第15話

       ◆


 夏休みの間にも奈津高校では各種の補習がある。

 そこはいかにもVR学校らしく、講師陣は本来の教師だけではなく、各地の進学塾の講師が受け持ったりする。

 僕は現代文を本来の教師のコマを取りながら、同時に進学塾の講師のコマも取っていた。重複させる意味はないけど、時間割の関係で可能だったし、それぞれで扱う題材が違うので想像以上に面白かった。

 そんなわけで、夏休みと言いながら、毎日のようにVR空間に浸っていた。図書室も開いているので、読書が捗る。

 他のクラスの生徒と同じ教室に入ることが増えたので、自然と話をするようになる相手もいた。中には僕や俊範、雛子のことを談話室で見た、と言い出す奴もいるし、僕を図書室で見て知っていた、という奴もいる。

 入学からこれまで、この学校の生徒はどこか閉鎖的なのではないか、と思っていたけど、こうなってみるとみんな、実に開放的だ。独特の間合いではあるものの、人間らしいコミュニケーションがそこに生じている。

 この関係は、決して否定できないだろう。

 人間同士は、どんな形ででも交流を行う生き物だ。昔はVR空間はなかった。インターネットも電子メールもなく、もっと遡れは携帯電話もなく、電話すらなく、もっと昔になれば郵便もなく、太古に至れば文字を書けないものさえいた。

 新しい技術や、文明や文化の水準が上がるたびに、きっと人同士のコミュニケーションは変化しただろう。古いものこそを頼るものもいれば、新しいものの価値に気付くものもいる。

 ともかく、僕が今、こうして木々が枝葉を広げるように拡張している人間関係も、紛れもなく関係の一形態だ、ということ。

 そんな具合で俊範のことは頭の隅に追いやられ、僕の夏休みは新しい知り合いと、現代文のテキストに占領されていた。

 だから補習のあと、俊範が待ち構えていたのには驚いた。僕は自分が何のコマを取っているか、彼に伝えていなかったのだ。

「何の補習を取っているの?」

 僕の方から真っ先にそう声を向けると、俊範は素早くアバターに不機嫌そうな顔を作らせ、そっぽを向いた。

「最低限の補習だよ。あまり乗り気でもなくてね」

「まぁ、欠席しないだけ、上等だね」

 実は僕は補習が始まった最初の頃、俊範の姿を探した。しかし彼のアバターは見当たらなかった。だから彼がおそらく補習をすっぽかしているんだろうと見当をつけていた。今の言葉はその真偽を確かめる引っ掛けだったけど、俊範は乗ってこなかったわけだ。

「実はな」

 俊範が小さな声で言う。深刻で、不穏な発音だった。

「森川の家のそばまで行ってみた」

 これにはさすがに僕も黙っていたし、アバターをどういう表情にすればいいか、全くわからなかった。

 彼はそんな僕を無視して、話を続ける。

「家のそばと言っても、最寄駅のことだ。結構、遠かったけど、早朝に出発して深夜になる前に帰ってこられた」

 駅、という表現にとりあえず安心した僕だけど、どちらにせよ雛子としては不愉快だっただろう。

「逆に謝られた」

 そう俊範が続けたので、僕は無意識に息を飲んでいた。

「謝ったって、内藤が、じゃなくて、森川さんが謝ったの? どうして?」

 わからん、と俊範が唸るように言葉にする。アバターの表示は不機嫌のままだった。変えるのを忘れているのだ。

「森川の奴、しきりに俺に謝った。謝り倒したと言ってもいい。近くに来てもらったのにごめんね、ってほとんど泣き出さんばかりだった」

 僕はそれを聞きながら、どう言葉にすればいいか、わからないまま困惑していた。

 謝った。

 なぜ、森川雛子は謝ったのだろう。

 顔を見せられなくて申し訳ない、という気持ちの展開、理屈は理解できる。

 でも俊範は実際にすぐそばにいて、どうして会えないのだろう。

 奈津高校では外見を気にして人前にでたがらない生徒はいる。そういう生徒のためのVR高校でもある。

 しかし雛子はあの修学旅行の前、最初から欠席という立場を取らなかった。計画を立てるのに参加し、意欲を見せ、楽しみにしているように見えた。

 なら姿を見せるのに否やはないはずだ。

 それとも演じているだけで、実際には姿を、顔を見られたくないのだろうか。

 それよりも、気になることがある。

 もし僕が雛子の立場だったら、怒るような気がする。

 これは全くの予想、空想、僕の感覚の話だ。

 勝手に自分の住む地域を特定して、訪ねてきて、そばにいるから会おう、と言われたら、不機嫌になる、不愉快に思うだろう。

 とても謝る気にはなれない。

 それは僕の感覚がおかしいのだろうか。

 どうして雛子は相手を責めるより、自分が謝罪する方を選んだのか。

 それが絶対におかしいとは言えない。人それぞれに、人間関係の作り方や守り方、進め方があるのだから。

 でも、僕と俊範と雛子の、三人の間の関係においてはどうだろう。

 僕の中の雛子は、そういう俊範の勝手な行動に、怒るのではないか。

 でも実際にはそうはなっていない。

 僕が雛子を知らないだけなのか。僕が雛子と俊範の関係を勘違いしている?

 俊範は「参ったよ」と漏らしていた。

 僕たちは何の結論も出せないまま、その日は別れた。

 俊範のアバターは、どこか悲嘆に暮れているように見えたけど、アバターはアバターだ。

 僕たちの関係は、どこか歪なのかもしれないと、刹那だけ僕は思った。



(続く)

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