第61話 ラストコール




「ねぇセンセー、食べながらでいいから聞いてほしいんだけど」

「ん?」


 フィリップは暗黒キッシュを頬張るマコトを左手に、アーティの正面に座った。テーブルに肘をついて両手を組み、進んで毒を食らう超人を視線で撫でる。


「ボクらはそろそろドイツに戻ろうと思う。センセーとの約束を果たさなくちゃ」


 デイドリーマーズの存在を一般的に周知させる。それが真実を知る代わりにマコトと交わした盟約だ。


 食べかけの呪物を一度皿に置き、口内の水分を全て吸い取った暗黒の砂を凝縮濃度のコーヒーで流し込む。舌が馬鹿になってしまったマコトは酷い苦味にむせることもなく、薄ら笑いを浮かべる男を見据えた。


「ドイツに戻って、その後は?」

「とりあえずセンセーの証言を元に報告書を出して様子見かなぁ。あぁ、その前にUMI型の後処理もあったねぇ」

「統括部への申し開きが最優先でしょう。俺たちがビンツで勝手をしたことをフランチェスカ統括はもう気づいているでしょうし、下手すれば厳罰に処される可能性だって……」

「厳罰って……?」


 不穏な言い回しに反応したアーティが恐る恐る問うと、ユリウスは真一文字に結んだ重い口を開く。


「ビンツで花嫁を撃った時、法で裁けないなら罪は罪で濯いでもらうと言っただろう。それと同じことだ」

「そんな……二人が何をしたって言うの!?」

「ヴァイクとマリーの件は、ビンツのヴァッサーガイストを黙認してきた統括部に弓引いたようなものだ。あそこに組織としての秩序がまだあるのかも怪しい。だが俺たちが置かれている状況を判断するには、どのみち一度戻るしかない」

「殺されるかもしれないのに?」

「それでも、だ。お前と約束を交わすと決めたのは俺たちだからな」


 後ろに手を組んでマコトを見つめ返す緑葉の瞳に迷いはない。背筋をしゃんと伸ばし、ただ前だけを見ている。それは成すべきことを見つけた者の顔だ。


「ボクだってホントは帰りたくないよ? こーんな大発見を誰かの都合で揉み消された上に殺されるくらいなら、ベルリンの大通りで拡声器片手にぜーんぶぶっちゃけてやりたい! 動画がSNSに拡散されて大バズりしたりして!?」


 おどけて言うフィリップもその軽口とは裏腹に、目に携えた光は鋭い。覚悟はとうにできていると言わんばかりに。


「だけど……そんなことをしても誰も真に受けてくれないって、センセーもわかってるよね?」


 視えない者は視えないままで。そんな不変のことわりに気を揉んだマコトがSNSに流したHITO型の写真は、一過性のコンテンツとして消費されて終わってしまった。


 誰が発信するかで情報の信憑性は大きく変わる。突拍子もない事柄ならなおのこと。

 デイドリーマーズの存在をひた隠しにして私腹を肥やしてきたヴィジブル・コンダクターと、それを黙認し続けた国々。双方が襟を正して情報を開示することによって、民衆はようやく耳を傾けるようになるだろう。


 そんな夢物語のような未来に、二人は命を賭けようと言うのだ。


「ボクはね、デイドリーマーズは人類存亡の希望に成り得ると思ってるんだ」


 神妙な面持おももちになったマコトとアーティを見比べて、遠い未来を見据えたバイオロジストは微笑んだ。


「これから数百年、地球はかつて経験したことのない速度で変化していく。生物に与えられた進化という手段も通用しないほどの速度でね」


 温暖化に空気汚染、戦争、飢餓、疫病。地球は着々と寿命を縮めている。そう遠くない未来、宇宙へ上がる人類も現れるかもしれない。

 そんな過酷な環境下で生き残れるのは、そこに適応できる力がある生物だけだ。


「受肉したデイドリーマーズ……つまりウォッチャーなら、その環境変化に対応できるかもしれないってことですね」

「正解! アネット嬢、よくできました☆」

「はは……」


 バチコン! と星付きのウインクをかまされ、アーティは困ったように笑った。

 興が乗ったフィリップはここぞとばかりに言葉を並べ立てる。


「肉体を求めるデイドリーマーズと急激な進化を求められてる人類の利害は一致してる。なのにこのまま知らんぷりを続けて生物のほとんどが受肉したデイドリーマーズに置き換わるのをただ待つだけなんて面白くない! センセーみたいな専用食を通じて巨像と意思疎通ができるようになったら!? デイドリーマーズ側の凶悪な食欲を制御できるようになれば人間側の理解を得られるようになるかもしれないし、そしたらもっと効率的に受肉できるようになるかもしれない!」


 天板を勢いよく叩いて立ち上がったフィリップの興奮たるや。

 何カ月も前から計画していたバカンスの予定を披露するように、彼の言葉には希望と生命力が満ち満ちている。


「ボクら人間は知的生命体だ。可能性は無限に広がってるんだよ、考えることをやめなければね」

「考えることを、やめなければ……」


 それは、ただの人間として真実と向き合い続けたアーティの胸に深く残った。

 言葉を反芻はんすうする彼女の方を見て、フィリップは笑窪えくぼを深くする。


「理解は思考の歩みを止めないことだって、アネット嬢がボクらに教えてくれたんだよ」

「私が?」


 丸くなった青い瞳は、自分が一体何を成し遂げたのかいまいち理解していないようだった。

 怪物の実体化という目的のため外的情報に囚われて理解の本質を見失っていた戦士たちの前で起こした、あの奇跡を。

 誰かに理解されたいと願ってきた彼女にとって、他人を知ろうとすることはあまりに当たり前の行為だったから。


「アネット嬢は、いいウォッチャーになれそうだね」

「へ?」

「……フィリップさん」


 思わぬことを口にしたフィリップをユリウスがたしなめる。にへらっと笑う狂犬を睨みつけ、呆然とするアーティへ視線を移した。何より、隣に座る男の眼光の鋭さと言ったら。


「今のはセンスの悪いジョークだ。気にするな」

「は、はぁ……?」

「まぁ就職に困ったらいつでも頼っておいで! 命の保証はないけど完全自己責任で自由に立ち回れるアクティブな職場だ!」

「就職……」


 大仰おおぎょうに両手を広げてリクルートする男を、アーティは唖然と見つめた。


 そう言えば逃亡劇が始まってからは田舎の両親と連絡を取っていないが、どうしているだろう。大学に休学届を出すタイミングもなかった。


 それまでの非日常から日常へ急激に戻る気配を察して、妙に落ち着かなくなったアーティはシャツの裾を握る。


(パリに戻ったら、マコト先生ともお別れなのかな……?)


 これから始まる価値観の改革に、アーティの席はない。命の心配をしなくてもいい当たり前の日常へ戻った時、マコトは隣にいるのだろうか。彼の隣にいても、いいのだろうか。


 心細くなって横目に盗み見ようとしたら、意外にな事にオッドアイと目が合った。だが澄んだ双眸に全てを見透かされそうで、すぐに視線を逸らしてしまう。

 言葉にすればどんどん我儘になってしまいそうで、アーティはそれが怖い。不相応な幸せを夢見て、失望してしまうことが。


「アーティ……?」


 その様子に何かを感じ取ったマコトが口を開いた時、フィリップの懐から電子音が響いた。ドイツ支部へ残してきたカタリナとの緊急連絡用の端末だ。

 UMI型が出現した時でさえ鳴らなかったそれが、けたましく持ち主を呼ぶ。

 ワンコールで素早く応答したフィリップは通話をスピーカーに切り替え、ガジェットをテーブルの上に置いた。


「やぁカタリナ! こっちに連絡してくるなんて、急用かい?」

『しぶちょー……よかった、やっぱり生きてたんですね、ユリウス先輩も一緒ですか?』

「ああ、ここにいる。それよりどうしたんだ?」


 UMI型による未曽有の危機に襲われた中、安否すらわからない二人を信じて帰りを待っていたカタリナは、電話口で大きく息を吸った。




『……お別れと、お願いを伝えたくて』




 いつも人を子馬鹿にするような喋り方をする少女の声が、か細く震えている。その奥では銃声と、おぞましい咆哮がノイズ混じりに聞こえた。


『嵌められました。ドイツ支部はもうおしまいです。みんなあいつらに殺されます』

「落ち着けカタリナ、何があった、状況を説明しろ」

『それが、』

『カタリナ、これ以上はもたん! 撤退だ、サーバールームまで撤退しろ! 隔壁閉鎖、急げ!』


 ユリウスの問いかけを緊迫した声がさえぎる。立て続けにサイレン、そして爆音が響いた。さらには複数の悲鳴や銃声が重なる。場所は屋内――おそらくドイツ支部の建物内だ。


 何かから逃げるように一心不乱に走る吐息に混じりに、カタリナは声を上ずらせながら続けた。


『あたしたちの次はミュンヘンが食い尽くされます。だからお願いです、街を守って』

「何、言って……」

『支部の地下に捕らえていた偏食種グルメが脱走して支部内で暴れてます。全て統括部の……――フランチェスカの仕業です』



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