第6話
◆
奈津高校では、VR空間で学習や生徒同士の交流が行われるのが大半であることを解消するべく、全学年にそれぞれ年に一度、修学旅行が設定されている。
特に学年によって期間の差はないけれど、一年生である僕からすれば、だいぶ神経を使う場面だ。何せ、クラスメイトと数ヶ月を同じ教室で過ごしているとはいえ、実際に会ったことはないのだ。
一年生の旅行先は奈良と京都という、オーソドックスな場所だった。
グループ行動が一日、設けられていて、学校側が度量が広いところを見せるように、グループの定員がほとんど自由というくくり方だった。それでも生徒は四人から五人程度でグループを作ったようだ。
僕は俊範と雛子と三人でグループになったけど、これは少ない。度量が広いと言っても、学校側は二人での行動は許していなかった。
というわけで、最低人数の三人で、僕と俊範、雛子で旅行でどこを見に行くか、話し始めた。
ただちょっと意外なことがあった。
「どうも私は、京都って気分じゃないなぁ」
雛子がふとした時にそう言ったのだ。
「前に歴史小説、読んでいなかった?」
素早く俊範が確認したので、僕もその返事を待ち構えるように雛子に注目した。
雛子のアバターが少し首を傾げて答える。
「まぁ、読んでいたけど、どちらかといえば今の興味は東京の方かな。やっぱり都会を見てみたいじゃない」
「京都だってだいぶ都会だと思うよ」
僕がそれとなく意見を差し挟んでみたが、そうだけどね、と雛子は何か考えているそぶりだ。いや、アバターがかすかに揺れているだけで、考えてはいないのか。
「ま、いいか。京都と奈良は固定なんだし」
そう雛子が返したので、そのまま話題は本筋のグループ行動でどこへ行くか、というところに集中した。僕としてはあまり興味もないが、俊範は繁華街に行きたいようだった。大阪へ行ければなぁ、と漏らしていたが、旅行の予定ではそこまでの移動の余地はない。
「大阪もいいかもね」
そんなことを雛子も口にした。俊範に合わせている、というようでもない、妙な発音の仕方に聞こえた。
今日の雛子は、あまり本心が読めない。
そう思っていたが、俊範はそうでもないようだし、僕もやがてそんなもどかしさは忘れてしまった。俊範と雛子が京都も奈良もそっちのけで、大阪に行ったらどこを見るか、何を食べるかで盛り上がり始め、僕自身は意見を聞かれないので、傍観していたのだ。そうしていると、全く普段通りで、自分の方がおかしかったような気さえした。
旅行の計画を立てる時間は何回かに分けて設けられ、最終的にはおおよその移動計画を学校側に提出するので、行き当たりばったりではいけない。いけないけど、形だけの移動計画を立てて、実際には本当に自由に行動する、というやり方もできる。
まぁ、それは裏切りに等しいけど。
僕としては推奨しないし、実行もしたくない。
時間が終わり、授業に変わり、授業も終わると放課後になった。いつも通りに三人で談話室に集まり、この日は僕も俊範に勉強について教えた。日本史で、ちょうど明治維新直前の頃だった。蛤御門とか、薩長同盟とか、そんな感じだ。僕は理解しているので、なかなか飲み込めない俊範の様子はもどかしかった。
夕方になり、雛子が帰っていく。
「上村はもうちょっと頼む」
それが俊範の言葉で、僕は二つ返事で了承した。
「じゃあね、二人とも」
アバターが手を振って、その雛子は談話室を出て行った。
俊範が教科書を示しながら日本史の流れを確認してくるのに、僕は細かく答えていった。
「ちゃんと予習、復習している、って感じだな」
感心したように俊範が言う。
「それくらいはしなくちゃね」
「早起きしているのか? それとも夜更かしか?」
どちらもしていないけど、それを伝えるのもカッコつけすぎかと思って、暇を見つけて、と嘘を口にすることになった。これくらいは許されるだろう。
俊範は気にした様子もなく、教科書の細部を確認し、ノートにペンを走らせていた。
「今日はあの女子は来ないのか?」
「え?」
不意打ちだったから、僕は視線を俊範に向け、アバターの表情を変えるのを忘れた。
「いや、来ないならいい」
あっさりと俊範が引き下がるが、どうやら僕のささやかなミスで事情を察したようだ。
「何か誤解しているようだけど」
「ふむ?」
「毎日、会っているわけではない」
「そこじゃないだろ」
言いながら俊範が顔を上げて僕を見た。今度は僕もアバターに不機嫌そうな顔を作らせた。ただ、俊範のアバターの表情といえば、不敵な笑みだった。
「親しい間柄なんだろ?」
「それも誤解だと思うけど」
「でも、親しいの範囲内、だろ?」
やれやれ、この友人ときたら。
首を振った動きに従って、僕のアバターも首を振っただろう。
「あまり、探らないで欲しい。冗談ではなく」
「いいぜ。美人の女友達がいるのは、無視してやろう」
美人の、というのも、女友達、というのも、いかにもな表現だ。
でもここでしつこく食い下がるのは僕の流儀ではない。
「なあ」
俊範がそう声を発したので、沈思していた僕は彼を見たが、彼は教科書に視線を落とし、ペンを動かしている。
続く言葉がない。
沈黙。
僕も黙っている。
「何? 何か話があるんじゃないの?」
そう確認するけど、なかなか俊範は声を発さない。
またも沈黙。僕は自身も黙ることで俊範の口を開かせようとした。
しかし何も言葉はない。
周囲のテーブルについて話しているアバターの会話が、かすかなノイズのように聞き分けられない音として伝わってくるだけだ。
長い沈黙の後、「なんでもない」とやっと俊範が口にした。
何を考えていたのやら。
この時、俊範が考えていたことを僕が知ったのは、数日後のことだった。
場所はやっぱり談話室で、時間も窓の向こうが夕日に染まる頃だった。
周囲は変に静かで、俊範の声もそれに倣うように淡々としていた。
彼は「ログをちょっと検証してみた」と言ったのだった。
誰の? という僕の問いかけは普段より冷淡だったかもしれない。
それに対して俊範は平然と、平坦な声で答えた。
あるいはその平坦さに、負い目が含まれていたのかもしれない。
それでも彼は言った。
森川雛子のログだ。
そう言ったのだ。
(続く)
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