第13話
◆
出社して驚いたのは、警官が待ち構えていたからで、何が起こったか、最初はわからなかった。
課長が怒っているような、呆れているような、不服げなような、ともかく筆舌に尽くしがたい表情で寄り添っていた。
警官と言っても私服で、高級なのか安物なのかわからない背広を着ていたけど、少なくとも僕の背広よりは立派に見えた。高級取りなのかもしれない。
人の良さそうな笑顔で「あなたが松田一実さん?」と確認してくる。そうです、以外に答えようがない。
「あなたの検索履歴がちょっと、うちの方で引っかかりまして」
「うちって、どこでしょうか」
僕としても警官の相手をした経験がない。いかにも親しげなので抵抗はだいぶ軽減されているが、警官は警官だ。変なことを言えない、という雰囲気、印象が強い。
「情報課です」
「え? 情通ですか」
思わず声にしてしまった。
警視庁に情報通信局というものがある。僕たちのような職業のものは、情報通信局のものと接触を持つことが比較的、あり、その結果、仲間内では情通などと略しているのだ。
接触と言っても、対面することは稀だが。
僕の様子に警官は苦笑し、明言しなかった。
明言しないのは、明らかに怪しい。しかし課長も同席しているし、警官であるのは間違いない。最初に僕に手帳を見せたこともある。
いったいどこに属しているのだろう。
「あまり明かせる情報もないのですが」
警官はそう言って、わずかに声をひそめた。朝でも室内は暖色の明かりしかないので、薄暗い。それがいかにも秘密めかした口調を、必要以上に強調していた。
「あなたが検索した男性は、こちらでマークしています。どうか、あまりつつかないでいただきたい」
検索した男性?
すぐにはわからなかったが、気づいた。依頼品の情報の中で違和感を持った男を、公共の情報バンクで検索したんだった。あれのことか。
あの男は、では、犯罪者か?
どういう犯罪だろう。
「よろしいですね」
はあ、としか答えられなかったが、課長がものすごい視線で僕を睨んだので、「はい、了解しました」と答え直した。穏やかに笑う警官は「何かあれば、こちらに」と名刺をよこした。名前と階級が書かれている。階級は警部補だった。しかし所属が書かれていない。
それとなく彼の表情を伺ったが、笑みが返ってくるだけだった。
彼が去っていき、課長は僕に嫌味を言ってから、仕事を始めるようにという言葉で締めくくって、自分のブースへ戻っていった。
僕が自分のブースへ入ると、昨日の検索結果がわかるはずが、あの手続きはキャンセルされていた。ブースに入ったとは聞いていないが、入ったんだろう。課長が一緒にいたのだから余計なことはさせなかっただろうし、僕のブースや端末に会社にとって不利益はなかったはずだけど、あまりいい気分ではない。
依頼品のカードを手にして、端末に差し込む前に、さりげなく周囲の音を確認した。静かだ。みんな仕事に集中しているんだろう。
僕はカードを端末に差し込む前に、別の操作を行った。
実は昨日、高橋の仕事を手伝った後、自分のブースに戻ったのだ。まだ検索は続いていたけど、古い情報に幾つかヒットがあり、その場でちょっと覗き見たのである。
それによると、あの正体不明の男性は三十年ほど前の情報の中に存在している。ただ、これは異常なことと言える。人間は三十年という時間の中で自然と姿形が変わる。太ることもあれば痩せることもある。髪型も変わる。顔にもしわが増えたりして、変化が生じる。
その変化が、僕が最初に見た情報と三十年前の情報の間で存在しないようだった。
とすると、どういうことだろう。
現代を生きる誰かが、過去の情報に干渉したのだろうか。何のために?
理由はわからないが、それよりは過去における情報が、何らかの手段により現代の情報に紛れ込んでいるのではないか。それなら三十年前の姿の男が、その姿のまま今も現れているのはわかる。わかるけど、やはり何のためにそんなことをするのだろう?
僕は端末を操作して、最新の警察の手配書をチェックした。あの男の顔があるとも思えなかったが、画像の一覧を見ている途中で思わず短く唸ってしまった。
一人の男の写真。名前は不明。しかし顔の作りは僕が見た男に似ている。画像が撮影されたのは三十年以上前。罪状は情報犯罪、となっている。
指名手配ではなく、懸賞金もかけられていない。そもそも名前がわからないのは、特異だった。手配書には、気にかかることがあれば通報するように、という文章が添えられていた。
なるほど、ここと結びついたわけだ。
この謎の人物は、早晩、警察に捕まるのかもしれない。
端末の設定を切り替えて、僕はカードを手に取り、差し込もうとした。
その手を、思わず止めていた。
あの男は何者だろう。どうして他人の情報の中に、公共の情報の中に自分を残している?
まだ生きているのだろうか。僕が見た画像では三十代に見えた。なら今は、七十代程度だろうか。普通に生活しているのか、それともどこかに身を隠しているのか。
不思議と、家族がいるのか、ということは想像しなかった。
それは僕が目の当たりにした、断片的な男の様子からの推測だったが、どうしてか確信に近いものがあった。
彼は一人でいるだろう、と。
探せるとは思えない。そもそも警察が探しているのだ。僕という個人で組織を出し抜けるわけがない。
考えるのはやめよう。
今度こそ僕はカードを端末に差し込み、多機能グラスで目元を覆った。
男の姿がちらついた気がしたが、すぐに他人が記録した情景が見えてくる。
なんでもない場面に、男が潜んでいるような気がして、僕は無意識に緊張していた。しかし男は出てこない。カードを交換する時、多機能グラスを外した時に、男がブースを覗き込んでいる気がして振り返ることも再三だった。もちろん、男がいるわけもない。
あの男は、情報の中にいるのだ。
現実にいるわけではない。少なくとも、あの姿では。
昼休みに同僚と顔を合わせたが、「情通に目をつけられたのか」とか「あまり目立つなよ」とか、からかわれるくらいだった。僕も笑い返しておいた。
昼食を食べるべく都市の往来に出ると、数え切れないほどの人が、それと同数の人生を生きているのに直面する。そして同数の情報が今、この時も生まれているのだ。
結局、あの男は情報の中にしかいないのだろうか。
例えば、すでに故人になっていて?
生きているのなら、聞いてみたかった。
他人の記録化された記憶に、どうして自分を割り込ませたのか。
その犯罪行為、あまりにも奇妙な犯罪の動機が、気になった。
こういうのを好奇心というのか、それとも、野次馬根性というかは、人それぞれだろう。
少なくとも、僕が小さな中華料理屋へ向かう途中のどこにも、あの男がいないのは事実だった。
僕の記憶の中に、彼は存在しているのに。
情報の中の存在として。
現実にはいないとしても。
(続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます