第54話 答え合わせ




 マコトに案内されたのは、立ち入りを禁じられた東館の三階。

 現像した写真が散らばった、足の踏み場もないような部屋だった。

 壁には余すところなく額入りの写真が飾られている。被写体は全て、白昼夢の怪物。


 アーティはこの場所を知っている。アマネが見せた夢の中で、二人が写真を選んで笑い合っていた部屋だ。当時はなかった医療用ベッドと延命装置が並ぶ物々しい様子が、今生の苦難を物語っている。


 夕日が差し込む窓辺に置かれた椅子が、伴侶の定位置だった。

 ここで彼女の寝顔を見つめ、延々と悔いを募らせる日々。

 そんな生き地獄のような毎日も、今ではただ愛おしい。


「デイドリーマーズはただ魂を食べているわけじゃない。食べた魂は分解され、輪廻の循環から解脱して新たに生まれ変わる。浄化フィルターのような役割だと思ってもらえばいい。食べられなかった魂はフィルターを通ることなく生前の不浄を抱えたまま同じ肉体に宿り、その魂の持ち主に禍害をもたらす」


 努めて淡々と語るマコトが、人工呼吸器に繋がれた老婆の額を撫でた。

 髪の毛は全て抜け落ち、骨という骨が浮き出た見るに堪えない痩躯そうく。アーティの後ろで、ララが目から溢れた潤滑油を拭った。


 生命活動を維持するための脳幹が機能を停止した今、機械で命の終わりを薄く引き延ばしているに過ぎない。あと1時間もすれば、心臓は完全に止まる。


「俺が見つけた時には植物状態だった。延命治療を止めようとしていた家族から彼女を引き取って、もう50年になる」


 不浄が積み重なったアマネの魂は穢れきっている。次はないだろうとマコトも察していた。最後まで輪廻から解脱できなかった魂がどうなるのか、彼も想像がつかない。


「本当はどこかで食べてあげなくちゃいけなかった。でも、どうしてもできなかった」

「マコト先生……」

「愛なんて詭弁きべんだ。これは呪いだよ。結局俺は、アマネを苦しめることしかできなかった」


 言葉で自傷行為をしているような彼の失望に寄り添いたいなんて、そんな傲慢さをアーティは持ち合わせていない。

 ただ――……眠り続けながら大切な人の幸せを願っていた彼女の気持ちだけは、ちゃんと届けたかった。


 点滴の注射痕だらけの手を、アーティが労わるように撫でる。


「やっと会えましたね、アマネさん」

「……どうして名前を?」

「もう、先生が寝ぼけて言ったんじゃないですか。それに私、ここに来てからずっとアマネさんに呼ばれていたんです。気絶してる間にゆっくりお話できました」


 巨像の専用食でない彼女に、受肉前のような異能はない。しかし輪廻に長く留まり続けたことで、肉体から魂が離脱しやすい状態にあったのかもしれない。

 アマネはアーティの視界に干渉し、マコトが言い淀んでいた全てを代わりに打ち明けた。その命を賭して。


「アマネさん、先生と全く同じことを言っていました。何度巡り会っても幸せにできなかったって。残される先生のことをとても心配していました」


 それは、残酷な運命に囚われた二人しか知り得ない記憶。

 眠る彼女へ向けられた色違いの瞳から感傷が零れ落ちていく。一歩間違えれば明けない悲嘆に暮れそうなほど、横顔を悲壮に染めて。


 色彩を失ってまで、何のために、誰を思ってファインダーを覗き続けていたのか。その答えを教えてもらったアーティは、薄氷の上を歩くように慎重に言葉を紡いだ。


「マコト先生が撮った写真、見たかったって。オーロラを泳ぐイルカとか、北極の巨大クワガタとか。説明されても大雑把すぎて全然わからなかったって、笑ってましたよ」


 ベッドのすぐ横の壁に飾られたその写真を見つけて、いつしか彼女も涙声になっていた。


 マコトが見せたかった世界、そしてアマネが見たかった愛情を目に焼き付けて、託されたことを成す。そのためにこの色鮮やかな世界を授かったような気がする。


「……そうだ」


 アーティの脳裏に浮かんだのは、マリーとヴァイクの最後の姿。

 入り口近くで様子を見守っていた二人のウォッチャーへ急いで駆け寄った。


「ヴァイクさんを実体化したあの装置、貸してください!」

情報転写式具現装置リアライズのこと? アネット嬢、もしかして無謀なこと考えてない? あれはデイドリーマーズ専用の装置で……」


 少女の考えを察したフィリップがそれをたしなめめようとすると、隣にいたユリウスがジュラルミンケースを差し出す。


「彼女にはもう時間がない。やるなら急ごう」

「……ありがとう」


 サイドテーブルの上をどかして忙しなく準備を始める二人の背中を見て、「若いねぇ」とフィリップが笑う。止める様子はなかった。


 ユリウスが素早くケースを開け、内蔵されたタブレットの電源を入れる。瞬時に小型ドローンが自動飛翔した。

 涙を拭うことすら忘れたマコトが、天井付近で静かにホバリングする装置を見上げる。


「アーティ、何を……」

「デイドリーマーズが情報の器に定着するなら、魂だって同じことができるかもしれません」

「無理だよ、そんな前例は――」

「無理でも無謀でも、可能性が少しでもあるなら諦めたくありません。先生とアマネさんが言葉も交わせないままお別れするなんて、そんなの嫌です」


 静かに終わりへ向かおうとしているアマネを挟んで、二人の視線が交差する。


 銃口を向けられた時も、大津波に呑まれそうになった時も。

 どんなに困難な状況だろうと、アーティは諦めなかった。ただひたすらに前だけを見据え、信じた道を突き進む。そんな彼女の姿を誰よりも近くで見て来たのはマコトだ。救われていたのも。


 かつて自分の命を狙っていた男と並び、決意を灯した青い瞳がタブレットを見つめる。

 画面には『Set up-Complete』の文字が浮かんだ。


情報転写式具現装置リアライズ展開スタンバイ


 バリトンボイスの声紋認証でシステムが起動した。黒いバックグラウンドに蛍光グリーンの文字が表示された入力エディターが浮かぶ。

 既存データのインプット画面をタップで閉じ、『Date...』とだけ表示されたまっさらな入力画面をユリウスが指差した。


「ここに彼女の情報を打ち込め。文章でもいいし、単語だけでもいい。とにかく詳細で精密に、なるべく本物に近づけるようにな」


 アーティは深く頷き、目を閉じる。


 脳裏に揺れる藤の花。

 思い浮かべるのは、二人ぼっちの山の中に息づいていた彼女の面影。



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