第62話 開演ブザー
――着信より二時間前。
他の職員を締め出したドイツ支部の執務室で、カタリナは今後の身の振り方を思案していた。
体重をかけたチェアの後ろで、今にも崩れそうなインスタント食品の空容器タワーが揺れる。まるで迷える彼女の心境を表すかのように。
「だいたい、こんなの納得できるわけないじゃないですかぁ……」
恨めし気に睨みつけた光学モニターが映すのは統括部からのメールである。
二人への関与を指摘されたドイツ支部には待機命令が下された。UMI型の対応は統括部の管轄となり、ビンツへ急行したウォッチャーの手練れ部隊も呼び戻さなければならなくなった。
どうにも身動きがとれないこの状況に、カタリナの不満は募るばかり。
災禍に呑み込まれた仲間が十分な理由なく処分された上、ドイツに現れた
(ビンツの怪しい観察記録もそうですけど、統括部はもうヴィジブル・コンダクターの一部門ですらないのかもしれませんねぇ)
彼らはフランチェスカの
「さて、これからどうしましょう」
組織から提供されたガジェットは水没したのか、意図的に電源を切ったのか。極秘にフィリップと共有している緊急回線のGPSが一瞬だけ日本で拾えたことから察するに、後者だろう。きっとカタリナにだけ生存を伝えようとしていた。ビンツにいたはずの二人がなぜ日本へ瞬間移動したのかはわからないけれど。
UMI型の脅威も消え去らぬ中、ドイツ支部としてどう動くべきか。
きっとフィリップなら「ボクらのことは知らんぷりしちゃえ」と言うだろう。下手に同調して統括部に抵抗すれば、どんなこじつけで銃口を向けられるかわからない。だが、やられっぱなしで面白くないのも確かだ。
「とりあえず管理下にあるフリでもして、いつでもしぶちょーの援護ができるように――」
そう
カタリナは水代わりに飲んでいた潤滑オイルのストローから口を離すと、即座に執務室を飛び出した。オーバーサイズのアーミージャケットを
入ってすぐ目に飛び込んできたのは、エラー表示で埋め尽くされた光学モニターと、青い顔で復旧作業を急ぐ十数名の管制官たち。
カタリナは忙しなく指示を出す管制室長のデスクへ真っ直ぐ向かう。彼もまた額に脂汗を滲ませ、この状況に苦悶の表情を浮かべていた。
「異常個所はどこです?」
「地下施設だ。侵入者に怪物共の檻を解錠された……!」
「檻が、開いた……!?」
想定していたどんな危機よりも遥かに絶望的な事実に、幼い相貌が強張る。
まだ生きている監視モニターには、地下を徘徊する
あれは器の完成度が足りず殺しきれなかった
開演を知らせるブザーのように、緊迫したアラートが絶えず鳴り響く。
「――ッ、隔壁閉鎖! 地下の出入り口のロック、急いで!」
普段の間延びした口調から一転、ピリッと張り詰めたカタリナの指示により、管制室が慌ただしく動き出す。
だが、大型モニターに表示された電子見取り図の隔壁が閉じることはなかった。
「……だめです、ウイルスに制御権を奪取されました! 支部内のシステム、全て作動不能!」
若い管制官の悲鳴に似た報告を受け、どよめきが波及する。
このまま隔壁が閉じられなければ、支部内にいる人間は皆殺しだ。そして腹を空かせた奴らは次にミュンヘンの街へと繰り出すだろう。
「サイバー攻撃なんて、一体どこから……!? ああもう、それよりシステムの奪還が先です。復旧にどのくらいかかりますか?」
「15分……いや、10分あれば、」
「それじゃあ間に合いません! ……あたしがやります。システムをこっちに繋いでください!」
声を張ったカタリナが
「ウイルスが浸食したシステムにダイブするなんて正気の沙汰じゃないぞ! いくら君でも危険すぎる!」
「じゃあこのまま大人しく
「ぐっ……!」
苛烈に発光するミティアライトの瞳に睨まれ、管制室長は奥歯を噛み締めた。
判断を熟考する時間はない。怪物を食い止めようと地下へ向かった職員の首が監視モニターにべしゃりとぶつかり、管制官たちが震え上がった。
先進的な科学技術の
彼女に負担をかけることでしか、この状況は打破できない。
室長は苦々しい顔でデスク下の扉を開け、管制システムと繋がった一本の有線をカタリナの元へ伸ばす。
「ありがとうございます。ヤバそうでも止めないでくださいね」
「止めらたら我々も死んでしまう」
「その通り。それじゃあ、また後で会いましょう」
頼もしいウインクを返す少女に、ドイツ支部の命運は託された。
受け取った有線をコネクタに繋ぎ、データで構成された光の海へ沈めた意識の中でカタリナが呟く。
『――システムコンタクト、開始』
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