第21話 海の街、邂逅




 白いベンチが並ぶ海岸沿いのプロムナード。打ち寄せる波のBGMが心地良い。


 水平線が広がるビーチには、所狭ところせましとシュトラントコルプが身を寄せる。箱型の形をした二人がけのビーチチェアで、ドイツの海の風物詩だ。

 春先の海はまだ冷たく、遊泳する観光客は少ない。

 浜辺の白い揺り籠に並んで座り、風とさざ波の音を静かに楽しんでいる。


 長い桟橋に備えたフラッグが海風にはためき、潮の匂いを連れて来た。

 その先端で大きく深呼吸をしたアーティは、美しい非日常の光景をレンズに焼き付けようとカメラを構える。


「きれい……」


 思わずありきたりな言葉が溢れた。だが、それ以上適した表現が見つからない。


 時刻は日の入り。

 水平線が浮かぶ水面に白波が立って、海の反対側に沈んだ夕日を照り返して淡く輝いた。

 白い砂浜、ホテルのオレンジ屋根、大自然の緑――……テトラクラマシーの視界に映る海面は、周囲の様々な色を反射させる写し鏡のようだ。


 鮮やかな情景の全てを記録したくて無心にシャッターを切る。

 だが液晶モニターに映し出された写真は、アーティの目に映る景色とはやはり少し違った。それが少しだけ寂しい。


「先生、この場合の色調補正って……ぎゃああああ゛! せんせぇええええええ!」


 背後を振り返ったアーティから絶叫が上がる。

 マコトが板張りの桟橋に両膝をつき、胃からせり上がってくる全てを海へ還そうとしていたのだ。


「と、止めないで、アーティ……」

「いい大人が素面しらふで海洋汚染しようとしてたら止めますよぉおおお!」


 慌ててひょろっこい身体に腕を回して一緒に立ち上がる。

 こんな状況で鼻の下を伸ばすほど、アーティも落ちぶれてはいない。

 たくましい少女は青い顔をした男を引きずりながら桟橋を戻った。駅前の公共トイレまで何とか持ちこたえてほしい。


 リューゲン島における観光の中心地、ビンツ。

 ロケーションが良い海岸線沿いには、歴史的なホテルやペンションが立ち並ぶ。

 人も自然も豊かなこの街で、密かに異種族間の愛が育まれていると言うのだが……――。


「あのレンタカー店、覚えてろよ……」


 血の気の引いた顔で恨み節を吐くマコトの脳裏に浮かぶのは、歯抜けの口で「ふぉふぉふぉ」と朗らかに笑う店主の顔。無人タクシーの普及で食いっぱぐれること必至な業界は若者が参入しづらく、高齢化が著しい。


 頭皮が涼し気で耳も遠い店主の接客は、お世辞にも素晴らしいものとは言えなかった。なぜなら『景観維持と環境保全のためガソリン車が走行できない制限区域がある』という重大事項を一切説明しなかったのだから。リューゲン島はまさにその制限区域だったのである。


 快適なドライブは、本土と島を繋ぐ大橋の手前で終了した。

 交通警備局員に路肩へ誘導され「こんな骨董品に乗って、タイムスリップでもしてきたのかい?」と冗談交じりにレンタカーを没収された時の絶望と言ったらない。

 しかも島独自の寄生虫対策条例でタマキが入島拒否されてしまうという、まさに踏んだり蹴ったりな状況。

 預けたペットキャリーからとどろく「ンニャア゛ア゛アア!?」というコミカルな断末魔に、警備局員は大笑いしていた。

 その不躾な笑い声にあまりにも腹が立ったマコトは「備蓄庫すっからかんにして来い」と暴食猫に囁いた。


 依頼人との約束に遅れるわけにもいかず、かと言ってリニアには死んでも乗りたくない。

 苦渋の決断で手配されたのはマコトの宿敵、無人水素タクシー。

 機械的で容赦ないアクセルとブレーキは、不死身の男の胃袋と脳みそをぐちゃぐちゃにかき回した。


「先生がんばってください! ほら、ひっひっふぅ~!」

「それ出るヤツじゃん、うっぷっ……!」

「イヤァアア゛ア゛まだ産気づかないでぇええ!」




 そんな珍妙な二人を海辺のシュトラントコルプから眺める人影が二つ――。




「フィリップさん、今が奴を捕縛する絶好のチャンスじゃ――」

「ユーリ見てっ、桟橋でチューしてるカップルがいるよ! ハァ~ッ、お熱いねぇ~! さすがリゾート地だねぇ!」

「アイデバイス使って出歯亀でばがめするなバカ上司」

 

 隣にドカッと座るフィリップを心の底から軽蔑した目で睨みつけるユリウス。

 二人ともラフなリゾートシャツにハーフパンツ姿だ。普段からシャツのボタンを全て締める忠犬には、首元が涼しすぎる。


 嫌がる部下を「現地潜入は目立たないことが大事!」とそれっぽく言いくるめたのはフィリップだ。もしかすると本気でバカンスをしに来ただけなのかと疑いの目を向けたところで、あの二人を見つけた。


「……それで、どうやって奴らの居場所を炙り出したんです?」

「クックックッ。よくぞ聞いてくれた、ユーリくん」

「そういうのいいんで、簡潔にお願いします」

「ノリわっるぅ! そんな堅物だから27歳にもなって彼女いないんだよ」

「やかましい」


 全く会話が進まない。フィリップはいつもこの調子だ。長年一緒にいるユリウスの眉間には、それはそれは深い皺が刻まれている。商業用アンドロイドと会話する方が、まだ有益な情報交換になるだろう。


 だがしばらくすると、緊張感なくケラケラさえずっていた瞳がスッと細まった。


「アレセイアが使っていた端末の追跡に、カタリナが成功したのさ」

「アレセイアって、トーキョーの写真を拡散したアカウントじゃないですか。いったい奴と何の関係が……」

「ユーリの報告書だと、たしかアネット嬢はカメラが趣味だったねぇ」

「……まさか」


 飄々ひょうひょうとした口調のフィリップに反して、ユリウスの顔は一気に引き締まる。


 カメラ、先生、エネミーアイズ……――ばらばらに見えていたキーワードが一つの可能性を指し示す。ユリウスは右眼のアイデバイスをズームして、二人の様子をつぶさに見つめた。



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