第8話

      ◆


 修学旅行のグループ行動について話し合う時間は定期的に設けられた。

 俊範はあれ以来、特に雛子についての話を僕にはしない。普段通り、三人で時間を過ごしていた。

 いつかの放課後、俊範は雛子が京都に興味を持っていないことに不信感を抱いていたようだけど、徐々にそれは杞憂だと思えるようになった。雛子が京都の観光地をほとんど諳んじているように、喋り始めたからだ。

 それだけで俊範の中にある疑念はぬぐい去られただろう、と僕は見ていた。

 それにしても雛子は京都や奈良に詳しかった。特に奈良の寺に関しては、かなり深く知っている。

「前にちょっと調べたことがあってね」

 それが雛子の答えだった。なるほど、詳しい理由はあるわけだ。

 就学旅行のグループ行動のルートは、ともすると複雑になりすぎて、主に僕が地図を描き直した。どういう経路で巡っていけば良いか、難しい。現地ではタクシーを借りて自由に移動できるらしいけど、あまり詰め込みすぎると落ち着かなくなりそうだ。

 移動距離とおおよその移動速度から必要な時間を割り出すように、俊範どころか雛子も要求してくるので、僕は計算機を操作し続けた。

 そんな具合で、話し合いは授業中で設けられた時間では終わらず、放課後に談話室で計画を立てることもあった。

 不穏な言葉が発せられたのも、談話室でだった。

 話し合いが終わり、雛子が帰ろうとすると俊範が急に言ったのだ。

「こっちは雨だけど、そっちは?」

 僕はギョッとしたし、雛子も短く沈黙した。アバターの表情も変わらなかった。

「どうかな、ゴーグルを外さないと。いや、でもちょっと雨音がする。小雨かな。それがどうかした?」

「こっちが土砂降りだからさ、音がすごいんだよ。上村の方は?」

 僕は俊範のアバターを睨みつけたけど、もちろん、それを僕のアバターが再現することはない。

「こっちはたぶん、雨は降っていない。音はしない。見てないけど」

 精一杯の苦り切った声で返事をしたけど、「そうか」としか俊範は答えなかった。

 雛子は「またね」とアバターで手を振って去って行き、談話室のテーブルにはもちろん、僕と俊範だけになる。

「さっきのあれは、どういう意図?」

 こちらから確認する、というか、咎めに行くけど、俊範の声は平然としていた。アバターの目を丸くさせる余裕もある。

「さっきのあれって、天気の質問のことか?」

「他にないだろ。どういうつもり?」

「どういうつもりって、うーん、実際に雨が降っているのかな、と」

「彼女が嘘を言う理由がないし、日本のどこかでは雨が降っていてもおかしくない」

「俺の方で大雨が降っていると、本気で思っているのか、上村は」

 何を言い出すかと思えば……。

「そうなんだろうと聞き流していたよ。別にきみの住んでいる地域が大雨でも、僕に影響はない。別にきみが嘘を口にしても、軽蔑するかもしれないけど、それだけのことだよ。きみは森川さんが嘘をついている、って言いたいのか?」

「嘘、という表現かは不明だな」

「この世には嘘と真実しかない、と僕は指摘したい」

「彼女が口にした言葉は、真実だと思う。だけどそれを森川雛子という人間が実際に体感しているかは謎だな」

 この男子生徒はどうやら相当にひねくれているとわかってきた。学校で会って話すようになって数ヶ月で、やっと気づけた。さぞかし現実世界では周囲から浮いていたことだろう。

「何が疑わしいわけ?」

「ログの検証は続けている最中だけど、森川は人工知能に学校を任せているんじゃないか、というのが俺の疑念」

「人工知能に任せている? 授業も、僕たちの会話もってこと? そんな、馬鹿な」

「でもさ、上村。この学校じゃ、相手が実在するかどうか、どうやって証明している? 学校側には個人情報が登録されているだろうけど、学校は生徒の様子をリアルタイムで、全て把握しているわけじゃない。いや、仮に生徒を見ているとしても、カメラ越しにだ。いくらでも偽造画像や偽造動画を挟み込める」

 やれやれ、すごい陰謀論者もいたものだ。

「そこまでしてこの学校の中に入る理由がわからない」

「週刊誌にスクープ、っていう感じじゃないな。理由は俺もすぐには思いつかない。何がしたいんだろうな」

「僕に聞かないでよ。僕は何も知らないし、興味もない。そして森川さんにもおかしいところはないように僕は思っている」

「あからさまにおかしくなってくれたら、俺も楽なんだけどな。人工知能と会話するのも、人工知能を出し抜くゲームだと思えば楽しくなる」

 ゲーム感覚でやることじゃないな。自分の端末の中の人工知能と対話すればいいものを。

「前も言ったけど、僕は知らないということにしておく。報告ももうしなくていいよ」

 僕はアバターを操作して席を立った。

「なぁ、上村」

 俊範の言葉に、僕はそちらを振り返り、キャップを触れ合わせて向き直る。

「何?」

「俺は間違いなく人間だけど、お前は人間だよな?」

「当たり前じゃないか」

「この部屋にいる全員が、本当に人間かな」

 思わず僕は談話室を見回していた。

 まだそれほど遅い時間ではないので、三十人ほどが確認できた。

 人間か、だって?

 もちろん、人間だ。

「変なことに気を使うより」

 僕は俊範を正面に見て言った。

「勉強に本気になった方がいいよ」

 厳しいねぇ、と俊範のアバターが笑みを浮かべる。

 僕もアバターに笑みを浮かべさせたけど、操作を誤って変な笑い顔になってしまった。

 俊範は何も言わなかった。

 彼が何を考えているか、即座にわからないのが、この空間だ。

 そう、わからないのだ。

 相手が何を思っているか。

 あるいは、相手が実在するかさえも。



(続く)

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