て買わされたぞ――……痛ったぁ!?」

「シャーーーッ! ぐるるるる……!」


 禁句ワードにすかさず反応したタマキが、無礼なすねに思い切り噛みつく。ついでに猫アレルギー持ちの顔に身体を擦りつけるという陰湿っぷりだ。


「タマキは体型を気にしてるんだよ。痩せる気ないけど」

「へぶしっっっ! お、横暴すぎだろ! ックシュ!」

「ミャァァアアア゛ア゛」


 仰向けに倒れ込んだ顔の上で、モフモフの巨体がこれでもかと転げ回る。地面を数回叩いてギブアップの意を示したので、マコトがようやくタマキを持ち上げて引き剥がした。毛と鼻水だらけになったユリウスが、この後の戦いでちゃんと機能してくれたらいいが。


「すっかり仲良しさんだねぇ」

「どこが!」

「うみゃあ!」


 二人分の牙を向けられて、フィリップはへにゃりと笑う。すっかり賑やかになったが、目的を忘れてはいけない。

 ユリウスから受け取ったサブマシンガンを担いで「じゃあ、行こっかぁ」と先頭を歩き始めた背中に「ねぇ」とマコトが声をかける。


「さっきの続き、後でちゃんと話そう」

「……そうだねぇ。ボクらにはもっと対話が必要だ」


 ちゃんと話せば分かり合える。マスターピースがそう信じたように。


 しばらく下水を道なりに進むと、フェンスが塞ぐ脇道を発見した。

「関係者以外立入禁止」と掲げられた看板を鎖ごとペンチで折り切り、中へ入る。

 明かりのない通路を手持ちランタンで照らしながらしばらく進んだ先に、下水には似つかわしくない重厚な扉が姿を現した。フィリップが金属製の扉に取り付けられたタッチパネルを慣れた手つきで操作する。


「よかった、システムはまだ生きてるみたい。カタリナのおかげだねぇ」


 指紋認証と虹彩認証を経て、地下施設の緊急用非常口が解錠された。

 少しだけ扉を開けて中の安全を確認してから、両開きの厳かな扉を開け放つ。

 フィリップは長い両腕を広げて、大仰に言った。


「ようこそ、ボクらのドイツ支部ホームへ」



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