第33話  なぜか

「あ、あの。こんにちは」

 彼女が、びっくりした顔のまま、頭を下げた。

「こんにちは。今日はよろしくお願いします」

 僕も、頭を下げる。


「先日は、すみませんでした。なんか、強引に失礼しました」

 彼女は、申し訳なさそうに言いながら、もう一度頭を下げる。

「あ、大丈夫ですよ。あのあと、家の近所のスーパーで、ちょうど1冊買えたんで」

「え! やっぱり、買いたかったんですね。ごめんなさい。私が、強引だったから、気を遣って、譲ってくださったんですね。すみません」

 あの日は、ちょっと押しの強さに引いてしまったけれど、今日の彼女は、ごく普通に、感じがいい。


 レースがたっぷり使われた白いドレスがよく似合っている。きれいな鎖骨は見えるけど、それほど、露出は大きくない。ほっとする。目のやり場に困るような衣装でなくてよかった。裾は、足首がぎりぎり隠れるくらいの丈で、よく見るような、長く裾をひきずるタイプのドレスではない。ガーデンパーティーで、動きやすいように、ということか。


 そのとき、声がかかった。

「はい、準備できました。始めます。まずは、お二人、牧師さんの前で、右手を取り合う形で、向かい合って。はい、いいですよ。その雰囲気」

 思った通り、メイクルームで、あとから入ってきた女性が、僕たちに指示を出しながら、カメラを構える。


「はい、今度は、彼が、彼女の左手に指輪をはめるシーン。そうです。彼女の左手を左手で、そっと持ち上げて、右手に持った指輪をはめる」

「はめた瞬間、お互いの目を見てほほ笑み合って。いいですね。そう、そう。息ぴったり」


 僕たちは、ひたすら、フォトグラファーの指示どおりに動く。不思議なのは、見つめ合って、とか手を取り合って、とか言われているのに、なぜかお互い、恥ずかしいとか、緊張するという感じにはならなくて、ごく自然に、言われた通りのポーズをとることができた、と思う。

 フォトグラファーの彼女やスタッフが困ったような顔になることもなく、撮影がスムーズに進んでいるから、そう感じるだけなのだが。


「はい。庭での撮影は以上です。次、ホールで」

 僕たちは、2人とも、衣装を替えることになった。

 僕は、白のタキシードに、彼女は、膝丈ぐらいの、ピンク色のドレスだ。ここでも、次々と指示されるとおりに、撮影は進む。


 もう一度違う衣装を着て、最後に、チャペルでの撮影が始まったとき、ちょうど、チャペルの高い窓の向こうから、やわらかな午後の光が差し込み、チャペル全体が、何とも言えず温かな、それでいて、厳かで神聖な雰囲気に満たされた空間になった。


 彼女のドレスは、今度こそ、長く裾を引くドレスで、ベールも同じくらい長い。ドレスの上にもベールの上にも、小さな光がキラキラきらめいて見える。やや大人っぽいメイクをした彼女は、どこかさっきまでと違う、しっとりしたムードを漂わせている。ただ、手にしたブーケは、ゴージャスというより、やや可憐な雰囲気で、所々に青い小花が入っているのが、いいポイントになっている。


 僕はと言えば、今度は、さっきのとは少し違う黒のタキシードだ。とはいえ、タキシードであることに変わりはなく、そんなに変わり映えは、しない。

 ただ、髪形は、少し前髪にウェーブをつけて、片側だけおろし、片側は後ろへ流して、なでつける感じだ。でも、さっきまでと違うのは、メイクだ。今度は、ややアイメイクも、しっかり目で、見ようによっては、妖艶、とも言える。

 いや、こんな感じでいいのか?

 これ、もしかして、タキシードの上に黒のマントを羽織ったら、ドラキュラっぽく

ならないだろうか。結婚式っていうより、ハロウィンぽくならないか、ちょっと心配だ。

「僕、ちょっとドラキュラぽく見えませんか?」

 ときいたら、メイクをしてくれた女性たちが、

「そう見えなくもないですけど、とにかく、めっちゃセクシーな感じで、いいですね」

「こんなドラキュラなら、わたし、首筋さっさと差し出します~」

 と笑っている。

 う~ん。いいのか?


 でも、実際に、チャペルの厳かな雰囲気と、やわらかな光の中で、撮影が進んでいくと、僕は、自分の見た目のことはすっかり忘れていた。

 フォトグラファーの指示は、的確で、とても動きやすかったので、いつのまにか、よけいなことは頭から消えて、撮られることに、没頭していた。全く初めての感覚だった。


 最後のシーンを撮り終えて、

「お疲れさまでした」の声がかかる。

「素晴らしいです!お二人とも、初めてとは思えないくらい、とってもよかったです。イメージした通りに、お二人が動いてくださったので、予定よりもはるかに早い時間で、撮ることもできましたし。本当に、ありがとうございました」

 フォトグラファーの女性が、嬉しそうに言ってくれたので、なんとか、僕は、お役に立てたらしい。三井さんの顔をつぶさなくてすんだ。よかった。

 今日撮った写真、特に最後に撮った写真を見せてもらったら、少し大人っぽいメイクをした彼女と、ドラキュラ風?の僕は、案外、雰囲気が合っていて、チャペルの厳かな空気感が伝わる写真になっていた。


「どうします? メイク、落とします?このまま帰らはりますか?」

 ちょっと、麻ちゃんに見せたい気もしたけど、この顔と髪形で、近所のスーパーに寄ったら、間違いなく浮いてしまう。それにパーカーとジーンズには、あまりに合わない。

 なので、

「すみません。もったいないですが、落としてください」

 そう頼んだ。

 メイク担当の女性たちは、名残惜しそうに言った。

「あの~、すみません。写真撮らせてもらってもいいでしょうか。会心の出来だったので、記念に……」

 衣装替えとメイクのたびに、カタログ見本用ということで、写真を撮っていたけど、今度は、自分用に、ということらしい。

「僕でいいのなら……」

一生懸命、メイクしてくれた彼女たちの頼みを、むげに断ることもできず、僕は、そう答えた。

 彼女たちは、嬉しそうに、いろんな角度で、何枚か撮って、絶対、他の人に流出させたりしませんので、と言った。


 三井さんは、

「今度お礼におごります!」

 そう言って、予定があるとかで、何度もお礼を言って、先に帰って行った。

 バイト代は後日振り込みだということで、連絡先や口座番号などを書類に記入する。フォトグラファーの女性やスタッフさんたちに挨拶をして事務室を出ると、さすがに少し疲れを感じて、大きなため息が出た。


 帰る前に、今日の相方の彼女にも一言挨拶をしたくて、姿をさがしていると、ちょうど、メイクルームから、彼女が出てきた。

「今日は、お疲れさまでした」

 僕が声をかけると、彼女は、ふわっとした柔らかな笑顔で言った。

「お疲れさまでした。……あの、ちょっとだけ、お時間ありますか?」


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