第55話 リアライズ
髪は腰までの長さ。テンパリングしたダークチョコレートのように艶があって、日光に照らされるとキャメル色が浮かび上がる。
鈴の音のような声を紡ぐ唇は、アールグレイに蕩けたローズジャムのよう。
肌は表面の色が薄く、奥からオレンジの血色が瑞々しく広がるイメージ。
弦を弾いていた指は細長く、爪は丸い。貧血気味で、地爪は溶けた
ジュラルミンケースに内蔵されたキーボードを叩く音だけが響く。
エディターへ次々と打ち込まれる高彩度でディテールの凝った情報に、背後で見守っていたウォッチャー二人は舌を巻いた。
データの器を作る鍵は、正確で緻密な情報量。それに
アーティが
「これが、テトラクラマシーの能力……」
「それもあるけど、一番はアネット嬢の感性かな。見えるだけで何も感じなければ、ここまでのディテールは出せない」
全ては受け取る側次第。
どれだけがむしゃらに表現しても、「知りたくない」と心を閉ざされてしまったら伝わらない。
アーティはずっと「知りたい」と願ってきた。誰にも理解されない色彩に生き、孤独を知っている。だからこそ相手を理解したい、分かり合いたいと強く思う。
そんな願いが今、形に成ろうとしている。
「……一度照射して様子を見よう。正直、これで反応がなかったらもう打つ手はない」
「そんな……」
「それだけ君が優れた器を作ったということだ。……いくぞ」
ユリウスが最後に座標位置等の設定をして、照射ボタンをタップする。
天井近くでホバリングしていたドローンから、緑色の光が照射された。持ち主を探すように、光情報となったデータが部屋中を照らし
(お願い、アマネさん……!)
額の前で両手を組み、無心に祈る。この場にいる誰もが同じ気持ちだった。
しかしそんな願いも空しく、対象を見つけられずに照射が自動停止した。
収縮する光を見上げてもなお諦めきれないアーティが再びデータ入力しようとするのを、マコトがそっと制する。
「アーティ、もういいよ。ありがとう」
「でも……!」
「その気持ちだけですごく嬉しい。アマネも十分頑張ったから、これ以上はもう……」
痛ましい横顔が干乾びた手を握る。
徐々に間隔が広くなる脈拍計の電子音に、アーティは奥歯を噛みしめた。
ただのエゴなのかもしれない。静かな終わりが
それでも、去り際に見せた彼女の寂しそうな表情が忘れられない。
喉元まで込み上げた嗚咽を飲み込んで、再びキーボードを叩いた。
追加した指定文を後ろから見ていたフィリップとユリウスは目を見開く。それは視覚的データではなかったのだ。
「これで、本当に最後です」
そう言って、再照射のボタンをタップする。
アーティとアマネの願いが、理解という希望に託された。
真っ暗な世界にいつも寄り添ってくれた、私だけの光。
何も見えなかったけど、あなたがいたから独りぼっちじゃなかった。
藤は小さな花の集合体であること。
季節によって見える星が違うこと。
この世界には私じゃなくても視えない何かが存在していること。
全部ぜんぶ、あなたが教えてくれた。
私が毎日祈りを捧げていたのは、村のためでも
ずっと、あなたのために祈ってた。目が見えない私の代わりに、あなたを見つけて一緒にいてくれる誰かと巡り会えますようにって。
すごく時間がかかっちゃったけど、やっとその時が来たみたいだから、もう行くね。
ずっと傍にいてくれてありがとう。
何度も私を見つけてくれて、ありがとう。
最後に一つだけ我儘を言ってもいいかな。
私、私ね――……
世界中のどんな美しい景色より、あなたの顔が見たかったの。
「アマネ……?」
データを照射する光の下。全てを諦めかけていたマコトが、その名を呼んだ。
終わりゆく肉体の隣に
アーティが打ち込んだ色鮮やかな情報と、アマネが打ち明けてくれた本心が、持ち主へ結びついていく。
魂が光を取り込み、融合して細部を補填しながら器を作る。細かい粒子が形を変え、磁石に砂鉄が引き寄せられるようにあるべき場所へと集う。
目を開けていられないほど
「……マコト?」
長い眠りから覚めたアマネが、
血の通わない仮想の肉体は冷たく、鼓動も感じない。それでも腕に抱いた髪からは、匂い立つような藤の香りがする。
――想像は理解の前段階。
パリの街中で、カメラを通してマコトがそう教えてくれた。
関心を持つこと、観察すること、想像すること。全ては繋がっている。そして理解の先にあるのは承認。「誰か」から「あなた」に変わる、そんな優しさ。
全員が予想だにしなかった奇跡を、アーティが手繰り寄せたのだ。
小さく偉大な背中越しに抱き合う二人を眺め、ユリウスとフィリップが毒気が抜けたような顔で呟く。
「思いや願いのような目に視えない感情を打ち込むなんて、考えたこともなかったです」
「人には視えないものが視えるばかりに、ボクらは無意識下で視覚情報に固執しすぎていたのかもしれないね。でも彼女は理解の本質を見誤らなかった。ボクらと同じように人と違った目を持っているのに。本当にすごいよ、アネット嬢は」
理解とは、相手を知ること。知りたいと願う心。
存在を表すのは姿形だけではない。そこには必ず、思いがある。
「視る」ことに重きを置いたヴィジブル・コンダクターが長らく忘れていたものを、超色覚の世界で生きながらも人の思いに寄り添い続けた少女は、ずっと手放さなかった。
「アマネさん。まだ、世界は暗いままですか?」
「……!」
その優しい問いかけに、固く閉ざされた
火傷の痕も、包帯も。彼女の瞳を閉じ込めるものは何もない。
アーティが
陽に照らされて花が開くように、マコトの目の前でゆっくりと
光が角膜を通って瞳孔が動き、水晶体がピントを合わせて網膜に届く。
あの日食べ損ねた眼球が少し上を向いて、目が合う。
この瞬間だけを、二人はずっと待ち侘びていた。
「……色が、違う」
細い指が形の良い輪郭をなぞり、涙で湿った目元に触れる。
想像していたどんな瞳とも違う。彼はたくさんの美しい景色を拙い言葉で伝えてくれたけれど、そのどれよりも、ずっと――……。
「綺麗な目だね、マコト」
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