第63話 処守の覚悟




 シュヴァルツヴァルト――ドイツ南西部に位置する、山々に囲まれた自然豊かな地方だ。群生する針葉樹が黒く見えることから「黒い森」と称される。

 西にライン川を挟んでフランス、南にボーデン湖畔を挟んでスイスと面する風光明媚な一帯であり、ユリウスとカタリナの故郷もそこにある。


 それが8年前、突如出現したRIKU型巨像によって火に包まれた――。


 四つ足の巨獣が炎を巻き上げながら時間をかけて練り歩いたシュヴァルツヴァルトの大火は、鎮火に2年を要した。業火は人々や山の生命を焼き尽くしただけではない。土壌に汚染物質を残して疫病を引き起こし、今なお関連死者数を増やし続けている。


 故郷と肉体を焼き尽くした炎の熱、匂い、色。カタリナはその全てを脳内データベースの一番奥へ保存した。この世界に蔓延はびこるどうしようもできない存在をどうにかしたいと焼かれながら願った、あの時の記憶を。何があっても忘れないように、そしていつでも思い出せるように。


『どこの誰だか知りませんが、やってくれましたねぇ』


 そんな悪態を吐きながら、バグだらけになったシステムの中を見渡す。ホログラムが構築したのは、管制室そっくりの空間だった。

 宙に浮かぶコードの文字列を食い荒らす、黒いもやを放ったウイルスたち。その姿を一言で形容するのは難しい。あえて言うなら球体関節ドールだろうか。あらぬ方向に曲がった手足や首が、まるで蜘蛛のように怪しくうごめいた。


 カタリナはイメージで具現化した小銃を構え、不気味な群れを漏らさず撃ち抜く。この世界では想像力が物を言う。そして狙い撃ちは彼女の得意分野だ。

 ウイルス攻撃が止んだコードから自動修復へ移行する。これを続けていけば現実世界にいる管制官たちがシステムを取り戻せる――はずだった。


『――う゛ッ!?』


 突如、カタリナの視界が赤黒く明滅する。何かとてつもない引力に引きずり込まれるように、自由が利かなくなった身体を大型光学モニターへ叩きつけられた。

 光の画面に背中からはりつけにされた小柄な少女へ、ウイルスたちが一斉に群がった。目鼻のないのっぺらな顔が大きな口を開くと、のこぎりのような細かい牙が鋭く光る。


(トラップ!? あたしがダイブするのを読まれてた……ってことは、このウイルスを仕掛けたのって……!)


 システムへ直接ダイブできる全身換装のサイボーグがいることを知っているのは、同じ組織の人間だけ――。


 すると、人形が発するもやが一点に集まり出した。

 かたどられたのは全身を覆うローブと、表情の見えない薄ら寒い鉄仮面。創造主のシルエットだろう。見覚えのある姿にカタリナは忌々いまいまし気に下唇を噛んで、手足を藻掻いた。だが人形の牙が深々と突き刺さり、彼女自身のシステムをも食い破っていく。


 トラップに捕らわれたカタリナは、現実世界で火花を上げ痙攣けいれんしていた。


「カタリナ、しっかりしろカタリナ! ……だめだ、接続を切れ! これ以上は彼女が持たない!」

「し、しかしっ……!」

『だめです! 今そんなことをしたら、管制システムがあたしごと完全に奪われる!』


 人形の耳障りな息遣いに混じって聞こえた管制室長の声に、カタリナが必死に呼びかける。だが声帯機能が上手く動かない。ウイルスの浸食はすでに始まっていた。

 このまま自身の制御権まで乗っ取られたら、偏食種グルメと共に仲間を惨殺する兵器に変えられてしまう。それだけは絶対に阻止しなければ。


『こンのぉ……なめんなぁあアアアアッ!!』


 彼女の怒気を具現化した放電が、四肢をむさぼる人形を蹴散らした。

 電子が制御する世界では、決められた暗号やコードが全てを決める。このウイルスの人形も、所詮は作られたデータだ。そんな世界に感情なんてものを持って踏み入れるのは、カタリナのようなサイボーグの特権とも言える。


 作り物の人形になど負けたくなかった。自分はまだ、生きているのだから。


 がむしゃらに身体を動かして人形を振り解く。感電で焼け焦げた残骸をどかして、人工皮膚が食いちぎられた足で立ち上がった。

 金属の部品がむき出しになった腕で構えた小銃を、自分をはりつけにしていたトラップへ向ける。


『こんなので壊されるほどヤワに作られてないんです、あたし』


 フルオート連射で打ち出された無数の弾丸が、トラップコードだらけのモニターを粉々に打ち砕く。

 割れた破片が舞う空間に、もはやウイルスは残されていなかった。


「――制御権奪還成功。地下通路の隔壁を閉じます。現場にいる人員は至急退避してください」


 管制システム内から意識が戻ったカタリナは、無線で支部内に告げた。隔壁が正常に作動したのを館内図で見届け、糸が切れたようにその場にへたり込む。

 疲労で上下する小さな肩へ、管制室長からスティックメモリが差し出された。


「抗ウイルス剤だ。急ごしらえだが、ないよりはいいだろう」

「助かります……」


 緩慢に有線を抜くと解除コードが記録されたスティックを再び首元に差し、深く息をする。わずかとは言えシステムを犯されたのだ。本来であれば一度クリーンアップすべきだが、そんな猶予は許されない。


 隔壁はただの時間稼ぎだ。怪物たちの手にかかれば、そう時間もかからずに突破されるだろう。しかもかなめとなるウォッチャーの主力部隊がビンツへ向かっている今、支部内は研究班や事務職などの非戦闘員ばかりで手薄。絶望的な状況に変わりはない。


 カタリナは苛立った仕草で大型モニターを通信画面に切り替えた。連絡先は欧州監視哨おうしゅうかんししょう統括部、そのトップへの直通。事情を知らない管制官たちはカタリナが援軍を要請するのだと予想して、ほっと一息吐く。

 そして数コール後、憎き仮面がモニターいっぱいに表示された。


『ああカタリナ、思ったよりも早かったですね。やはり他人が作ったサイボーグは勝手が違う』


 まるで全てを見越していたかのような台詞に、管制室には困惑した空気が漂う。

 フランチェスカは相変わらずの鉄仮面だったが、気味が悪いくらいいつも通りで、それが却って不気味だ。

 怒れる身体を震わせ、ミティアライトの瞳がモニターを睨みつける。


「全てはあなたの采配ですか、フランチェスカ」

『おや、怒っているのですか? この私を呼び捨てにするなんて』

「敬意なんて残ってるはずないでしょう。こんなふざけた状況、ウチの本隊が戻って来ても対処しきれな――」

『そちらの本隊はリューゲン島入り口で殲滅しました。骨の欠片も残っていないそうですよ』


 そう言ってモニターに表示されたのは、津波に呑まれたリューゲン島と本土を繋ぐ大橋の映像。避難民とマスメディアでごった返した橋の手前で、ドイツ支部の軍用車が炎と黒煙に包まれていた。


 現実を受け入れられず咄嗟とっさに部隊長と連絡を取るが、無情にも通信は一切繋がらない。

 表情を強張らせたカタリナへ、全ての元凶による心無い仕打ちは続く。


『援軍は来ません。もちろん退避することも許しません。ドイツ支部の周囲には狙撃班を配備しました。外に出た者は怪物だろうと人間だろうと、構わず撃ち殺します』


 心臓が凍えるような冷たい声色には取り付く島もない。

 しんと静まり返った室内に、カタリナが鉄の天板に爪を立てる音が響いた。


「あたしたちはここで死ねと、そういうことですか?」

『いいえ、ただ死ぬのではありません。フィリップを呼びなさい。泣いてすがって助けを求めて、奴を誘き出す餌となるのです。あの男が姿を見せれば、あなたたちの安全な避難を約束しましょう』


 全てはフィリップを呼びつけるためだけに用意された地獄。ミュンヘンが怪物の餌場と化すような危険を犯してまで達成すべき目標には到底思えない。


「馬鹿ですね、しぶちょーが来る前にあたしたちが食い潰されます。これじゃあ餌の意味がありません」

『その口ぶりだとやはり生きているのですね、あの愚か者は』

「……愚かなのはあなたです、このクソッタレ」


 善悪の天秤が壊れた最高司令官相手に、もはや対話は不可能だ。

 どうしようもできない存在をどうにかするために選んだカタリナの居場所が、足元からガラガラと崩れ落ちていくような気がした。


『この状況でその強情っぷりは好ましいですよ。せいぜい足掻いてみてください。それでは、健闘を祈ります』


 いつもの会議の口調で通信は終わり、その場にいた職員たちへ絶望が波及する。


 最優先事項は偏食種グルメを街へ出さないこと。出入口は完全に封鎖しなければならない。外の狙撃班も脅しではないだろう。それにフィリップは今、日本にいる。仮に助けを求めたとしても、物理的距離が希望を阻む。そもそも、正気を失ったフランチェスカが彼と引き換えにドイツ支部をすんなり助けるとも思えない。


 生き残るためには、戦わなければ。


 覚悟を決めたカタリナは、混乱を極めた支部内へ再び無線で告げる。


「武器庫からありったけの銃火器とドローンをかき集めてください。ウォッチャーの予備隊はあたしと一緒に戦闘配備を。非戦闘員は後方で情報転写式具現装置リアライズ情報更新アップデートに集中。なるべく時間を稼ぎながら後退して、市街地へ続く地下の緊急避難経路から非戦闘員を逃がします。……残念ながら助けは来ません。皆さん、命をかけてください」


 支部に残る手練れはカタリナを含めて数名。援軍は断たれ、戦闘の素人を多く抱えたままどこまで戦えるのか。勝機は一片たりとも見い出せなかった。それでも……。


「――先輩としぶちょーの留守を、死んでも守り抜きますよ」


 揺らいで崩れて残ったのは、一歩でも動けば奈落の底へ突き落されそうなほど小さな足場。

 焼死体同然だったカタリナを背負って逃げてくれた近所の金髪青年と、親友から譲り受けたと言う最高峰の義体を快く提供してくれた優しい変人。肉体を手放したカタリナの世界は広いようで狭い。だからこの世界だけは、どうしても諦めきれないのだ。



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