第9話

     ◆


 放課後の談話室。

 既に仮想の窓の外は薄暗くなっている。実に細かな仕様なのだ。

 本を読んでいる僕の横を回って、今日は隣の席に彼女が腰かけた。僕はさりげなく本を閉じた。キャップ同士を触れ合わせて、その回数で簡単に閉じられる。書籍の形のオブジェクトはゆっくりと閉じ、消えた。

「ちょっと遅くなっちゃった。こちらも修学旅行の計画を立てなくちゃ」

 彼女が微笑みながら言う。

「こっちも似たことをしている。面倒だよ」

「そう言わないの。二年生になれば北海道よ。三年生は沖縄」

「北海道で何をする予定?」

 彼女は二年生に在籍している。二年生の修学旅行は、北海道で四泊五日のはずだ。

 彼女は人差し指を立てて、揺らしながら答える。

「ラーメン食べて、ジンギスカンを食べて、メロンを食べて、ソフトクリームを食べるかな」

「食べてばかりだし、ジンギスカン以外はどこでも食べられる」

「現地で食べるからいいんじゃない? それにきっと、安いと思う。近場で高いお金を払って無難なものを食べるより、産地で安く、より美味しいものを食べるのが正しい。そう思わない?」

 そこまで味が変わるかな、と思ったけど、値段に関してはありそうなことだ。

「何か、浮かない様子ね、あなた。何かあったわけ?」

 アバター越しにそういう機微を察知する能力は、どういうところから来るのだろう。

 まさか細かな情報を解析して結論を出すアプリでもあるのだろうか。

 別に彼女に隠すこともないので、僕は淡々と答えた。

「友達の一人が、別の友達の一人を疑っている。例の、会話を解析するアプリの件」

「ああ、あれはまだ継続していたのね。諦めないのはどうして?」

「変な手応えがあるらしい」

 それから僕は少しだけ解説し、自分でもうんざりした。

 友達の実在を疑うなんて、どうかしている。

 仮に誰か、あるいは人工知能と入れ替わっているとしても、だからどうした、と僕は思う。

 それにも何かしらの理由があるんだろう。意味もなくするわけがない。

 誰が損をしているって、当人が一番損をしている。それも大きな損失だ。

 学校側に露見すれば処分を受けるし、それ以前に授業に出席していないとすれば、学校に通っている意味がない。

 誰が得をするのかわからないのが、今回の件だった。

「事情があるんでしょうけど、困ったものね、みんな」

 僕が話し終わってから、彼女は首を傾げてそう言った。

「確かにみんなが困っている。特に僕が」

「あなた、その探られているお友達のこと、どう思っている?」

 妙な質問だな、と思ったけど、僕は答えに迷う必要もない。

「友達だと思っている。大切、と付け加えてもいい」

「私より?」

「そこまでじゃない。ほどほどに、というところ」

 安心した、と彼女のアバターが笑みを作る。しかしそれはすぐに真面目な表情に切り替えられた。それもスムーズな変化だった。

「だったら、ちゃんと付き合いなさいね。あまり突き放したりせず」

「探っている方じゃなくて、探られている方を?」

「そう、守ってあげればいい。あなたが防波堤になるのよ」

 参ったな、と思わず声が漏れてしまった。彼女が口元を隠すようにアバターの手を動かした。キャップの動きを反映しているのだが、いかにも自然な動作で流れるようだ。

「それにしても、会話のログから疑いを持つなんて、変わったお友達もいるわね」

「変人なんだ」

「あなたもちょっと変よ」

 意外な言葉に、思わず彼女のアバターを直視してしまった。彼女のアバターは目を細めている。嫌な感じではない、微笑ましい、という感じだ。

「どこが変?」

「喋り方」

 喋り方だって?

「ぶっきらぼうで、不思議な喋り方ね。変、というのは言葉の綾で、個性がある、って意味」

「そうかな」

「ちょっと努力すれば、機械に真似させることができそう」

 奈津高校ではコンピュータ関係の部活が幾つかあり、彼女はその一つに入っていたはずだ。詳細は知らないけど、どこかの部活で機械の発話や、コミュニケーションについて理解を深めていてもおかしくはない。

「僕が機械と置き換わったら、面白い?」

「さあ。でも、私は気づくと思うけどね」

 本当か、とからかうこともできたけど、僕はそれを口にしなかった。

 彼女は本当に気づきそうだ。でも、逆の立場になったら、僕は気付けるだろうか。彼女ではなくても、誰かが不意に別人に入れ替わるのが、この世界では容易にできる。姿は見えない、基本的に声だけなのだ。

 声とは言葉であり、言葉が個性だとすれば、機械の個性が言葉を生み、その言葉、声が存在そのものになる。

 人間そのものになるわけじゃない。

 でもこの空間では、人間そのものと言い換えても、問題ない。

「人間はね」

 彼女が視線を斜め上に向けながら、言葉にする。

「意外に喋るのが下手なのよ。だから機械の会話とは、少し違う。その違いで人か機械かは、見えてくるの」

「下手、か」

「昔の人工知能は、みんな敬語しかしゃべれなかった。正確には、人間が、機械に丁寧な言葉で話すというスタンスを与えていたのね。だって機械に「何の用?」とか「意味不明だね」とか「言い直して」とか言われるより、「ご用なはなんでしょうか」、「聞き取れませんでした」、「もう一度、言ってください」、そんな言葉を選んでもらった方が気分がいい。本当に、気分の問題なのね」

「今の人工知能はそんな形式はないよ」

「それでも変に整っちゃう、っていうこと。あなたはちょっと違うけど、人間の言葉はもっとランダムで、常に飛躍して前後するから、それが人間らしさで、機械には再現できない」

 この彼女の言葉が、まさに飛躍だろうと僕は思った。思ったけど、言わなかった。

 そうか、僕がもし機械なら、「よく分からないな」とか言葉にしたかもしれない。それをしないあたりに、彼女の言う人間らしさ、僕らしさがあるのかもしれなかった。

「こっちでもちょっと知り合いに当たってみようか」

 急に彼女がそう言ったので何のことか、すぐにはわからなかった。これもまた、飛躍だろう。

 僕が困惑していることで、彼女は言葉を付け加えてくれた。

「あなたの、不思議に思われているお友達のこと」

「当たるって、何を」

「出身中学校とか。結構、そういう人脈を大事にして、繋がりを持とうという生徒がいるのよ」

 生徒会のことか、と思ったけど、生徒会に参加している生徒なら余計に下手なことはできないだろう。

 もしかしたら同窓会とか、PTAみたいなものから来る情報かも、と僕は推測した。

 でもやっぱり僕は、決断しなかった。

 ただ黙った。

 どちらが正しいのか、わからなかった。

 彼女は僕に防波堤になれ、という。でも今は、積極的に行動するきっかけを作るようなことをいう。

 これもまた人間らしい、矛盾、だろうか。

 機械はこの微妙な矛盾を知らないかもしれない。

「最近は何を読んでいるの?」

 彼女が話題を変える。

 僕は一度は消した書籍をもう一度、表示させる。

 こうやって全く違う話ができるのは、人間だけだろうか。



(続く)

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