第40話  もっともっと・・・

 

 翌朝、丈くんと和也は、名残惜しそうに帰って行った。

 とくに、丈くんは、麻ちゃんが、自分の学年の先生や生徒を知っているので、いろいろ話題がつきないようで、

「また、話、しましょね」と麻ちゃんに話しかけていた。



 2人が帰った後、麻ちゃんが、僕に言う。

「大ちゃん、ありがとう。和也くんや丈くんに話してくれて」

「うん」

「なんかね、友達が増えた気分。びっくりしないで、普通に、話してくれて、すごく嬉しかった……。でも、心の中では、ほんとは、きっと、めちゃくちゃびっくりしてたよね」

「ん~。かもしれへんな。でも、話してるうちに、慣れてきたみたいやったね」

「そうだったらいいな。丈くんからは、懐かしい名前いっぱい、きけて、それも嬉しかったな」

 麻ちゃんの声が、弾む。

「麻ちゃんのいてた学年の子らや先生たちやもんな。様子が聞けてよかったね」

「うん。ほら、丈くんが話してた、英語のきらいな男の子。あの子のその後が聞けて、ホッとしたよ」

 丈くんの話によると、麻ちゃんが亡くなったあと、彼はとても後悔していたらしい。麻ちゃんがいるときに、英語をがんばっておけばよかった、そう言って、今では、一生懸命、英語を勉強するようになったらしい。


「あの子ね、英語がいやや~って、上靴のまま、家に走って逃げて帰ってね。姿が見えなくて、学校中さがしまわって、それでも見つからなかったから、もしかして……と思って、家に電話したら、案の定、『英語がいややから、逃げてきた』て本人が言ってると、お母さんから言われてね。私、ほんとにへこんだ。そんな、逃げるほどイヤだったのか……。そんなひどい授業しか、私、できてなかったのか。私、そんなに、きらわれてたのかって。情けなくてさ」

「うん。そら、逃げられたら、ショックやな。でも、単に、英語がいや、ってだけやったんちゃうの?」

「うん。お母さんが、送り届けてくれはって戻ってきたその子に話を聞いたら、『先生がいやなんちゃう。ただ、英語が、ものすごく、いややねん』って言われた」

「そうか。よっぽどやな。でも、麻ちゃんのことや麻ちゃんの授業が、いやってわけじゃないんやろ」

「うん。でも、結局、英語が好きになるような授業ができてない。そういうことでしょう? だから、めっちゃ考えた。どうしたら、好きになってくれるかな、て」

「うん」

「逃げ出したのは、その子だけだけど、逃げてなくても、いや~て思ってた子が、他にも、きっといるかもしれない。このままじゃだめだなあって、どうしたらいいんかなあって。……毎日必死で考えた。

 いろんな面白そうなネタ考えて、いろんな教材用意して、展開を工夫して。話し方、声の出し方。声のかけ方。褒め方。先輩の先生たちの話も聞いたり、授業みせてもらったりして、いろんな事考えたよ。

 ……それでも、うまくいく日もいかない日もあって」

「うん」

「でね、あるとき、みんなで一緒に笑えて、すっごく楽しくて、あっという間に50分が過ぎて、授業が終わったとき、ぼそっと、ひとりの子が、言ってくれたの。

『今日の授業、めちゃ面白かった。次の時間も、その次の時間も、一日中英語やったらええのにな』って。そしたら……クラスの他の子たちも、ほんまやほんまや、って。もっと英語しよう~。一日中英語しよう~って、言ってくれて」

「わあ、それは嬉しいな。なんか嬉しくて泣けてきそう」

「そう。そうなの。嬉しくて、もう、この一言だけで、私、あと、10年くらいはがんばれそう、って思ったもん」

「そやなあ。それくらいうれしいことやな」

 僕は、以前麻ちゃんが話していたことを思い出して言った。

 毎日、ひとかけらもゆとりがなくて、いっぱいいっぱいで、苦しかったと、麻ちゃんは話していた。


「ほんとにね。しんどいことの方が多い仕事で、休みなんてほとんどなくて、土日も部活や試合で休めないし、授業の準備や会議や打ち合わせで毎日遅くなるし、家に帰ってからも、持ち帰りの仕事して、クタクタで……」


 麻ちゃんが、ため息をつく。

「それなのに、ほんの小さな一言や、生徒が何かの拍子に、ちらっとみせてくれる笑顔とかで、めちゃくちゃ嬉しくなって、ああ、これで、あと、1年はがんばれる、とか思ってしまうの。バカみたいでしょ。ほんとに単純やと思うけど、生徒たちとの、

ほんのちょっとしたやり取りとかで、すっごく幸せ感じて、また頑張ろうって、うっかり思ってしまったりするんだよね……」

 麻ちゃんが、『うっかり』と言いながら、かすかに笑っている。

「そやな……案外、そういうものかもしれへんね。大きな喜びでなくても、ささやかでも、小さな積み重ねで、元気が出てがんばれるものなんかもしれへんね」

「うんうん。……だからね。私ね……」


 麻ちゃんの声が、詰まる。

「私、もっと、仕事してたかった。もっと、いっぱい、あの子らと、過ごしたかった。もっともっと授業したかった。いっぱい、悩んでも。もっと生きて、もっと仕事してたかった……!」

 麻ちゃんの声が、涙声になる。

「麻ちゃん……!」


「ごめん! 大ちゃん、私、泣いてもいい? こんなふうに声だけになってしまったとき、私、泣かんとこうって決めてた。

 だって、すすり泣くユーレイなんて、ぞっとするでしょ。自分は、そんなのになりたくなかった。だから、泣かないって決めてた。

 でも、ごめん。……だめだ。がまんできない。今だけ。今だけ、……泣いてもいい?」

「ええよ。もちろんええよ。思いっきり泣いたらいい。麻ちゃん。思いっきり声出して、泣いたらいい。僕は、ただそばにおるだけしかできへんけど、ここで一緒におるから。だから、いっぱい泣いて。僕に、全部思ってること話して。受けとめる。しっかり聞くから」

 僕は、夢中で答えた。


 その次の瞬間、麻ちゃんが、小さな子が泣くように、わあ~ん、と泣き声を上げた。泣きながら、途切れ途切れに、話す。

「私ね、もっと、もっと、しごと、したかった……

 もっともっと、授業も、したかったし、

 もっともっといろんな行事とか、やりたかった、

 体育祭も、文化祭も、修学旅行も、一緒に行きたかった……

 せめて、あの子たちが、卒業するまで、いっしょにいたかった。

 卒業式で、名前、呼びたかった……

 なのに、なのに、なんで、私、死んじゃったんだろう……

 なんで、私……私……

 生きて、いたかったよ……。生きていたかったよ……」


 生きていたかった……絞り出すように言った後、麻ちゃんは、ただずっと、泣き続けていた。声を出して、ただひたすら、泣いていた。

 そして、ときどき、

「ごめんね、大ちゃん」そう言いながら。


 僕は、心の底から、『どこでもドア』が欲しいと思った。

 できるなら、今すぐでも、彼女をこちらの世界に連れ戻せるように。


 僕は、彼女を抱きしめるように、クッションを力をこめて抱きしめる。

「麻ちゃん。僕は、……ずっとそばにおるから」

 ただそれしか言えなくて。

 そして、もう一つだけ言える言葉を口にする。

「麻ちゃん」

 彼女の名前を、繰り返し呼ぶ。

 麻ちゃん。麻ちゃん。麻ちゃん……




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