第69話 愛された者たち




「う゛ぇえええええぇええええ」

「お~、これで7回目だねぇ」


 マコトがミュンヘンの地下水路に膝をつき、汚水の中へ盛大にリバースした。両手をついて丸まった背中をフィリップが雑にさする。ちなみについさっきまで白目を剥いて痙攣していた。


 鍵を使ってベルリンへ戻ってきたはいいものの、ドイツ支部があるミュンヘンまでは直線距離にして約460km。時間に追われた一行が選択した移動手段は、飛行機だった。

 かつてアーティに地下鉄へ連れ込まれて死に目を見た男が一時間空を飛ぶとどうなるかは、先のとおりである。顔面蒼白で命からがらミュンヘン空港に降り立ってから、ずっとこの調子だ。これから偏食種グルメの群れへ特攻すると言うのに、本当に大丈夫なのだろうか。フィリップは眼鏡の奥をじっとり細める。


「あのゲテモノキッシュにでも当たったんじゃない?」

「絶対に違う。オッドアイになってから乗り物酔いが酷くて……おぇえええ゛ッ」


 好物をゲテモノ呼ばわりされて、色違いの眼光が鋭くなる。が、再び迫り上がってきた真っ黒な胃液を下水へぶちまける様子に、フィリップはやれやれと溜息を溢した。「もったいない……」と半泣きになっているのも、何だか痛々しい。


 支部の地下施設へ続く下水には、マコトとフィリップの姿のみ。ユリウスは馴染みの伝手つてで銃火器を手配している。フランチェスカの狙いがフィリップである以上、あまり表立って行動するのは好ましくないという判断だ。

 ユリウスにはタマキがついて行ったから心配はないと思うが、下水の先で待ち受けるのは未知の脅威である。マコトの体調も万全に戻しておきたかった。


 意外と弱点の多い不死身の男は、さらに言うと案外人間臭い。愛とか情とか、フィリップが明るくない行動理念で動く。その姿に、ひときわ愛情深くて厄介な友人の影を重ねた。きっとマコトは、とても愛されていたのだろう。


「そのオッドアイ、青い方は義眼でしょ? よくできてるねぇ」

「……気づいてたんだ」

「まぁね~。ついでに言うと、あの鍵やアネット嬢が持ってたレンズフィルターも彼の作品でしょ?」

「彼って?」

「マスターピース。お互い面倒な男に引っかけられたもんだ」


 久方ぶりに聞いたその名に驚き、マコトは蒼白な顔を驚きで染めた。


 専用食はデイドリーマーズだった頃の異能をその身に宿す。彼の場合は『創造』。自分が思い描いた物を自在に創り出すことができる。それこそ世界中を繋ぐ鍵やデイドリーマーズを写すレンズフィルターなど、己の想像力と必要な対価さえあれば、実現不可能なことはなかった。


「何であんたが知ってるんだ」

「センセー、地中戦争でSORA型を撮ってたでしょ? その時にたまたま出会ってさ。それに、彼はドイツ支部が世話になっている義体技師だったんだ」


 複雑な色をした瞳が手持ちLEDランタンの明かりを反射し、眼鏡の奥で美しく煌めく。

 かつての邂逅から再会、そして別れまで。優秀な頭脳はその全てを鮮明に残した。




 * * * * *




 SORA型が引き起こした地中海戦争から3年。

 具体的な対応策がない中、世界中のあちこちで魂の捕食は繰り返された。


 故意に人間へ危害を加える危険なデイドリーマーズを監視し、その動向を上層部へ報告するのがウォッチャーの職務だ。怪物の力に脅かされ、命の危機に晒されることも多い。


 そんな状況下で、頼まれてもいないのに自ら最前線へ出向き、怪物相手に既存の生物学を当てはめては独断であれこれ実証実験を繰り返す異端児がいた。言わずもがな、フィリップ・ライザーである。


 地中海戦争時のSORA型の生態をまとめた報告書は大変評価されたが、独断専行は組織の規律を乱す。

 その日も『ブロッケン山に住む摂食種イートたちは、登山者の影を奪う喫食種テイストの巨人に父性を感じている』という自論だらけの報告書を自信満々で提出した。結果、頭に大きなたんこぶを三つ重ねて支部内を歩いている。


「デイドリーマーズにも大なり小なりコミュニティがあるってなーんでわっかんないかなぁ、あの石頭支部長オヤジ


 ぶつくさ言いながら向かうのは無論、医務室。頭蓋骨がかち割れなくてよかったと思えるくらいの馬鹿力を三発食らったのだから。


 しかし、フィリップが辿り着くよりも早く医務室の扉が内側から開く。

 中から白髪交じりのドクターと見知らぬ長身の男が話しながら出てきて、入り口付近で鉢合わせた。


「あん? まぁたお前かフィリップ」

「ドクター、氷嚢ひょうのうと抗炎症剤ちょ~だい」

「こっちは来客中だ、勝手に処置してろ」

「おっけークソジジイ!」

「麻酔なしで開胸するぞクソガキ!」


 医者のくせに中指を突き立てるドクターは当然ヤブである。正規の医師がこんな秘密組織にいるはずがない。

 いつものように軽口を交わしていると、ふと、ドクターの客人である男とすれ違いざまに目が合った。


 後ろへ撫でつけられた鳶色とびいろの髪。

 吸い込まれそうなほど深い黒曜石の瞳。

 優雅な立ち振る舞いの中でも雄々しさを醸し出す無精髭。

 質の良いグレンチェックのダブルボタンスーツを着こなす体躯は厚みがあって、服を着飾るに相応しい。


 あまりに小奇麗な格好をしていたためすぐに気づけなかったのだが、男はドクターから見えない位置で、フィリップに歯を見せて笑った。その面影が空襲で水飛沫を上げる地中海での記憶と重なる。


 雷に打たれた狂犬は、近くにいた同僚のウォッチャーを捕まえて興奮気味に詰め寄った。


「ねぇ! さっきの誰!? 名前は!? ドイツ支部ウチに何の用!?」

「ああ? マスターピースさんだよ。義体の名技師だ。手足欠損した仲間が数人世話になってる。ほら、この前リチャードが偏食種グルメに足を持ってかれたろ?」

「へぇ、知らなかった!」

「お前なぁ……」


 あっけらかんと言う問題児に、同僚は呆れ顔を隠さない。


「ところで傑作マスターピースって本名?」

「知るか。ドクターや支部長はそう呼んでる。……なぁ、もういいか? お前と話してると俺まで変人扱いされちまう」

「ひっど! でも、ありがとー!」


 フィリップは未知なるものが好きだ。不思議であればあるほどそそられる。今思うと初恋の感情に似ていたかもしれない。魂を吸い上げるSORA型をバックに見上げた彼は最高に不遜で、底知れなくて、ゾクゾクしたものだ。


 好奇心に突き動かされたフィリップは、その日からマスターピースについて調べ尽くした。


 西暦1997年生まれのイギリス人で、大学を卒業後、義体技師の道へ。

 故郷のカンタベリーで小さな工房を開いていたが、その腕を見込まれドイツ支部の顧問技師として招かれた。

 両親は他界、結婚歴なし、血縁者なし、逮捕歴なし、平々凡々な一般人。


「いや、ドンパチしてる地中海戦争のど真ん中でヘラヘラしてたじゃん!」


 自室の壁掛けボードいっぱいに貼られた情報を見上げて小躍りする。

 あまりに都合が良いほど綺麗すぎる経歴。フィリップは胸の高鳴りが止まらない。


(彼を知りたい。あの余裕の笑みを引っぺがして、秘密を覗き見たい!)


 そんな素直すぎる欲求は、がっつり顔に出ていたらしい。当時はフィリップもまだ若かったのだ。


「なぁ、メシでも行く?」


 隠れみのにしている製薬会社の看板が掲げられた支部の出入り口にて。

 意中の人物に待ち伏せされていたフィリップは、眼鏡が傾くようなひどい間抜け面を晒して大爆笑されたのだった。


 マスターピース曰く「来るたびにあんまりにも熱烈に見つめてくるもんだから、俺に気があるのかと思った」と。

 気はないが興味はある。たしかに、どうして最初から直接話を聞かなかったのだろう。恋する乙女じゃあるまいし、「恥ずかしくて喋れない!」なんて柄でもない。

 自分のことなのに不思議に思ったが、この千載一遇のチャンスを無駄にはしない。二つ返事で承諾して夜のミュンヘンへ繰り出し、上機嫌にバルをハシゴしまくった。


 意外だったのは、サシ飲みが思った以上に盛り上がったこと。

 マスターピースは義体だけでなく、アンドロイド技術にも造詣ぞうけいが深い。フィリップが知らない最新の知識をこれでもかと披露してくれた。少々マニアックな内容も底なしの好奇心を刺激したし、彼もフィリップの「誰にも相手にされない生物学」に興奮気味に耳を傾けてくれた。ずばり、馬が合ったのだ。


 お互い泥酔したまま工房に招かれ、試作品の義手や趣味で作っているヒューマノイド用のAIプログラムを見せて貰った。

 どれも興味深いもので、フィリップの好奇心は徐々に満たされていく。それは裏を返せば「秘密にしていることは何もない」と一方的に証明されているようで、少し面白くない。


 そんな内心すら見透かしたように、ベンチに座って義手を眺める青年を蠱惑的な微笑みが見下ろす。


「それで。俺の正体はわかったのかな、若者よ?」



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