第7話

      ◆


 母の記憶障害がぐっと悪くなったのは、ちょうど梅雨に入った頃だった。

 最初は天気の話題に齟齬が生じたことだった。前日の天気を覚えていないのである。最初、僕はそれがちょっとした勘違いだろうと思っていた。

 一週間ほどして、帰宅すると母はテレビをじっと見ていたが、その表情が憔悴していた。

 僕が声をかけると身振りで、おかえりなさい、と伝えてから、ちょっとの間の後に、相談があるのだけど、と身振りが続いた。

「どうしたの?」

 表情から血の気が引いていたので、僕の心のうちには不安が一気に膨れ上がった。

 母が身振りで、伝えてくる。

 テレビの字幕がよくわからないの。

 僕は最初、意味がわからなかった。黙っていると、母の手話が続く。

 新聞もよく読めなくて。文字が読めないのよ。

 僕は背筋が震えた。

 記憶障害の重大な症状として、以前、医者がそのことに触れたことがあった。今はその兆候がないが、いつか発症するかもしれない、という話だった。あれはもう五年以上前のことだ。五年。発症するとしても、もっと先のことだろうと思っていた。

 僕は立ち尽くしている自分に気づき、何度か頷いた。それはまるで自分を納得させようとしているような動作だった。

「明日、病院へ行こうか」

 母が顔を伏せ、そのまま手だけを動かした。

 仕事があるでしょう。急に休んだら迷惑をかけるわ。

「別に構わないよ。大した仕事じゃない」

 いいのよ、急に欠勤じゃなく、ちゃんと申請して休みを取りなさい。

「いいんだって。母さんのことが不安で、仕事に集中できないんじゃ、やっぱり迷惑だろうし」

 母は何かを伝えようと手を動かそうとしたが、その手の動きが不自然になる。まるで人が口ごもるように、母の手話は滞った。

 まさか手話さえも忘れつつあるのか。僕が半ば絶望的にそう思った直後に、やっと母ははっきりと手を動かした。

 ごめんね。迷惑をかけるけど、お願いね。

「うん、大丈夫。病院には連絡しておくよ」

 母は電話機を使えない。発話能力が失われているので、普通の電話は使えない。映像通信で連絡する方法も、端末の操作方法を記憶障害で覚えることができず、操作できない。

 僕が代わりに病院と連絡を取り、翌日の午前中に予約を取ることができた。

 その日もいつも通り、レトルトで食事をした。母は普段よりも消沈した様子だった。自分の状態、症状に不安を感じているんだろう。僕にできることは少ない。励ますこと、そしてできるだけ明るく振舞うこと。でもそれは母を支えるには、あまりに弱い力しかなかった。

 翌日も雨だった。二人で傘をさして坂道を下る病院への道を歩く。僕はバスで行ってはどうかと提案したけど、外の空気が吸いたいから、と母は歩くことを選んだ。

 雨の匂い、普段より濃厚な緑の匂いの中を、並んで進む。パラパラと間断なくビニール傘を雨だれが打ち、音を立てる。

 病院はそれほど混雑していなかった。受付をして、少し待つと診察室に通された。

 脳機能科と呼ばれる診療科で、医者は若い男性だった。ここ四年ほど、何かがあるたびに診察してもらっている。噂では、人当たりが良く、明快な物言いをするので、いい医者だとされている。僕の中での評価は、どちらとも言えなかった。人として善人でも、医者として僕の母を治療できないのでは、善人でも意味はない。

 診察が進む中で、彼は「ちょっと良くないですね」と口にした。

「記憶障害の中でも、ステージ四の可能性があります。記憶除去手術の後遺症の中でも、進行性の疾患ですから、あまり時間もかけたくない。手術をした方がいいのですが、どうしますか」

 手術、と思わず僕は繰り返していた。

 母がこちらを見ている。すがるような眼差しから、僕は思わず目を逸らした。

 手術費用を工面しないといけない。どれくらいの額だろうか。払えるのか。

 しかしここで金を惜しんで、母を今以上の苦境に立たせるのでは、本末転倒だ。

 母のためには手術を行うしかない。

「お願いしてもいいですか」

 僕がそう言うと、医者は頷き、母の考えを確認した。母も手話で、手術を受けます、と伝えた。

 医者がどこかと連絡を取り始め、三日後に行うと即座に決まった。それほど切羽詰まった状態が、今の母の状態だとやっとわかった僕だった。金がないなどと言っていてはいけないのだ、と自分に言い聞かせた。

 この日から入院することになった。

 僕と母は一度、診察室を出て手続きが終わるのを待った。

 長椅子に並んで座る二人は無言だった。

 母が僕の手を不意に握り、ぐっと力を込めた。いつの間にか痩せて、シワが目立つ小さな手は、その見た目に見合わない強い力で僕の手を握りしめた。

 やがて手続きが始まり、母は四人部屋のうちの一つのベッドを割り当てられた。

 僕は明日の夕方にまた来るから、と辞去した。

 一人で部屋に戻り、一人で食事をする。狭い部屋なのに、普段より広く感じた。いや、広いというのではなく、ガランとしている。空白が僕を押しつぶそうとしているようにも思えた。

 静かな室内を意識しないように、少しだけテレビの音量を上げた。でもその程度のことで、この不慣れな静寂は掻き消せないのだった。

 翌日、仕事が終わってから病院に見舞いに行った。母が文字が読めないのでは退屈だろうと、僕は小さなラジオを用意して、それを持って行った。母は微笑みながら受け取って、早速、耳にイヤホンをつけていた。

 僕は看護師を通して手術費用の話を聞き、おおよその費用をなんとか賄えることに安堵した。貯蓄はぐっと減ってしまうが、気にしている場合ではない。手術費用に関しては、僕は母には伝えなかった。伝えられても、伝えられなくても、苦しいだろう。僕は後者を選んだ。勝手に。僕のわがままで。

 そうしてあっという間に手術の日になった。この日も仕事を休み、僕は手術室に運ばれていく母を見送った。

 待合室で待つ時間は、長かった。何度も時計を見たが、全く針は進まなかった。それなのに頻繁に、繰り返し時計を見てしまう。そうして時間に変化がないことに、不安が膨らんでいくのだった。

 手術は一時間ほどで終わった。

 手術室を出た母は意識がなく、眠っているようだった。

 看護師が呼びかけると、母は瞼を開けた。しかし言葉はない。発話能力を回復する手術ではない。

 看護師が繰り返し呼びかける。

 違和感があった。母は頷きもしない。表情を変えようとしない。視線さえも宙を見て、焦点が合っていないようだった。

 看護師がどこかと連絡を取り始める。医者がやってきて、やはりどこかと連絡を取った。

 母はそこから検査室へ運ばれていき、僕はまた待合室で待つことになった。

 結論として、手術は失敗した。

 母は生きてはいるが、意思を表現する手段を失った。

 植物状態に限りなく近い母を前に、僕は言葉を失い、動くことすらできなかった。

 医者を責めることも、自分を責めることも、運命を責めることもできず。

 ただ立ち尽くしたのだった。

 無力そのものの姿で。



(続く)

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