第13話

      ◆


 修学旅行が終わり、元の学校生活が再開された。

 半月もせずに期末試験になるので、修学旅行前の浮ついた空気はどこかに霧散してしまった。

 僕は談話室で夕方、彼女と会った。

「北海道のお土産を渡せないのが残念だわ。結構、良かったよ、北海道。ラーメンがただのラーメンのはずなのに、別物だった。ソフトクリームも。濃さが違うかもな」

 そんなことを彼女は口にして、しかし僕が答えられることといえば、例の友達が欠席した、という話題だった。

 これには彼女はちょっと驚いたようだ。

「運が悪かった、ということになるんでしょうけど、不思議なこともあるのねぇ」

「まぁ、運が悪かった、ということ。でももう一人の友達がどうにも深入りしている」

「それは例えば、恋愛感情ではなく?」

 思わぬ発言に、僕は彼女のアバターを睨みつけてしまった。もちろん、僕の目つきなんてアバターには表現できない。その表現できないものを読み取れる人は限られる。

 その限られた一人が、彼女だった。

「そんな顔しないで。わかったわ、そういうんじゃないのね」

「彼は興味本位なんだ。好奇心旺盛で、困っている」

「修学旅行で決着がつけばよかったのにね」

「僕もそう思う」

 短い間、どちらも言葉を発さなかった。少し離れたところから名前も知らない生徒たちが話しているのがかすかに聞こえる。時折、笑い声が弾けると、それが強く響いて、あっさりと消えていった。

「前に話したこと、覚えている?」

 前に話したこと?

「何のこと?」

「あなたの友達の女子の、プライベートの話。具体的に言えば、住所」

 さすがに僕は返事ができなかった。

 そんな個人情報がどこから彼女の手元へ行くのか、想像がつかない。

 僕の個人情報もしかるべき立場の人を通せば、自由になるのだろうか。

「たまたま、同じ中学校の生徒が知り合いにいたのよ」

 彼女は言い訳をしているようでもなく、平然としたいつも通りの口調で言葉を発している。

 本当なのか、それとも演技が完璧な嘘だろうか。

 答えは見出せない。アバターに隠れてしまって、僕が彼女の思っているところを見抜くには、その言葉から手がかりを探すしかない。しかないのに、彼女の言葉は自然だった。

「いい? 女子生徒の住所は……」

 彼女は平然とのその先を告げる。僕は反射的に普段は切ってる会話のログを起動して、その部分だけ記録した。すぐに機能をオフにする。彼女との会話は極力、ログに残さないようにしている。

「悪用しないようにね。問題が大きくなるから」

「わかっている」

 わかっているけど、どう使えばいいかはわからない。

 結局、この日は彼女は修学旅行の話を再開し、僕は聞き役に徹していた。

 翌日、僕は俊範に彼女から教わった情報を伝えるべきか、迷った。

 迷った末に、実は彼女が住んでいる地域を聞いてしまった、と俊範に打ち明けた。

 彼の善意を信用していたし、この情報で僕たちが不審に思っている雛子の立場が、解消されればそれで済むのだ。

 僕と俊範の中にある疑念は、雛子を傷つけるかもしれない。

 無視していれば、雛子は傷つかないはずだった。

 でも僕たちはあまりにも深入りしすぎていた。

 授業が終わって解散になる前、僕たち三人は自然と集まって、雑談をしていた。

 その中で、俊範がまた天気の話題を出した。これは脈絡がなく、自然ではない、まったくの不自然だった。

「うわっ、すごい夕立が降ってきた」

 そう俊範は切り出し、僕と雛子に天気を確認したのだ。

 雛子はこちらは晴れている、と笑っていた。

 一度、別れてから僕と俊範は談話室で顔を合わせた。まだ授業が終わってすぐなので下校していない生徒が多い、談話室は混み合っていた。それでもVR空間なので、席は無限にある。

 向かい合った僕と俊範の間でやり取りされた会話は簡潔だった。

「僕が聞き込んできた森川の居住地は、さっき、間違いなく晴れていた」

「気象庁で調べたわけだよな?」

「もちろん。念のために地元のテレビ局の情報も確認した。間違いはない」

 つまり、僕と俊範の中の疑いは否定する材料が、ここに間違いなく一つあるということだ。

「なぁ、上村。お前には住所が分かっているんだよな」

 だから俊範の言葉に含まれている不信感に、僕はちょっと狼狽えた。

 確かに彼女から聞いている。

「正確じゃないかもしれないけどね」

「じゃあ、それを教えてくれ」

「おいおい、それはやりすぎだよ。僕としてもおいそれとは伝えられない」

「隠すなよ、俺とお前の仲じゃないか」

 どういう仲だよ、と笑い飛ばそうとしたけど、僕の声は頼りなく、力が入っていなかった。

「悪用はしない。俺は気になるんだ」

「そんなに気にする必要ない、と僕は言っているわけだけど」

「俺の恋路を邪魔するつもりか?」

 これこそ、俊範の冗談だっただろう。

 冗談だけど、笑えなかった。俊範も笑っていない。

 僕に何が言えただろう。

 結局、僕は住所をおおよそ、伝えていた。僕が伝えた内容さえあれば、あとは現地でいかようにも確認できるはずだった。

 間違っているはずだ、と思いながら、僕は伝えてしまった。

 それで何が起こるとしても、責任を取れる、そういう人間なら良かったのに、僕にはそんな意志も決意も、覚悟も無かった。

 でも伝えてしまったのだ。

 一度、言葉にしてしまったものは、二度と引っ込めることはできない。

 俊範の記憶に、僕たちの会話のログの上に、それは残り続ける。

「気にすることはない。迷惑はかけないさ」

 そう俊範は言うが「迷惑なんて」としか僕はいえなかった。

 迷惑なんて、かけられても嫌じゃない。

 友達なんだ。

 僕の方こそ、俊範を悪い方向へ進ませているんじゃないか。

 僕が考えているのは、それなのだ。

 言葉にはできない、大きな、よく見えない、曖昧な、不安。

 僕は何かが心に引っかかったまま、日々を過ごすことになった。

 いつの間にか僕も、後戻りができないところに踏み込んでいると、この時、やっとわかった。


(続く)

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