第7話

       ◆


 僕はじっと向かいの席に座るアバターを見た。

 どれだけ見つめても、その向こうにいるはずの内藤俊範という少年は見えないのだけど、見つめずにはいられなかった。

 静けさはどれくらい続いただろう。

「本気で言っている?」

「最初は悪ふざけだな」

 最初は、というところが悪質だ。

「楽しかった? そういう遊びを楽しむ人間を、僕はそれほど評価しないだけど。むしろ、評価できないけど」

「そう怒るなよ」

「怒っていない。不愉快なだけだ」

 似たようなものだな、と言葉を口にした時に、やっと俊範のアバターが何かを考える表情に変わる。僕は目の前にあるアバターをほとんど無視していた自分に気づいた。僕はアバターの向こうに想像の俊範を見出し、その表情を読み取ろうとしていたのだ。

 それはまるで、自分が作った影を見るように。

「今なら黙っておくよ」

「そうしてくれると助かる。俺とお前の間だけで話をしたい」

「そういう意味じゃなくて、僕は何も知らないということにしておく、という意味」

「雛子が好きな小説を知っているだろ?」

 強引な切り出し方に、さすがに僕もムッとした。本当に不愉快だったからだ。アバターにもし僕の表情を正確に写し取る機能があれば、俊範がひるむくらい、僕は顔を歪めていたはずだ。

 また沈黙。その沈黙は僕にとっては「話したくない」という意思表示なのに、俊範にとっては「答えろ」という催促だった。

 しかし今度の沈黙は長かった。僕も動かず、俊範も動かない。

「知っているよ」

 結局、僕が折れた。あるいはそれは、僕の弱さだったかもしれない。さっさとこの話を終わりにしたかったのだ。

 俊範がわずかに頭を動かす。

「あいつ、前に井上靖の「額田女王」が好きだって、俺に話していたんだよ。おかしくないか。あれは奈良が舞台のはずだ、修学旅行で奈良に行けるのは大歓迎じゃないかな」

 ……極論、暴論じゃないか。

「でも前に司馬遼太郎の「燃えよ剣」が好きだと話していたよ」

 僕が適当に答えると、ちょっと俊範が鼻で笑うような音を発した。なかなかマイクの感度がいいので、ちゃんと聞こえた。

「「燃えよ剣」の舞台は京都が大半だ。他には?」

「池波正太郎の「人斬り半次郎」かな」

「やっぱり京都だ。な? 修学旅行で京都に行けるのは、雛子としては嬉しいはずなんだよ。なのにあまり本気にならないのは、不自然だ。ということで、ちょっとログを眺めた、ってこと」

「ほとんどこじつけだよ。僕は感心しない。もう終わりにしよう」

「結果を聞けばそうも言っていられないぞ」

 言葉の内容と裏腹に、俊範はちょっと楽しそうで口調が弾んでいた。

 僕としては本当に終わりにして欲しかった。だから黙ったのだけど、俊範はこちらが待っていると解釈したようで、声を潜めて話し始めた。

「アプリに検証させると、雛子が特定のワードを頻発するようになった時期がある。修学旅行の話をしている前後くらいだよ」

「何かの影響じゃないの? ドラマとか映画、それこそ小説、あるいはお笑い芸人とか」

「かもしれない。明言はできないよ」

「じゃあ、この話は終わり」

「情報が少なすぎる。もう少し観察すると、何かがわかるかも」

 何がわかるものやら。

「森川さんの話す内容、それか話し方が変わったとして、それのどこが問題だと内藤は言いたいわけ?」

「いや、ただの興味本位。例の司書の一件でアプリがうまく機能しているように見えたけど、もし雛子に対してうまく機能しないようなら、結局、あのアプリの精度は大したことはない、ということになる」

「それを開発者に報告でもするの? 意味あるかな、それ」

「俺が個人的に満足する、という程度の意味だな」

 まったく、僕の友人は人が悪い。すこぶる悪い。

「やっぱり僕は知らないふりをするよ。関わりたくない。勝手にやって」

「一応、報告しておこう、という程度だよ。今日はな。しかしアプリが変な反応を示すのは気になる」

「僕は気にならない。どうせ誤差だよ」

 結局、この日はそれからすぐに俊範は去っていき、僕は一人で読書を続けた。

 日が暮れかかる頃、現実で日が暮れかかる頃に談話室を出て、VR空間からログアウトした。

 しばらく椅子に体を預けて、僕は現実の部屋の天井を見上げて考えてみた。

 高校のVR空間において、ログインなどを別にすれば、交流するのに使える要素はほとんど全てが会話だ。もしくは文字によるメッセージのやりとり。

 音声をうまくサンプリングしておけば、声色を真似ることはできる。

 声は聞こえても相手は見えない、というのがいかにも不自由であり、曖昧だった。

 僕の友人である俊範は、内藤俊範という人物としてこの世界にいるはずだけど、僕が実際に知っているのは彼の声、もしくは彼の声だと僕が思い込んでいる声だ。マイクを通して、さらにイヤホンを通して聞いているのだから、実際に聞く彼の声とは違うかもしれない。

 僕の友人はつまり、実体がない、ということだろうか。

 実体があるのに、それを必要としない交流は、ある種の思考同士の交流に見える。もっともそれは、現実世界でも人間関係は、思考同士の交流ではある。体があること、相手が直接見えることで、情報が追加されるだけのこと。

 その追加される情報は、どうやらアバターでは補いきれないらしい。

 僕はいつの間にか腕組みして、眉間にしわを寄せていた。

 考えても仕方ない。

 俊範がやりたいようにやるだろう。

 彼が引き際を心得ていることを信じるよりない。



(続く)

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