第35話 願う
「ん? これ、大ちゃん?」
写真を見た麻ちゃんは、開口一番、そう言った。
僕が見せたのは、今日の相手役の弟くんの写真だ。
「ちゃうねん。これな……」
書店で、知らない人に雑誌を譲った話は、麻ちゃんにはしてあった。
なので、急きょ新郎役のモデルを頼まれた経緯から話す。
で、その相手役がたまたまその人だったので、驚いた、と。
再会、という言葉は使わなかった。
なんでだろう。
『再会』という言葉には、運命めいた重さを感じる。それで、僕は、なんとなく、その言葉を避けた。
「すごいね。大ちゃん。モデルなんて」
麻ちゃんの声が弾んでいる。
「で、そのモデルしたときの写真はあるの?」
僕は、メイクをしてもらったときに、僕のスマホで、スタッフの人が撮ってくれた写真を見せる。
「わあ……素敵。かっこいい……」
麻ちゃんは、うっとりした声で言う。
「花村 礼よりかっこいいかも」
例の人気ドラマの天才ピアニストの役名だ。
「『かも』は いらんで」
「ははは、そうだね。いらないいらない」
麻ちゃんが笑う。
「ここのお庭も素敵だね。花もきれいだし……わあ、
このホール、趣があって、すごく雰囲気がいいね。あ、これは、チャペル?……」
そう言った麻ちゃんの声が止まる。
チャペルで撮られた写真は1枚だ。今日のフォトグラファ―西條さんの撮ったものだ。スナップ風のものとは、明らかに雰囲気が違う。特別にもらった一枚だ。
チャペルを満たす、厳かな空気の中に、高い窓から差し込む柔らかな日差しが、優しく溶け込んでいる。
この1枚は、2人で写っているものなので、僕は、麻ちゃんに、見せようかどうしようか、少し迷っていた。
でも、結局、すべて見せようと思った。
「なんだか、大ちゃんじゃないみたい。すごくきれい。あ、ごめん。失礼な意味じゃなくて。なんか、いつもと雰囲気が違うな、て」
「うん。これな、メイク、めちゃ濃かったから、なんかドラキュラっぽく見えへん?」
「ははは。確かに。めっちゃ、素敵なドラキュラ。うっかり、首筋差し出しちゃいそう」
麻ちゃんが、笑いながら言う。
「メイクしてくれた人も、同じようなこと言ってた」
「うん。ほんと、妖艶な、何とも言えない色気がでてる。それなのに、写真全体としては、そんな感じじゃなくて、めちゃくちゃきれいでロマンチックで、優しい雰囲気。……相手役の人との雰囲気もすごく合ってるね」
「そうかな」
麻ちゃんの声に、ほんの少しだけ、翳りを感じて、僕は、急いで、話を進める。
「そこで、これやねん」
弟くんの写真に切り替える。
「ん?」
麻ちゃんが不思議そうな声になる。
「これな、僕やなくて、その人の弟さんやねん」
「え? ほんとに? 大ちゃんじゃないの?」
「そう。そっくりやろ?やから、ほぼ初対面やのに、そんな感じせえへんかった、って言うてはった」
「そうかあ。それでかな、さっきのチャペルでの写真、なんか、とても落ち着いた、優しい、信頼感漂う表情してたよね」
「うん。僕も、それにつられて、同じような雰囲気で、振る舞えた。初めてなのに、素晴らしいです!って、フォトグラファーの人に、めっちゃ褒められてん」
僕は、ちょっと自慢する。
撮られることに集中できた、あの不思議な感覚が、頭の中によみがえる。それは、ほんとうに初めての経験だった。
そのとき、スマホの着信音が鳴る。萌からの電話だ。
「大ちゃん、元気?あのな、ちょっと、麻さんに替わって。英語の問題で質問したいことあるねん」
「お、ええけど、ちょっと待って。あ、そや。前にくれたトレーナー、あれ、どこで買うたん?」
「え、あ、あのきれいなブルーグレーのやつ? あれは、たまたま梅田で見かけて買うたやつで、え~とね、お店の名前ね、ちょっと待ってや」
そう言って、調べてくれた。
あとで、さっき交換した連絡先に、メールを送ろう。
「麻ちゃん、萌が、英語の質問したいんやて。お手数かけますが、よろしく」
「了解!」
ハンズフリーモードに切り替える。
麻ちゃんと萌が、楽しそうに話し始める。
この世では、僕らの知らないところで、知らない間に、不思議なことが、たくさん起こっているのかもしれない。
麻ちゃんのこともそうだけど、これほどそっくりな人が、存在していることも、それを知ったことも、不思議だ。
『不思議』は、『奇跡』でもある。
僕は、今日、秘かに思っていた。
もしかしたら、僕と麻ちゃんにも、
何かそういう不思議が、
奇跡が、
起こっても、いいんじゃないか、と。
僕が願う奇跡は、たった一つ。
たった一つだけや。
……麻ちゃん。
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