第60話 苦くて甘い世界で




 ダイニングテーブルの長の席に座ったマコトを、アーティとララ、そしてウォッチャーの二人が囲むようにして背後から見下ろす。


 全員の視線を釘づけにしていたのは、食卓に堂々と鎮座する黒い円盤。中央には包丁が深々と突き刺さっていて、選ばし者にしか抜けない勇者の剣を彷彿とさせる。

 その異様な風体に思わず「会場間違ってませんか?」と問いかけたくなるが、作り手のアーティシェフ曰く「切り分けようとしたら包丁が抜けなくなっちゃいました」とのこと。どうやら食べ物の硬度を超越してしまったようだ。


 テーブルに上ったタマキが呪物を一嗅ぎして、全身のあらゆる毛を逆立てる。

 シャーシャーと威嚇ビートが刻まれる中、マコトは心なしか声を弾ませた。


「本当に全部食べていいの?」

「ああ、食え。いや食ってくれ」

「そう……? せっかく刺激的な味覚体験ができるのに、もったいない」

「ボクらはセンセーと違って不死じゃないのぉ」


 強火で二時間半熱しても焼却されなかったアーティのスペシャル・キッシュは、人類にはまだ早すぎる。

 ユリウスとフィリップが丁重に辞退し、ララは食事を必要としない。必然的にマコトが全部食べる羽目になったのだが、外野の予想に反して妙に嬉しそうだ。


「アーティの手料理なんて久々だね。ずっと食べたかったんだ」

「はぅぁッッッ……!」


 神々しい顔面に微笑みかけられ、専属シェフはあまりの感動に平たい胸を押さえて眩暈めまいを覚える。救急車、救急車を呼んでくれ!


 そんな茶番など普段のマコトなら気にも留めないのだが、今日は何やら様子が違った。


 一度立ち上がって隣の椅子を引き、感動で痙攣する肩を流れるように引き寄せる。そのままスマートに着席させられたアーティは、状況がわからずピシッと硬直した。

 ぎこちなく瞬きを繰り返す瞳を覗き込んだのは、言うまでもなく色違いの宝石。


「大丈夫?」

「……――だいじょばないっ!!!」


 この世で最も好みの顔を至近距離で直視できず、テーブルを叩き割る勢いで突っ伏す。震える赤毛を一撫でして、マコトは柔らかく笑った。端的に言うと、デレデレしている。


 突然の好待遇にアーティの脳内は混乱を極めた。近くに立っていたフィリップとユリウスへ「!?、……!?」と目線だけでチラッチラッしながら問いかける。が、こっちに聞かれても。二人は肩をすくめることしかできない。


 その光景をムッとした表情で眺めていた顔面チートが、真っ赤になった耳元へ唇を寄せた。


「ねぇ、何でこっち見てくれないの?」

「ひょぇぇえええぇえぇ」


 恋慕を隠すことをやめた甘ったるい声に囁かれ、多感な血糖値が爆上がりした。

 スライムのように溶けて蒸発しそうなアーティの反応に「そのくらいにしてやれ」と疲れ切った顔のユリウスが助け船を出す。フィリップはニタニタと笑い、ララに至っては苦みで打ち消そうとコーヒー豆をミルで挽きまくる異常事態だ。


 残念ながら外野のげんなりとした空気をマコトが察することはなかった。だが幸いにも可愛らしい反応(効果絶大なフィルター付き)に満足したらしく、嬉々とキッシュの皿を寄せ、勇者の剣包丁に手をかける。


「いただきます」


 みっしりと刺さった剣をデイドリーマーズ由来の怪力で抜き取った勇者マコト。

 被ダメージ未知数の暗黒キッシュを両手に抱え、そのままかぶりつく。キッシュの丸かじり。なかなか見ることができない絵面だ。


 健康的な白い歯と顎の力で噛み砕いた断面は吸い込まれそうなほどの黒、黒、黒、とにかく黒。

 みっしり詰まった正体不明の固形物がごろごろと発掘される。具材はほうれん草とベーコンだけだったはずなのに、おかしい。


 中心まで余すところなく炭化した元・食べ物がバリボリと豪快な音を奏でた。岩でも食ってるのかと耳を疑うような咀嚼音に、ギャラリーは見ているだけで口の中が酷い苦みでいっぱいになる。


 不死だからって、いや好意があるからと言って、何も進んで毒を食べる必要はないのに。

 当事者以外が薄目で見つめる中、美しい喉仏がゆっくりと上下した。


「先生、お味はどうですか?」


 テーブルから顔を上げたアーティは、その堂々たる食べっぷりに恍惚として瞳を潤ませた。いつだって彼の食レポの瞬間は緊張する。


「……アーティ」

「は、はいっ!」

「これは料理じゃない」

「えっ……」

「――芸術、だよ」


 な ん だ そ れ 。


 成り行きを見守っていたオーディエンスが心の中で盛大に突っ込む。ふざけているのかと思ったら目がガチだ。今回ばかりは顔の良さが癪に障る。


 絶句する二人と一体。そして一匹は日当たりのいい窓辺に移動し、限界まで目を細めて遠くを眺める。呆れているのだ。


「やっぱりアパルトマンのオンボロオーブンと違ってちゃんと中まで火が通ってるね。カリカリと生焼けのギャップもよかったけど、口の中がズタズタになるこの食感は他では味わえない快・感!」

「……~~~ッ! もぉっ! 先生ったら~~~!」


 わけがわからないことを並べ立てる肩をぺしぺしと叩いた手で熟れた頬を包み、上半身を右へ左へくねらせるアーティ。

 なぜ彼女自身に料理の苦手意識がなかったのか、周囲は嫌でも理解する。間違いなくこの馬鹿舌のせいだ。


 素直に照れまくるアーティへ、瞳の輝度が増したマコトの的外れな賛辞は止まらない。


「それでいて衝撃的なコショウの辛さとこの世のものとは思えない苦みの不調和。それから異物の原形を消滅させる容赦のない火加減。唯一無二って言葉はアーティの料理のためにあるんだね」

「何言ってんだお前」


 とうとう我慢できなくなったユリウスが盛大に突っ込んだ。が、その後も緩い口は謎に語彙力の高い食レポを延々と、そしてノンブレスで続ける。

 フィリップすら呆れ顔で「ユーリ、無駄だよ。これは何を言っても響かないやつだ」と諦める始末だ。


 生クリームたっぷりのケーキを濃厚ホットチョコレートで流し込んでいるような世界に取り込まれてしまった憐れな客人たちの後ろで、渋い顔のララが高濃度のブラックコーヒーをカップに注ぐ。だが……。


「こういう甘さは、嫌いじゃないです」


 さすがに毎日は勘弁してほしいけれど、とすかさず付け加えてコーヒーを配る。



 苦くて甘い、かけがえのない束の間の時間だった。



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