第64話 共闘




『――敵わない怪物相手に籠城戦なんて、馬鹿げてますよね』


 自嘲気味な涙声があまりにも悲痛で、遠い地のダイニングはしんと静まり返った。

 逃げることを許されず、勝てないとわかっている相手に戦いを強いられたカタリナがどんな気持ちで連絡してきたのか。

 恐怖に屈して助けを求めてきたわけではない。それが痛いほどわかるユリウスは、抑えきれない激情を両手に込め、天板へ叩きつけた。


「カタリナ、一言でいい……助けに来いって言ってくれ」

『…………』

「すぐ行くから。フランチェスカに連絡を取ってスナイパーは退かせる。これはお前たちの戦いじゃない。だから……!」


 例え罠だろうと、助けを求められればユリウスとフィリップは即座に首を差し出す覚悟だ。カタリナたちが地獄に残って戦う理由も、ましてや殺されなければならない理由など何一つないのだから。


『……歩く足はフィリップしぶちょーから貰って、歩き続ける希望はユリウス先輩がくれました』


 通話口の凛とした声に、苦悶で歪んでいた顔をはっと上げる。


 故郷を焼かれ、身体を失い。死体も同然だったカタリナを生かそうとしてくれた二人のために、彼女は生きている。デイドリーマーズから世界を救いたいとか、人を助けたいとか、そういう大義は後付けだ。本質はずっと変わらない。


『だから戦う理由はあります、あたしにも』


 二人はカタリナの狭い世界の全てだった。だからみすみすフランチェスカへ差し出すような真似はしない。


 すると、爆音が響く通話口に別の声が割り込んできた。


『おいユリウス、支部長連れてのこのこ戻ってきやがったら承知しねぇからな!』

『フィリップ支部長も! 巻き込むなら最初からちゃんと巻き込みやがれ!』

『あんたの尻拭いには慣れてんだ、ドイツのウォッチャー舐めんなよぉ!』

『でもちょっと分が悪いから、後始末だけ頼みます!』


 耳をつんざく銃声に交じって、カタリナと共に戦う仲間たちの怒号にも似た鼓舞が響き渡る。テーブルクロスをくしゃくしゃに握り締めるユリウスの手が震えた。フィリップも眉間をぐっと押さえて、奥歯を噛み締める。


『あたしたちは偏食種グルメを引き付けてなるべく時間を稼ぎます。しぶちょーと先輩はその間に対応策を考えてください。お願いしま――』


 突如として音が割れるほどの爆音に遮られ、通話は途絶えた。

 壮絶な現状に誰もが言葉を探しあぐねる中、それまで沈黙を貫いてきたフィリップが、とうとう重い口を開く。


「やっぱ更年期だったかぁ、あの鉄仮面」


 統括部に不信感を抱いてから、彼らの銃口には十分に気をつけていたつもりだ。だがそれが自分以外の誰かに向けられることになろうとは、予想もしていなかった。


 孤軍奮闘するカタリナたちが作ってくれた時間は、この間にも刻一刻と終わりへ近づいて行く。

 対応策を考えろと言われても、できることとしたいことが違う。許されるなら今すぐミュンヘンへ駆けつけたい。冷静さが本能とぶつかり合い、ちぐはぐな思考回路に迷い込んだ。


 そんな二人の気持ちを汲んだアーティが、自分と同じ顔をした大切な人へ目配せする。冷たさすら感じられる美貌の下に、くすぶるものを見た。


「マコト先生、二人と一緒に行きたいんじゃないですか?」

「……うん」

「でも私がいるからどうしようって思ってる」

「そんなにわかりやすい?」


 ずばりと言い当てられ、マコトは思わず肉付きの悪い両頬をこねる。

 その愛おしい仕草に、チリリと胸を焼いた心細さを一旦しまい込んだ。自分本位な感傷に付き合わせてしまうには、時間が惜しい。


「行ってあげてください。鍵を使えばきっとまだ間に合います」

「でも、アーティは……」

「私はここで待ってます。ほら、ユリウスもフィリップさんも。早く準備しなくちゃ!」


 努めて明るく振る舞うアーティに促された二人は顔を見合わせた。

 一匹でも手に負えない凶悪な偏食種グルメ。奴らの餌場となったドイツ支部へ今さら二人が駆けつけても勝機はない。

 だが、この世界のことわりを知る不死者ならどうだろう。


「申し出はありがたいけど……いいの? センセーには関係ない戦いだよ?」

「関係なくはないんじゃない? あんたらが死んだら、他に誰が世界の秘密を暴露するのさ。それに……」


 含みを持たせた視線が窓の外で風に揺れる藤棚へ向けられる。

 アーティだけでなく、あの麓で眠る彼女も背中を押してくれたような気がした。


「……アマネにしてくれたことのお礼も、まだできてないし」


 情報転写式具現装置リアライズで最後の時間を作ってくれたこと。

 一緒に土をかけてくれたこと。


 愛する人を独りぼっちで見送り続けたマコトにとって、それがどれほど心強かったか。


 窓辺でいびきをかいていたタマキをつついて起こし、ララからコートを受け取る。マコトの目にもう迷いはなかった。


「鍵で飛べるのはベルリンまでだ。急がないと間に合わなくなるよ」

「~~~っもぉぉおお! センセーだいすきぃっっっ!! それでこそおともだち大作戦のパートナーだよぉぉおお!!」

「気色悪い声出すなクソ眼鏡」


 感動で今にも抱きつきそうなフィリップの首根っこを、ララがすかさずふん掴む。「支度のお手伝いをして来ます」と言い残し、そのまま廊下へ引きずった。


 そして。出会ってからずっと剣呑な態度を崩さなかったユリウスが、かつては敵と思い込んでいた男と向き合う。


「本当に助かる。それと……今までのこと、悪かった」


 パリの路地裏、ビンツの廃教会。二度も本気で向けた銃口を降ろして、自ら襟を正した。

 そんな篤実な男を拒絶するほど、マコトも狭量ではない。


「いいよ、気にしてない。準備ができたら玄関に集合。急いでね」


 穏やかに微笑み、自分と違って常にしゃんと伸びた背を軽く叩く。ユリウスはさっぱりした顔で頷き、荷物が残る客室へ走った。


 出発に向け、それぞれが忙しなく動き出した。

 一人だけ手持無沙汰なアーティは再び席に着くと、テーブルクロスのレース柄をじっと見つめてうつむ


 何もできないことが歯がゆい、もどかしい。

 自ら残ることを選んだはずなのに、アーティの心地はどんどん底なし沼へ沈んでいく。


 インドア気味のマコトがパリの公園へ散歩に行くわけでも、ドイツのリゾート地へウエディングフォトを取りに行くわけでもない。命の価値が希薄になる戦場で自分ができることなど何もないと、彼女自身もわかっていた。


 だからこそ思ってしまう。

 もし自分が彼らと同じように特別な存在だったならば。同じ目線で立つことを許され、一緒に連れて行ってもらえたのだろうかと。


 そんな憂いを感じ取ったマコトは、膝の上で震える手を取った。


「ごめん、アーティの優しさに甘えてばっかりだね」

「っ……! や、優しいとかじゃなくて……ほら、怖いので! 私なんかが一緒に行ってもすぐ食べられちゃうじゃないですか。だから今回は大人しく留守番してます!」

「……アーティ」


 余計な気苦労をかけまいと無理に作られた笑顔に、昔のマコトは気づけなかっただろう。でも今は違う。


 重ねた手を引いて椅子から立ち上がらせると、強張る身体を腕の中に閉じ込めた。

 突然の接触にいつもの素っ頓狂な悲鳴を上げそうになるが、耳元で薄い唇が「シーッ」と空気を震わせ、それを制する。



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