第59話 傑作




 西暦19××年、北アメリカ某所――。


 軽快なナイフがソーセージパティを切り分ける。

 分厚い断面から溢れ出る肉汁が隣のマッシュポテトに染み込んでいくのを、向かいに座る涼し気な淡黄色たんこうしょく双眸そうぼうがじっと見つめた。


 ベンチシートが向き合うボックス席に隙間なく並べられた料理たち。

 ローストビーフ、スクランブルエッグ、パンケーキ、ハンバーガー、それにフィッシュアンドチップス。ジャンキーな見た目と匂いで、それぞれの自己主張が激しい。


 見ているだけで腹が満たされたマコトの手元には、結露したアイスコーヒーのグラスのみ。二人分の量をはるかに超えた料理は、全て同伴者が注文したものだ。これで朝食と言うのだから恐れ入る。


「で、何だって?」


 食事中にも関わらず男が口を動かしたことで、無精髭をソーセージの肉汁が伝う。


 彼の姿はとにかく目を引いた。

 履き潰されて爪先に穴が空いたトレッキングブーツに、染みだらけのベージュ色のカーゴパンツ。身なりは酷いが、人目を集めるのは服装のせいではない。


 ギラリと光る野性味溢れた深緑色の瞳が魅力的な、よく見れば彫りの深い端正な顔つきの色男だ。歳は30代半ばと言ったところだろうか。

 甘く垂れた目元には余裕があって、妙に色っぽい。艶を放つ癖気味の茶髪も魅力的だ。

 白シャツから覗く厚い胸板へ男女問わず吸い込まれるアクシデントは日常茶飯事である。身なりに気を使わないせいで、よくボタンが行方知れずになるのだ。その都度マコトが新しい服を買い与えるのだが、世界中を放浪するこの男はすぐボロ布に変えてしまう。


 彼を構成する要素は、蜜を運ばせるのにむせ返るほどの匂いを放つ毒花の魅力に似ていた。

 が、それらを台無しにする豪快な食べっぷりを前に、マコトは無言で紙ナプキンを差し出す。


 受け取った色男は「わりぃ」とがさつに口元を拭いて、今度は備え付けのケチャップを手に取った。高い位置で掲げられたディスペンサーから勢いよく赤が飛び出す。真下のマッシュポテトのみならず、テーブルのあちこちを汚した。


 眩暈めまいがするほど良い男なのに、どこか残念。

 出会った頃から変わらない魅力を放つ友人に、マコトは重たい口を開いた。


「どうしたら普通の人間にもアレが視えるようになると思う?」


 昼の空に浮かぶ静かな双月の瞳が、ダイナーの窓から乾いた風が吹く外へ向けられる。

 彼の視線の先にいたのは、列になって道のど真ん中を歩くサボテンたち。異様な光景だが、大通りを行き交う人々の中でそれに気づく者はいない。


「ああそう、そんな話だったな。どうした、また承認欲求でも拗らせたのか?」

「ずっと拗らせてるし、きっとこれからもそうだよ」

「まぁ、お前はそういう生き物だしなぁ」


 口の中のポテトを飲み込み、深い緑の目が美しい青年をじっとりと見つめる。

 受肉してようやく200年経ったかどうかの若い同胞は、未だ自らの出自に囚われているらしい。そう結論付けて、目を見たままコーラを飲み干した。


 気のある相手を全員骨抜きにしそうな熱視線だが、それを一身に浴びるマコトは涼しい顔を崩さない。出会った当初はこそばゆくて仕方がなかったが、さすがに長い付き合いなのでもう慣れてしまった。「で、どう思う?」と、ストローに口をつけながら淡々と続きを促す。


「ヴィジブル・コンダクターがそういう装置を開発してるって話は聞いたことがある。デイドリーマーズを具現化して接触できるようにしたいんだとよ。今の技術じゃ実現には程遠いけどな」

「ヴィジ……? はぁ、また危ないことに首突っ込んでるでしょ。それに何なの、そのデイドリーマーズって」

「受肉した奴らで構成された専門組織が、あのサボテンをそう呼んでる。真昼に見る夢、だってさ。ロマンチックだろ?」


 呆れ顔のマコトが更に目を細めた。

 全ては現実なのに、それを夢だなんて。まるで存在を否定されているみたいじゃないか。

 承認欲求の化け物は人知れず苛立ちを募らせる。


 だが彼自身も自分たちを表する名を持たない。名称があるのは便利だ。本心は別として。


「そのヴィジなんとかの開発してる装置が完成すれば、デイドリーマーズ……が、普通の人にも見えるようになるの?」

「理論的にはな。でも目的が違う」

「目的?」

「奴らはデイドリーマーズを地球に巣食う害虫としか思っていない。具現化させて武力で駆除するつもりだ。当然、一般人には伏せてな」


 賑やかなダイナーに似つかわしくない物騒な会話だが、気にする者は誰もいない。音割れのする年代物のスピーカーが爆音でラジオを流しているからだ。


 人間がデイドリーマーズを狩る――そんな構図が実現すれば、魂の循環に大きな歪を生むだろう。


「崇める神や肌の色の違いで同族同士が争ってるくらいだ。人間は知性的だからこそ臆病でもある。自分たちと違う存在を受け入れられないのも仕方がないさ」


 そう言ってどこか諦めように笑うが、男の瞳は光を失ってはいない。


 彼は人間が好きだ。優れた知性を持ちながらも定命を生きる人々が苦楽を味わい成熟して死へ辿り着いた後、再び生まれ行く過程を見るのが好きだ。そんな輪廻の営みを何千年も飽きずに見守り続けてきた。


「ま、そっちは心配すんな。今のテクノロジーじゃ実現は1世紀は先になるだろうし、その間に何とかしてみせるさ。それよりもお前の話。なんか理由があるんだろ?」

「……自分たちが生きてる世界のことを何も知らずに死んでいくのは悲しいって、アマネに言われた」


 盲目の運命を生き続ける彼女だからこそ、ほとんどの人間が目隠しをされているようなこの状況を憂いていた。

 見たくないものを無理に知らしめる必要はないが、知らなければそもそも見ようとも思わない。まずは存在を証明するべきだと、悲しい輪廻に囚われたアマネがぽつりと零した独り言を、マコトは聞き逃さなかったのだ。


「なるほど。やっぱりイイ女だなぁ。お前にはもったいねぇよ。久しぶりに顔でも見に行こうか?」

「先月持病で亡くなったよ」

「……そっか、わりぃ」


 男はケチャップで汚れた口元をおしぼりでぬぐうと、胸の前で十字を切る仕草を見せる。

 肉体を持つどの生物よりも遥かに永く生きすぎた彼は、すっかり人間じみた存在になっていた。神なんていないことを誰よりもわかっているくせに、人の真似事ばかりは上手い。


 半眼するマコトへ、男は誤魔化すようにへらりと笑う。


「なら写真でも撮ってみたらどうだ?」

「写真?」

「光情報は嘘を吐かない。FBIやインターポールだって写真の真実性を根拠に捜査する。人間にとって、写真は客観的事実の証明なのさ」

「物体が反射した光をレンズに集約して焼き写したのが写真でしょ? 実体のないデイドリーマーズを撮るなんて不可能だ」


 そこへレトロな制服を着たウエイトレスが追加のパンケーキを運んできた。ついでに連絡先が書かれたメモを皿の下に添えて。

 男は慣れた顔でウインクを返し、受け取ったチョコレートシロップのキャップを外す。


「なぁマコト。真に不可能なんて事象はこの世にはない。特に俺の前ではな。お前だってそれがわかってるから会いに来たんだろ?」


 世界中を放浪している男の足取りを掴むのは容易ではなかった。

 日本のあらゆる立ち寄り場所にメモと言伝を残して半年。RIKU型が眠る南アフリカの秘境からようやく姿を現したと思ったら、開口一番に「腹が減った」と言われ、この北アメリカのダイナーへ連れて来られて今に至る。


 逆さにした容器を押し、サラサラなチョコレートでパンケーキに細い円を描く。コンパスでえがいたような、寸分の狂いもない美しい円だ。


 彼は手先が器用な男だった。本当に、とても――。


「何が必要になる?」

「んー……デザインはこれから考えるけど、レンズの種類問わず装着できるようにレンズフィルターを構想してる。大きさ的に目玉一個分ってところか? 受肉した奴の新鮮な目玉でも拾ったらまた声をかけてくれ」

「あるよ、ここに」


 マコトが指差したのは、自分の左目だった。それは見つめた相手を死へ追いやるほどの承認欲求をぶつけて数多の眼球を抉り出してきた、異能の目。


 専用食はデイドリーマーズだった頃の力をそのまま受け継いでいる。

 受肉前は力の制御ができず、目が合う者を無差別に殺してしまっていた。今でこそコントロールできるようになったものの、アマネが村人たちの狂気で殺された日を最後に、その異能は使われていない。


 予想外の申し出に、深緑の瞳が丸くなる。男は珍しく余裕のない様子でマコトをたしなめた。


「馬鹿野郎、いくら不死身でも欠損した部位は元に戻らない」

「もう他人の目玉をくり抜くなんて嫌なんだ。適当な義眼も一緒に作ってよ」

「簡単に言いやがって。あーあ、すっかり可愛げがなくなっちまった」


 愛する人の腐った骸を抱いて泣いていた少年が、自らの肉体の一部を捧げてでも叶えたい夢を見つけた。

 男はそれが喜ばしい反面、とても虚しい。彼は人間が好きだが、同じくらい不可視の怪物たちを愛している。いずれ巨像に食べられる宿命を負った存在も同様に。


「でも不可能はないんでしょ?」

「……ああ、ない、ないさ。このお惚気のろけおセンチ野郎が」

「ありがとう、マスターピース」


 マスターピース――それが男の名だ。意味は傑作。

 受肉したばかりの悲嘆に暮れていたマコトを導いた恩人であり、最古の専用食であり、この世界の生き字引。


 稀有な運命を歩く男は、魂の循環に抗ってたった一人を想うマコトを通して、自分の過去を思い浮かべた。


「……俺もお前みたいに、ちゃんと愛してやればよかったのかなぁ」


 初めて聞く弱々しい声に、マコトがわずかに目を見開く。

 マスターピースが魅力的な男であることは間違いないが、特定の誰かと関係を築くようなことが今までになかったからだ。


 誰を、いつ、なぜ。問いたいことがぶわりと込み上げたが、それを遮るように奴は現れた。


「うみゃお!」


 開いた窓から飛び込んできたのは、犬とも狸とも言えない肉感の良い巨体。辛うじて鳴き声で「ああ、猫だ」と認識できる。


 白黒のハチワレ顔に浮かぶふてぶてしい半月の目は、ジャンクフードの山を前に輝かしい満月へと変わった。そう、この朝食は大食漢な彼のためのものだ。


「ようタマキ、遅かったな!」


 マスターピースは明朗な声で相棒の名を呼ぶ。


 マコトがアマネの傍を離れないように、いつだって彼らは一緒にいた。紛争地帯でも、未開の秘境でも、ラスベガスのカジノ街でも。



 だが西暦2045年現在、タマキはマコトの隣にいる。



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