第22話 沈溺の予兆




「奴が本当にアレセイアだとしたら――……フランチェスカ統括の指示は?」

「え、報告なんてしてないけど?」

「はぁ!? エネミーアイズですよ!? しかも上層部ビビリどもがあの写真のせいで過敏になってるの知ってるでしょう!?」


 カフェでテイクアウトしたフロートをズゾゾッとすする呑気な横顔を、緑葉の瞳が鋭く睨みつける。

 なぜこうも問題行動ばかり起こすのかと、収穫期の稲穂のように輝く前髪を掻きむしった。


「だってデイドリーマーズの写真を撮るエネミーアイズとか、超おもしろいじゃん! 実験したい! 解剖したーい!」


 いつになく目を輝かせる狂犬は、デイドリーマーズ専門の研究者でもある。


 以前は後方支援の研究班に所属していたが、未知の生態に魅了され「もっと鮮度のあるサンプルが欲しい!」と前衛部隊であるウォッチャーに異動してきた変人だ。

 好奇心がおもむくままの得手勝手は日常茶飯事で、優秀な部下が常に尻ぬぐいをさせられている。つくづく組織に向いていない人間だ。


 ユリウスはまた独断専行に励もうとしている上司へ、心底呆れた視線を向けた。

 虫取り少年が振り回す網の役割で連れてこられたことを察して、沸々と腹の中が煮立つ。だが一度興味をそそられてしまった問題児は、もう誰にも止められない。


「……気が済むまで遊んだら、ちゃんと報告入れてくださいよ」

「さすがユーリ、わかってる~」

「呆れてるんです」


 これでみすみす取り逃がすようなことがあれば、ドイツ支部は終わりだ。

 ユリウスは気怠い返事をしながら前髪をかき上げ、指の隙間から遠ざかる二人の後ろ姿を見つめる。


 どんな理由であそこまでグロッキーになっているのかも気になるが、何よりここに来た目的は何だ。まさか本気で観光しに来たわけでもあるまいし。奴が本当にアレセイアなら、撮影対象はやはり――。

 そこで彼は思い立った。フロートと一緒に購入した夕刊閲覧用のIDをガジェットに打ち込む。


 高級リゾート街であるビンツには、国内外シーズンを問わず、指折りの名家がこぞって集まる。そのため警備は行き届いており、治安は比較的良い街と言えるだろう。新聞の大見出しになるような凶悪犯罪はめったに起こらない。いや、起きてはならないのだ。


 空間ディスプレイに表示したデジタル夕刊には、隣国大使来訪の記事やシーズンによるリニアの時刻表の変更など、当たり障りのない見出しが並ぶ。

 その中でユリウスの目に留まった記事は――。


「水没事故……」


 コラムより小さな見出しでひっそり添えられた、物騒な見出し。


 三日間前の夜に、その事故は起きた。

 ビンツ在住の二十代男性が飲酒後に桟橋で足を滑らせ海に転落し、溺死。助けようと海へ飛び込んだ友人の男女二人も、彼の後を追った。

 若い三人が命を落とした痛ましいニュースは、関係者全員が死亡していることからほとんど事件性が浮かばず、事故処理されたと記載されている。


 リゾート出張の全貌がようやく見えてきた堅物部下を、フィリップは微笑ほほえましく眺めた。


「大自然を前に心がオープンになって羽目を外しすぎちゃう観光客の話はよく聞くけどねぇ」

「彼らは現地住民ですよ。地元の海に慣れていないはずがない」

「でも証拠がないなら警察はこれ以上動けないでしょ」

「警察なら、ね」

「おぉ~? やる気出ちゃった感じ? あーあ、ユーリが気づかなかったらこのままバカンスして帰ろうと思ってたのにぃ」

「働け」


 ヴィジブル・コンダクターの給与をはじめとする経費は、属する国の国庫から賄われる。つまり、血税だ。


 生真面目な部下の指摘にも動じることなく、フィリップはオットマンに長い足を延ばして大きく伸びをする。

 どこまでも緊張感がないくせに何もかも自分の先を行く男に、ユリウスは一生敵う気がしない。腹立たしい。


 そんなやり取りをしていたところで、フィリップのガジェットから着信音がけたましく鳴る。

 ビデオ通話に切り替えて空間投影されたのは、同胞の見事なふくれっ面だった。


『もしも~し? あたしを残して先輩とバカンスしてるクソッタレ支部長ですかぁ?』

「やぁカタリナ! 素晴らしくご機嫌ナナメだね!」

『当り前じゃないですかぁ! ミュンヘンから撃ち殺しますよぉ!?』


 カタリナなら本当にやりかねないので笑えない。

 彼女は今も地下施設に缶詰になって、エネミーアイズの調査を続けている。

 一人だけ留守番を命じられたことが相当気に食わないらしい。インスタント麺の食べカスに囲まれながら、恨めしげにこちらを睨む。


 すっかりいじけてしまった相棒に、ユリウスはやれやれと肩をすくめた。

 その様子はインカメラにばっちり捉えられていて、カタリナの愛らしい唇をさらに尖らせる。


「ドクターがNGを出したんだから仕方ないだろ。潮風で錆びたらどうするんだ」

『女子が悲しんでるのにド正論しか言わないダメンズなユリウス先輩はお呼びじゃないんですぅ!』

「だってさ~、ダメンズぅ」

(こいつら……)


 二人の好き勝手な言い分に、愚直で不器用な男の額にピキリと筋が立つ。だがここで喚いても体力を消耗するだけだ。

「もう知らん」と言わんばかりに深い溜息を吐いて、姿勢良く伸ばしていた背をシュトラントコルプにどかっと預けた。


「さてカタリナ、話を戻そうか。まさか寂しくなって連絡してきたわけじゃないだろう?」

『きっしょいこと言わないでくださいよぅ。……実はあたし、見つけちゃったかもしれないんですぅ』


 人工的なピンク色の毛先に派手なデザインネイルが施された指を絡めながら、カタリナが得意げな笑みを浮かべる。

 それから数秒のラグを経て受信した画像を確認し、フィリップは極彩色の瞳をうっとりととろけさせた。


「へぇ~……ますますボクのモルモットにしたくなっちゃったなぁ、あのイケメン」

『遊びすぎて壊しちゃだめですよぉ? 支部長は物持ちが悪いんですからぁ』


 隣で繰り広げられる物騒な会話に、ユリウスは再び溜息を溢した。


 不可解な水没事故と再び姿を現したエネミーアイズ、そして獲物を定めて動き出した狂犬。この三つ巴の邂逅は、間違いなく海の街に嵐をもたらすだろう。


 荒れ狂う海の底に沈むのは、果たして……――。



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