回想〜守りたいと思えた笑顔〜

 これはユランが勇者として選ばれ、パーティーを結成してすぐのことだ。


『な、なんだあの化け物は!?』

『囲め! 囲まねぇとやられるぞ!?』

『こいつ、魔術師か……ッ!?』


 王国と隣国が戦争を始めた。

 といっても、国総出というわけでもない小規模の小競り合いだ。

 ユランは勇者として選ばれたのち───すぐさま、戦争を終わらせるように命を受ける。それも、王国の勝利という形で。

 もちろん、パーティーとしているのだから知り合ったばかりのライダと知り合いのアリアも一緒に参戦していた。

 ただ、戦場を大きく動かしていたのは───やはりユランだった。


(んだよ、これ……)


 戦場のど真ん中。

 ユランは幾度も拳を振り上げる、背後から斬りかかってくる騎士などお構いなしに。

 その瞬間、背後にいたはずの騎士の上にユランの姿が現れ、握り締めた拳を脳天へと叩き込んだ。

 斬りかかってきた騎士は崩れ落ちるものの、ユランは気にせず再び姿を消す。


 ───ユランの魔術師としての力は、主に二つ。


 一つは、相手の死角へと移動する魔術。

 もう一つは、己の身体能力の向上だ。

 これにより、ユランは相手の死角へと潜り込むことによって

 更に、魔獣をも一撃で葬る力は容易に相手をねじ伏せる。


 主に単体でしか発動しないユランの魔術ではあるが、それをカバーできるほどの戦闘センスがユランを最強だと言わしめていた。

 魔術師協会の中でも屈指の実力を誇る。それは、天才だともてはやされたアリア以上に。

 しかし───


(なんだよ、これ……)


 振るっていく拳には血が付着している。

 それを振り上げる度に、自分の心がすり減っていくのが分かった。


(……どうして、こんなことしてるんだろ?)


 ユランは心優しい少年だ。

 魔術師になったのも自分に魔力があったからというだけでなく、誰かを幸せにしたかったから。

 そのために、魔術師として何度も拳を握ってきたことがあった。

 故に、勇者として選ばれた時は……本当に嬉しかったのだ。


 しかし、今立っているのは戦場。

 それぞれに正義があって、それぞれに悪があるドロドロした沼地。

 誰を倒しても、誰かを幸せにすることはできない救いようがない場所である。


「あぁ……こんなのは、もう───」


 嫌だ。

 そう思った頃には、自分の周りには誰も立っていなかった。

 これで戦争の決着など、誰が見ても分かるだろう。


 でも、今こうして倒れている敵国の騎士の気持ちは分からない。

 倒してしまったから、見知らぬ誰かが不幸になったかもしれなかった。たとえば、帰りを待つ家族だったり、戦争によって損益を被る国民だったり。

 それを想像しただけで、ユランは言いようのない吐き気を感じていく。


「アリアが聞いたら、綺麗事って怒られちゃうんだろうなぁ」


 そんなの自分がよく分かっている。

 この気持ちは全てが綺麗事で、全てを救うなんて不可能で、自分が立っている限り誰かが不幸になっているのは明白で。

 それでも、ユランにとっては捨てきれないものであった。


 ユランは一人、立っている戦場で腕を振るう。

 すると、白銀に輝く一振の槍が手中に収まった。

 勇者としての証───聖武具。少し前まではこれを見て浮かれていたのに、今となっては虚しいものだ。


 そんな時───


「……ユラン?」


 ザクッ、と。砂を踏む音が聞こえてきた。

 アリアかな? そう思って、ユランは背後を振り返る。

 すると、そこにいたのは見慣れた魔術師の少女ではなく……最近知り合ったばかりの、修道服の少女であった。


「あ、あぁ……ごめん。今戻るよ」


 治癒だけで後方にいるはずの少女が前線にいるということは、戦争が終わっても戻らない自分を探しに来てくれたのだろう。

 それが分かると、ユランは心配かけるまいと笑みを浮かべて少女の下へと近づいた。


「……悲しいんですか?」


 横を通り過ぎようとした瞬間、ふとユランの足が止まる。

 少女の、心配そうな顔が視界に入ったから。


「そんなことはないよ。無事に戦争も終わったみたいだからね」


 どうして分かったのか?

 それは分からなかったが、ユランはそれでも笑みを浮かべる。

 しかし、ミーシャは否定するかのようにユランの手を取った。


「見れば分かりますよ。今のユランは、とっても傷ついています」


 思わず顔を押さえたが、それは失敗だった。

 何せ、それこそが「傷ついている」という証明になってしまったから。

 やっぱり、と。少女は口にする。


「……全部が分かるとは言いません。ユランみたいに、勇者でもなければ強い力を持っているわけでもありませんから。ですが、ユランがとっても優しい人なのだということは分かりましたよ」


 そう言って、少女はユランの顔を思いっきり引っ張った。

 大して痛くはない。でも、ユランの引き攣った表情に、無理矢理笑みが広がった。


「笑いましょう、ユラン! 無理して笑うんじゃなくて、心の底から笑うんです! 無理なら今は大丈夫です……でも、笑っていればいいことは絶対に起こります! あなたの気持ちも、いつかは実ってくれるはずですから!」

「……辛かったら、心の底から笑えないじゃないか」

「だったら、私がずっと傍で笑っています! ユランが心の底から笑っていられるように! 知っていますか? 幸せも気持ちも笑顔も、伝染しちゃうものなのですよ?」


 にこっ、と。

 少女は満面の笑みを浮かべた。

 それはユランが浮かべていたものとは違う───綺麗で、純粋で、心の底から出ているものだと分かるような、可愛らしい笑顔。

 その表情を見て、ユランの胸の内がふと温かくなってくる。


(あぁ、この人は……だ)


 だからこそ、見ていたくなる。

 目を覆うのではなくて、ずっと傍で眺めていたくなるもの。

 そう思ってしまったユランの口元がふと綻んだ。


「さぁ、帰りましょう。皆さんがユランを待っていますよ!」


 少女は顔から手を離し、もう一度ユランの手を握って引いた。

 小さく、弱々しくも綺麗で、温かい手。


「……そうだね」



 ───自分の思想は大層なもので、決して叶わない綺麗事かもしれない。


 でも、この時のユランは少なくとも「この少女の笑顔だけは」と、そう思った。

 この気持ちが膨れ上がるのは必然だったかもしれない。


 何せ、少女ミーシャは自分で言っていた通り……ずっとユランの隣で笑ってくれていたのだから。

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