第3話
◆
教室の自分の席で本を読んでいると、目の前にアバターが進み出てきた。
例のごとく、俊範だった。
アバターの表情は不敵な笑み、というところか。
「面白いことでもあった?」
こちらから声を向けると、俊範のアバターが近づいてきて、その上、小声で言った。周りには聞こえなかっただろう。
「面白いアプリを見つけた知り合いがいてさ」
アプリね。
ゴーグル向けに様々なアプリケーションソフトが作られ、値段もそれぞれなら、無料ながら何を意図して作られたのか想像できないものもある。
そういうアプリのことだろうか、と僕は勝手に見当をつけた。
「どう面白いの?」
一応、こちらも声を潜めておく。それ以外、この空間で内緒話をする方法はない。
「実は、会話のログを分析するアプリなんだよ」
へぇ、と思わず声が漏れていた。
奈津高校では、選択できる機能の一つに、会話のログを残す、というものがある。
それは他の生徒との会話を文章に自動で変換して残しておくというもので、これはいじめや嫌がらせを抑制する仕組みだ、などと裏では言われている。表向きは、連絡事項などを確認する時に使える、というような理由だ。
もちろん、ログを残さない生徒もいる。自分のも、他人のもだ。
僕は友人に限定して残していた。と言っても、俊範と雛子、もう一人くらいである。
「分析って、例えば口癖とか?」
僕の言葉に俊範のアバターが左右に揺れる。首を振ったらしい。
「もっと深く調べられる。どうも元はどこかの大学生が作った、人間の喋り方の変化の傾向をあぶり出すアプリなんだな」
「変化って、普通、人の喋り方ってあまり変わらないものじゃない?」
「変わらないところは変わらないし、変わるところは変わる、ということさ」
それでな、と俊範が続けようとした時、チャイムが鳴った。授業が始まるのだ。
「昼休み、図書室の前で会おう」
図書室の前?
俊範のアバターは自分の席へ行ってしまった。
僕は授業に集中しながら、頭の片隅で、人の喋り方について考えていた。
喋り方はなるほど、変わるかもしれない。僕も読んでいる小説の影響を受けることがあるのは、否めない。
しかしその変化を見てどうするっていうんだろう。
四時限目が終わり、昼休みになる。VR空間では食事はできないので、僕は一度、ゴーグルを外して食事にした。何度も瞬きしてしまうのは、もう癖になりつつある。ゴーグル内の輝度、明度を微調整しないといけない。
食事の後、僕は図書室に向かったけど、入り口に俊範のアバターはいない。中を覗いでもいない。まだ昼食の最中なんだろう。
一度、僕は図書室に入って適当な席で小説を開いた。海外小説の進行は順調だ。物語も盛り上がってきて、先が気になる。
じっと集中していると、「おい」と小さな声がした。視線を向け、指を触れ合わせて位置関係をリセット。
僕が向き直った先に俊範がいる。
「外で話そう。ここは静かだ」
俊範が言う通り、図書室は静かだった。
二人で廊下に出て改めて向かい合う。
「例のアプリの話だけどさ」
俊範がやっぱり声をひそめる。仕様で図書室内に声は届かないはずで、つまりは通りすがりの生徒にも聞かせたくない、という意図だ。
「それで?」
「ちょっと教師をからかってやろうと、ログを解析させたわけ」
「え? どういうこと?」
「教師が授業の中で口にした言葉を、解析した、ってこと」
教師のログが残っているのはわかる。これはほとんどの生徒がしているだろう。復習するときに授業の内容を容易に確認できるから。
でも俊範の意図は読み取れない。
そんな僕に気づいたのか、俊範がちょっと苛立ったように言う。
「替え玉だよ。教師が途中で変わっていないか、それを見たんだ」
ああ、なるほど。
「教師の喋り方に差があれば、その教師はアバターや声は一緒でも別人、ってこと? そんな手の込んだことをする?」
「するかしないかは、それぞれの判断だろう」
要するに、俊範はあるかもしれない、そう思ったということだ。
「で、何か見つかった?」
「教師には、入れ替わりはいなかった。まぁ、当たり前と言っては当たり前だ」
「教師には、という表現が引っかかるね、どうも」
「よくぞ気付いた」
ちょっとだけ俊範のアバターが胸を張った、ような気がした。
「実は、司書が一日だけ、おかしかったのが見つかった」
すぐには理解できなかった。
司書もアバターで存在し、中身も人間が勤めている。ほとんど仕事はないが、電子書籍の整理や、システム管理が仕事のようなものだ。本来的な司書の役目からは離れている仕事が、この学校での司書の務めだった。
「入れ替わっていた、って俊範は言いたいの?」
「まあね」
「本気で?」
「本気で」
僕の正直な気持ちは、参ったなぁ、としか言えない。
俊範が何に熱を上げているかは知らないけど、別に司書が入れ替わっていたところで、僕には何の不都合もない。学校に隠して司書が入れ替わっていたら、何かしらの問題は生じそうだけど、僕には何の影響もないのだ。
「調べてみようぜ、上村」
「気乗りしないなぁ」
「人工知能の解析能力の検証だ。ほら」
結局、僕と俊範は揃って図書室に戻り、司書が控えるカウンターに向かった。
「あの、ちょっといいですか」
俊範の言葉に、初老の女性の顔をかたどったアバターが微笑む。
「何ですか?」
「一週間ほど前、別の人がここに司書としていませんでしたか」
ど直球の俊範の質問に、さすがに、と僕も困惑したけど、司書のアバターは急に黙ってしまった。
僕はその様子を見て、次に俊範を見た。俊範は司書を見ているようだ。
「よく気づいたわねぇ」
司書のアバターが困ったような顔になる。
「実は家族が怪我をしてね、病院に行くしかなくて、仕事を休んだの。それで、代理の人に来てもらったんだけど、アバターを作るのが間に合わなくて、仮のアバターでも良かったんだけど、このアバターで仕事をしてもらったのよ。生徒に変に意識されるのも気乗りしなくて」
その告白は、俊範にどう響いただろう。
僕の中に起こった感情は、申し訳なさだった。
アバターの中身を暴くことは、それほど楽しいことじゃないと改めて思った。
俊範は「そうでしたか」と言ったきり、しばらく黙っていた。僕が「変なことを聞いてすみません」と謝罪してその場を離れたことで、やっと俊範も動き出した。
廊下に戻り、一応、俊徳に釘を刺しておこうと僕は思った。
「あまり余計なことはしない方がいいよ」
かもな、と言うのが俊範の返事だった。
アバターに変化はないが、彼が何かを考えているのは、明らかだった。
それが正しいことか、間違っているのかは、僕には見通せなかった。
アバターの表現しないものは、明確には見分けられないのだ。
(続く)
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