第12話

      ◆


 ブースの仕切りを叩く音で、僕は多機能グラスを額に押し上げた。

 無数のブースに仕切られた室内は薄暗い。天井の照明は落とされて、間接照明の暖色の光が周囲を浮かび上がらせていた。なんでも多機能グラスを外した時に強い光で目を痛めるのを防止しているらしい。

 椅子を軋ませて振り返ると、同僚が立っていて、こちらにカードの束を投げ渡してくる。

「それを今月中にだと」

 カードは全部で四枚、雑に輪ゴムでまとめられていた。輪ゴムは劣化すると張り付いてしまうので、さっさと外しておく。しかし、四枚か……。

「僕にはまだこれだけ残っているけど」

 ブースの中のL字型のテーブルを指差してみせる。カードが六枚、積まれている。

 同僚が顔をしかめて、鼻を鳴らす。

「お前はまだマシだ。高橋の奴は十五枚も抱えているところに、追加で五枚だ。ありゃどうも、納期に間に合わないな」

「どうで僕たちで手分けして間に合わせることになるはずだよ。会社の看板にうちの課で泥を塗るわけにもいかない。で、小池は」

 僕がそう確認すると同僚の小池は「俺は残業しなくて済みそうだ」と答える。羨ましいな。

 彼が去っていき、僕はもう一度、多機能グラスで目元を覆う。

 僕が所属している会社は「ファクトチェック&サーチ」という中規模企業で、記録装置の中にある情報の整理をするのが主な仕事だった。

 重層記録素子の普及が進むと、ありとあらゆる情報が記録されるようになった。それは過去におけるデータ容量の単位が使われなくなるほどの、大革命につながった。

 しかし今度は、あまりにも情報が膨大なために閲覧に支障をきたす事態が出来した。

 三十年前には「人生の全てを記録化できる」などと、まるで夢の技術のようにもてはやされたが、実際に記録したところで、他人の人生を一から十まで追体験する物好きなどいなかった。それは自分の人生を潰し、他人の人生という物語に乗り換える、不毛な行為だった。

 国家の計画として一部の天才や有力者、政治家などは人生を記録化したが、それはそれで別の問題もあった。脳に存在する記憶を読み取る手術の精度が完璧ではなく、一万人に一人という高確率で身体に不調が現れた。

 有名なところでは内閣総理大臣も務めた老境の政治家が手術を受け、結果、精神に不調をきたし、最後には錯乱して投身自殺したこともあった。

 ともかく、この脳の情報を記録化する事業は、今から二十年前には完全に下火になり、記録装置は本来的な役目、必要な情報のみを記録する、というところに落ち着いた。

 それでもその大容量を生かした、複雑な情報がそこには書き込まれる。いくつかの簡易的な装置で、まさしく追体験するように情報を受け取ることができる。これも過去の時代の遺産だった。

 映像、音声に限らず、五感に影響を与え、感情さえも付随する。

 感情の記録と閲覧は法律によって限度が決められたのがやはり二十年前。それまでの間に精神を病む者、身体機能の不調をきたす者が少なくない数、発生していたが、国は調査を途中で打ち切った。掘れば掘るほど、被害者が出てくるからだと噂された。

 ともかく、僕がやっている仕事は、持ち込まれる様々な情報を、依頼通りに剪定する作業だった。同僚の間では、自分は「編集者」だと口にする者もいるが、僕の感覚では、他人の庭へ行き、そこに生えている植木の飛び出た枝葉を切っているようなものだ。

 僕が切り落としていくのは情報だ。必要ないところは消去し、要点をつなげていく。流れの中で主張が強すぎる部分はそれを抑える。

 ちょっとした映像編集に近いが、やっていることは複雑だ。

 何せ持ち込まれる情報はただの映像と音声ではない、感情も記録されていれば、それ以外の触覚や味覚さえも介入してくる。

 今も僕が見ている映像の中では、誰かと誰かが食事をしているが、自分は男らしいと向かいに座る女性の瞳に映りこむ映像でわかる。依頼書を確認すると、この視点の男性が緊張しているところを隠したいとある。そうなると、女性と食事ができて嬉しい、楽しいという感情を残しながら、緊張はほどほどに抑えないといけない。

 手元に握った装置で、ボタンとつまみ、圧力を感知する球体を複雑に操作し、感情の調整をする。

 おおよそが終わり、また一から場面をチェックする。ここが済めば、次は二人が古い町並みを歩くシーンを剪定しないといけない。なんでもチンピラに絡まれる場面があり、そこでの恐怖を切り取っておいて欲しいそうだ。

 食事の最中、視線が不意に窓の方を向いた。なんでもない場面だ。音が付随しているので、外でクラクションが鳴ったと僕にはわかっている。

 視線が正面に戻る。

 何かが引っかかった。手元の装置で窓を見たシーンへ巻き戻す。負担を減らすために、音を絞り、感情も絞り、再生。

 映像が流れる。窓の外を見て、戻す。

 もう一回。

 窓の外が見渡せたところで一時停止。通りを行く人たちも同時に停止している。

 食事をしているレストランの表の通り、何かの建物と建物の間に、誰かが立っている。もちろんこちらを見てはいない。ただ立っているだけだ。しかしそこは路地ではない。不自然だ。

 何かが僕の脳裏を刺激した。

 見覚えがある気がしたのだ。

 ちょっと迷ってから、僕は手元を操作してその男を撮影し、保存した。作業に戻る前にその男の映像を補正させ、ついでに検索をかけさせた。まずは今のカード。

 作業がおおよそ終わる頃に、検索の結果が出た。

 二つ、ヒットしている。一つはもちろん、レストランから外を見たシーン。もう一つは、ずっと後、夜の街を歩いているシーンで、男とすれ違う。

 しかしやはり男はこちらを見ない。

 僕は多機能グラスを外し、椅子の背もたれに寄りかかって天井を見上げた。その姿勢のまま腕時計を見る。終業時間まであと十分だった。

 ちょっと迷ってから、公共の情報バンクにアクセスし、男の風態を検索させた。これで今日は残業確定だ。

 高橋の手伝いでもしてやるか、と僕は椅子から立ち上がった。腰が痛む。少し捻るとバキバキとすごい音がした。たまにはスポーツジムに行かないと、老後に厄介なことになるかもしれない。杖をつくくらいならいいが、車椅子は勘弁だ。

 ブースを出るとき、端末の表示をチェック。

 検索中の表示が出ている。

 通路を進みながら僕はまだ考えていた。

 あの男に見覚えがあるのは、何故だろう。規則で依頼品のデータを端末に残すことは、個人情報の保護の観点から許されない。もし他人の記録で見たとしても、今更、確認はできない。しかしそれはそれで不気味だ。

 公共の情報でヒットすればいいのだが。



(続く)

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