第31話  こころ狭い?

 僕は、書店の中で、悩んでいた。

買うべきか買わざるべきか。


 僕がいるのは、雑誌のコーナーだ。

 たまたま、レジカウンターに向かおうとして通り抜けるつもりだった、女性誌のコーナーだ。そこに、いたのだ、彼が。


 幸せそうにほほ笑んで、ピアノに向かう彼。

 普通、表紙のタレントは、こちらを向いてるような気がするが、彼は、長い睫毛にふちどられた目を伏せて、唇の両端を少し上げてほほ笑んでいる。麻ちゃんが、大好き! と言った表情だ。

 僕は、引き寄せられるように近づき、うっかり手に取ってしまった。こちらに目線を向けていないからこそ、よけいにそう思うのか。次の、ふとした瞬間に、彼がその眼差しをこちらに向けそうで、目が離せなくなる。


 今まで、女性誌をしげしげと見たことはないけど、こんな表紙は、ちょっと珍しい気がする。

 目次を見ると、どうやら撮影秘話や、相方役の人との対談も載ってたりするようで、ちょっと面白そうだ。気になる。


 買うべきか買わざるべきか。

 心の中で、2人の僕が検討会議を開く。

 ヤキモチやきの僕は、やめとこ、と言う。

 おひとよしの僕は、麻ちゃん喜ぶんちゃう? という。悩ましい。

 ヤキモチやきの僕は、このあまりにきれいで素敵な、僕が見てもカッコイイと思ってしまう表紙を麻ちゃんに見せたくないと、正直、思ってしまう。我ながら、こころ狭っと思うけど。


 一方で、記事の中身には関心がある。

 そして何より、麻ちゃんに見せてあげたいと思う。いつも、毎週、ドラマの中の、彼がピアノに向かうシーンを息を止めて、めっちゃ集中して見ているのを知っているから。


「買うの? 買わへんの?!」と声がした。

 迷ってるねん。

 と答えそうになって、気づく。

 いつの間にか、僕の横に若い女性が立っていた。僕と同い年ぐらいか。

「あ、す、すみません。どうぞ」

 あわてて、僕は、雑誌を彼女に渡した。彼女は、僕の顔を見て意外そうな表情を浮かべ、嬉しそうに言った。

「え、いいんですか? よかった~それ最後の1冊みたいやから、あかんかったら、他のお店回ろうと思ってたんで」

「そうなんですか? そんなに売れてるんですか?」

「そりゃあ、この表紙は、目を引くでしょう。いつもは買うてないのに、表紙見て、うっかり買うてしもたって人続出みたいですよ」

「へ~。そうなんや」

「じゃ、ほんっとにいいんですね? 私、買わせてもらっても?」

「あ、どうぞどうぞ」


 勢いに負けて、その本を譲ってしまってから、だんだん僕は、買えばよかった……! という気持ちが強くなってきた。

 しかたない、他の店を回ろう。


 ところが、そのあと行ったどの本屋でも、売れ切れだという。譲るんじゃなかったかも。ネットも調べてみたけど、品切れの表示が出ている。

 がっくり……

 手に入らないとなると、なんだかとっても大きな機会を逃したような、後悔がこみ上げる。


 マンションの近くまで帰ってきたとき、とりあえず食料品を買おうと、近所のスーパーに寄って、そこでも、念のため、雑誌のコーナーに立ち寄る。パッと見た感じなさそうだ。

 でも、平積みになっている雑誌の山を眺めていて、僕は気がついた。積まれた山の真ん中へんにある1冊が、上の何冊かと種類が違う。1冊だけ、他の雑誌の山に紛れているのだ。

 もしかして。上の何冊かを持ち上げて、まぎれている1冊の表紙を見た。彼がいた。よかった~。

 今度は絶対手放さへんぞ。すかさず、カゴに、その雑誌を入れる。うっかり他のお客さんに、譲ってほしいと言われないよう、もう1冊別の雑誌をカゴに入れて、表紙が見えないようにする。

 そして、適当に、おにぎりとお惣菜と野菜ジュースを買って、店を出る。


 部屋に着いて、ドアを開ける。

「麻ちゃん、ただいま! おみやげ……」

「おかえり~」

「おかえり~」

 二重唱で声が聞こえた。まさか?

「萌!」

「大ちゃん、来たよ~久しぶり」

 少し髪も伸びて、華やかな笑顔の萌が手を振る。


 萌は、これまでも、何度か、この部屋に遊びに来ては、麻ちゃんとおしゃべりを楽しんでいる。

 僕の留守中に来ることもけっこうあって、僕が、萌に会うのは、実は、ずいぶん久しぶりだ。

「あんなぁ、今日、麻さんに、お土産買うてきてん。それで、今、一緒に見ててん。ほら」

 萌が僕に見せたのは、例の雑誌だ。

「え……それ」

「あ、まさか、大ちゃんも買うたん?」

「うん。そのまさか」

 僕は、買い物袋から、雑誌を引っ張り出す。

「あ、そうなんや。女性向けの雑誌やし、大ちゃん気ぃつかへんかもと思って、買うてきてんや。麻さんと二人で見たら、置いて帰ろうと思ってたけど、ちょうどよかったわ。実は、1冊しか買われへんかったから、これは、私持って帰るね。でも、せっかくやから、今は、これ一緒に見よう」

 萌がそう言って、僕らは3人で、その雑誌の特集記事を読む。


 どうやら、ドラマは、これから終盤に向かうところだけれど、DVD・BD化も決まり、さらには、演奏会のシーンだけ集めた、スペシャルDVD・BDの製作も検討中らしい。スタートした当初、ここまでヒットするとは予想していなかった、なんていうことも書かれている。

 ちょうど今夜は、ドラマの放送日なので、萌もうちに泊まって、一緒に、見ることになった。


 僕は、ひそかに反省する。

 萌は、僕が気づかないであろう情報を、かわりに麻ちゃんに伝えようとしてくれたんだと思う。


 ごめんな。麻ちゃん。

 ヤキモチやきの僕に、心の中で、軽く拳骨をくらわせて、反省する。

 外に出かけていけない彼女のために、見たいもの、聞きたいもの、知りたいことを、僕はがんばって集めてこよう。2人で、一緒にいろんなものに出会えるように。

 過去は変えられなくても、今と未来の僕らのために。

 人は存在する限り、前に進みたいと願う、

 新しい何かに出会いたいと願う、

 そんな生き物なのだと思うから。


 和也は、僕をよく気がつく、と言ってくれたけど、感情に振り回されると、いつも僕はぐだぐだになる。思わず苦笑いする僕の横で、

「ほんまに、この表紙の写真ええよねえ~」

「ほんとほんと。この表情、最高……」

 萌と麻ちゃんが、うっとり写真に見とれている。


(……あかん。やっぱり、なんかモヤモヤする。僕、こころちょっと狭いかもしれへん、麻ちゃん)

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