第32話 バイトして
「あ、いてた!伏見さん伏見さん!」
大学図書館から出て歩き出したところで、後ろから、突然、大きな声で呼ばれた。同じゼミの院生、三井さんだ。なんだかとっても急いでいる。
「ん? 何?」
「あの、このあと、何か予定入ってはりますか?」
「ん、いや、特に何も」
今日は、帰ったら、積んどく状態になってる資料の山を読みつつ片付けて、あとは、ゆっくり録画した番組を麻ちゃんとみようかなと思っていた。
「あの。お願いがあるんです!バイト、バイトしてくれませんか?」
「バイト?」
バイトせえへん? ではなく、してくれませんか、というあたりに、三井さんの必死さが伝わってくる。
「……僕でできることなら」
「はい。できます。写真を撮られる、バイトです」
「写真を撮られるって、なんか怪しげな言い回し……」
僕が笑いながら言うと、三井さんは、
「つまり、モデルのバイトなんですけど」
「モデル? 僕が?」
「はい。結婚式場の、パンフレットの新郎役です」
「ええ~」
「モデル役の人が、急病で、代役がいるんですけど、急すぎて、いい人が見つからなくて」
「いや、でも、僕、そんなモデルなんかしたことないで」
「大丈夫です! 実は伏見さんの写真見せたら、頼むんなら、ぜひこの人がいい!ってなって……勝手に見せてすみません。でも、どうしても、今日でないと、いろいろ調整がつかへんようになるらしくて。無茶言うてるのわかってるんですけど、お願いします!」
三井さんは、日頃、そんなに厚かましいタイプじゃない。むしろ控えめで、周りに気を遣う方だ。その彼女がここまで強引に言うのは、よほどのことだ。
「僕で役に立つかどうかわからへんよ。がっかりさせるかもしれへんけど。それでもかまへんのやったら……」
「ありがとうございます! じゃあ、今すぐ行きましょう!」
彼女は、スマホで、連絡を取る。
「無事つかまりました。何とか、OKいただいたので、今から行きます」
そういえば、前にも、なんか、似たようなことがあったような。
流星につかまったときだ。
僕は、つくづく捕獲されがちなタイプなのか? ……ポケモンとちゃうで。
三井さんは、タクシー代出るので、と言って、タクシーを呼んで、僕と一緒に乗り込むと、彼女のバイト先である、その結婚式場の名前を告げた。
こじんまりとした、おしゃれな洋館の前にタクシーが止まる。
「ここです」
三井さんが、さっとタクシー代を払って、領収書を受け取る。僕は、とにかく彼女についていく。
建物の中は、高い天井と、ゆったりとカーブを描く優雅な大階段がホールの中央にある。少し、古風なつくりで、ヨーロッパにいるのかと錯覚を起こしそうな雰囲気がある。
きょろきょろしていると、三井さんは、到着を知らせに行ったのか、通路の奥の方に姿を消した。すると、すぐに奥から二人の女性が飛び出してきて、
「こんにちは! こちらです!」
待ってましたとばかりに、僕を、階段の脇の通路から奥の方に連れていく。
通された部屋は、メイクルームのようで、すぐさま、鏡の前の席に座るように言われる。
1人の女性が、至近距離で、しげしげと僕の顔を見ながら、
「ファンデーション、どうします? けっこう、このままでもいけそう」
え? 僕に聞かれても、と一瞬思ったけど、そうではなかった。
もう一人の女性も、しげしげと僕の顔に目を注いで言った、
「そうねえ。お肌つるつるやし。でも、メイクしたら、めっちゃ映えそう」
そこへ、もう1人女性が入ってきた。
そして、僕のそばまで来ると、頭を下げた。
「すみません! 無理言ってごめんなさいね。今日はご協力感謝します」
「あ、いえ。僕でお役に立つのかどうか」
「立ちます! ばっちりです! イメージ通り。三井ちゃんの写真を見て、一目で、この人がいいって思ったもの」
そう言って、三井さんが見せたという、その写真を見せてくれた。
ゼミの教授の部屋で、みんなで撮ったものや、学内のカフェで、みんなでおしゃべりしてるときに、撮ったものだ。
僕は、よく睡眠不足で、眠そうな顔をしていることも多いので、そんな写真でなくてよかった。いや、そんな写真だったら、ここへは、呼ばれてないか。
う~ん。どっちがよかったのかはわからない。とりあえず、今日、睡眠不足でなくてよかった。
「メイクどうします? このままでもよさそうなくらい」
最初に僕を案内した女性の一人が言った。
あとから来た女性が、どうやら撮影を仕切るひとらしい。
「2パターン撮りたくなって来たわ。1つ目のパターンは、普通の青年らしく、爽やかイケメンな感じで。メイクは、あまり濃くしないで、ナチュラルに。お肌もきれいだから、このままでも十分なくらいだし。アイメイクとリップもあまり、濃くしないで、ナチュラルな感じで。このままの雰囲気をできるだけ活かせるように」
女性は続けて言う。
「二つ目のパターンは、ちょっと、妖艶な雰囲気で撮りたいわ」
結婚式場のパンフに、妖艶って、どうなん? と、内心、僕は思ったけど、すでに、僕の髪も顔も、2人がかりで、メイクされてる真っ最中で、何も口を挟む余地はなさそうだ。
見る見るうちに仕上がって、僕は、鏡の中の自分に、目を瞠る。
少し長くなってきて重いかなと思っていた前髪も、いい感じに、後ろに流されている。目元がすっきりして、いつもより、少し年上の落ち着いた雰囲気に見えなくもない。タキシードを着て、あらためて鏡の中の自分を見ると、ちょっと不思議な気がした。タイムスリップして、未来の自分を見たような、そんな気分だ。
そして、心の中で、思った。
これが、麻ちゃんとの式のための姿なら……。
そう思った瞬間、胸にこみ上げるものを感じて、僕はあわてて、そんな想像を振り払う。
メイクをしてくれた女性たちは、仕上がり具合を、確かめながら、口々に褒めてくれた。
「わあ。素敵です~。思った通り!」
「めっちゃいいですね」
「めっちゃ似合ってはりますよ」
「タキシード、黒もいいけど、あとで、白の分も撮りましょう」
僕は、なんだか夢見心地のような、不思議な気分で、案内されるまま部屋を出る。
洋館の奥には、広いホールと、小さな可愛らしいチャペルにつながる渡り廊下があった。そのチャペルと廊下を囲む庭は、広々とした芝生で、きれいな花があちこちに咲いている。表からは見えなかったけれど、ホールや渡り廊下から、そのまま庭に出られるようになっている。庭でも式や、パーティーができるようになっているらしい。まず、庭のシーンを撮るから、と言われ、庭におりる。
庭の中央で、牧師さんらしき男性が、木製の演台の向こうに立っている。そして、その前に、ウェディングドレス姿の女性が立っている。
向こうを向いているので、顔は見えないが、どうやら、彼女が、僕の相手役(?)らしい。近くまで行って、
「こんにちは」と声をかけた。
彼女が振り向いて、お互いの目が合った瞬間、僕らは、
「あ!」
「あ!」
同時に声を発した。
この前、例の雑誌を買うのを、僕が迷っていたときに、
「買うの買わへんの?」と横から、声をかけてきた、その女性だった。
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