第29話 今のお互い

『あ、もしもし。おれ、和也。あったで~! 鍵。大吾が言うてた通り、バイト先の更衣室のロッカーのとこに、落ちとった。ほんま、ありがとう!』

「よかったな。実家まで、合鍵取りに行かんですんだやん」

『おお。ほんま、ホッとしたわ。昨夜は、ありがとうな。今度、お礼に何でも好きなもんおごるわ』

「おお。楽しみにしとくわ」

『まかせて~。……でな、一個頼みあるねんけど。ええかな?』

「何よ?」

『あんな、おれの合鍵、預かっといてくれへん?』

「いや、かまへんけど。僕が預かっててええんか?」

『うん。大吾が預かっててくれたら、おれ、めっちゃ安心やし』

「そっか。まあ、ええよ。僕も丈くんに鍵預かってもらってるし。僕も、丈くんの鍵、預かってるし」

『え? そうなんや』

「うん。僕らも、実家には合鍵あるけど、必要なとき、すぐには、取りに行かれへんやん。それで、お互いの鍵預けようってなってん」

『確かにそやな。ほんま面倒なこと頼んでごめんやけど、近いうち、鍵もって行くわ。じゃあ、ごめんな。ありがとう』

「うん。またな。でも、ホンマよかったなあ」

『うん!』

 いつもの元気な和也の声で、電話が切れた。


「よかったね」

 麻ちゃんの声も嬉しそうだ。

「うん。なんかホッとしたな」

 もし、バイト先に鍵がなければ、僕も一緒に、鍵さがしに行くことになっていた。


「さて、大ちゃん。今日は、どんなスケジュール?」

「ん? 今日? そやな……どっこも行かへん」

 僕は、『どっこも』のところに力を入れて、ゆっくり答える。


「え? ほんと?」

 麻ちゃんの声が跳ねる。

「嬉しい?」

 僕は、少し笑いながら言う。

 たぶん、僕の顔はちょっとニヤついているかもしれない。

「……めっちゃ嬉しい」

 麻ちゃんの声も、ちょっと甘えたような声だ。


「じゃあさ、今日は、一緒に、録画したドラマ見たり、本読んだりしながら、いっぱいおしゃべりしようか?」

 僕は提案する。

「いいね。どれから見る?」

「そうやなあ。どれがいいかなあ……」


 僕は、リモコンを手に、録画された番組一覧を画面に表示する。ちょうど、例の天才ピアニストのドラマの画面が目に入る。

 僕が、ちょっぴりヤキモチをやいてしまったドラマだ。ちょっと気恥ずかしくなって、僕は、思わず苦笑いしてしまう。

「ん? どした? 何ひとりで笑ってるの?」

 麻ちゃんが不思議そうに言う。


「僕な、昨日、この俳優にヤキモチやいてん」

「うん。妬いてたね」

「え? 麻ちゃん気づいてたん?」

「うん。大ちゃん、すぐ顔に出るもん」

「そうか。ごめん」

「ううん。こっちこそ、ごめんね。でも、ちょっとだけ、言い訳するとね。表情がいいなあ、って思っただけだからね」

「うん」

「この人が好きっていうのではないからね」

「うん」 僕は、短く答える。

 麻ちゃんが、言葉を重ねる。

「一番大好きなのは」

「麻ちゃん」「大ちゃん」

 2人の声が重なる。

「へへ」

 麻ちゃんが照れたように笑う。

「ふふ」

 僕が、笑う。


「麻ちゃん、僕な、ヤキモチやいたくせに、自分からは、麻ちゃんにちゃんと言葉で、伝えてへんかった。昨日、それにやっと気がついてん。ごめんな」

「ううん」

「僕は、麻ちゃんが好きや。今まで、ちゃんと言えてなかったけど、もうずっと前から、大好きやってん」

「うん……」

 麻ちゃんの声が途切れる。

 だから、僕は、力をこめて続ける。

「僕には姿が見えなくても、声だけでも、そんなんも全部含めて、麻ちゃんがいいねん」

「大ちゃん。……ごめんね」

 麻ちゃんの声が、ゆれる。

「ちょっとした遠距離恋愛と思えばええねん」

「うん……」

「麻ちゃん、僕は、過去の麻ちゃんのことを、ほとんど何も知らへん。でも、今の麻ちゃんと出会って、今の麻ちゃんを好きになった。麻ちゃんも、過去の僕を知らへん。でも、今、こうして一緒に過ごしてる僕を好きやって、思ってくれたんやろ?」

「うん」

「それでは、あかんのかな? 今のお互いを好きでいる。それでは、だめなんかな?」

 僕は、一生懸命、麻ちゃんに、問いかける。

「だめじゃない」


「うん。じゃあ、お互い、もう、『ごめん』はなし。な? 今を、大事にしよな」

「うん。……大ちゃん」

「何?」

「大好き」

「え~、もう、照れるわ~」

 冗談めかして言ったけど、めちゃくちゃ鼓動が早くなる。

「大ちゃん、ほっぺた真っ赤。あ、耳も」

 麻ちゃんが、僕を冷やかす。

「僕、なんかもう、一生分、好きって単語使った気ぃするんで、今後は、使うの控えます」

 僕は、わざと意地悪く言ってみる。


「え~そんなんいやや~遠慮せんといっぱい言うて~」

 麻ちゃんが、一生懸命、関西弁で言う。可愛い。

 僕の意地なんか簡単に崩れ去る。

「しゃあないなあ。でも、……好きやで。麻ちゃん」

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