第28話  やっと

「でも、いっちばん、大好きなのは、大ちゃんだよ」


「麻ちゃん!」

 僕は、思わず、声のした方向を振り向こうとした。


 その次の瞬間、

 ぴ~んぽ~ん。

 なんだかちょっと間延びした感じに、ドアホンが鳴った。

「おれおれ。和也」

 和也の声だ。

 僕は、大急ぎで、ドアを開ける。

「どうしたん?」

「あ、ちょうど出ていかはる人おって、入れ替わりで入れたから、そのまま上がってきた」

 和也は、1階のオートロックを通過してきた理由を説明する。

「いや、そうやなくて、こんな時間にどうしたんって」

 10時をとっくに過ぎている。

「とりあえず、入りや」

 丈くんの部屋は、まだ帰ってきていないのか、人の気配がない。

「ごめんごめん。いや、おれ、部屋の鍵、どこかで失くしたみたいで、見当たらへんくって」

「え、やばいやん」

「そやねん。バイト終わってから、部屋帰って開けよと思たら、なんぼカバンの中探しても、鍵あれへんねん」

「家主さんとこは?」

「管理会社通すことになってんねんけど、おれ、スマホ、部屋の中置いたまま出かけたから、連絡どっこもとられへんくて。で、大吾と丈くんの顔が浮かんでん。で、まっしぐらにここに来てん」

「そやったんか。大変やったな。とりあえず、今日は、うち泊まって、明日、鍵さがすか」

「おお。そうする。ほんま、助かるわ。ありがとうな」

「合鍵、誰かに預けてたりせえへんの?」

「実家。場合によったら、明日実家まで、合鍵取りに行くわ」

「そやな。それの方が早いかもな」

 和也は、ぐったり疲れ切った顔をしている。

「ご飯は?」

「賄い食べた」

「風呂は?」

「もちろん、まだ」

「じゃあ、風呂入りや。着替えは、僕の貸したるし」

「ありがとう」


 下着は買い置きの新しいもの、Tシャツとジャージは、洗濯はしてあるけど着古したものだ。

「ここおいとくで」風呂の中の和也に声をかける。

 洗面台の横の棚にタオルと一緒にのせておく

「うん。ありがとう」


 リビングの隣の和室に、2人分、布団を敷く。

「大変だね」

 麻ちゃんが言う。

「うん。やっとバイトすんで家帰ってきて、入られへんってめっちゃ、サイアクやで。スマホもなくて、あせったやろな」

「うん。大ちゃんが、ここにいてよかったね。きっとすごく、ホッとしてるよ」

 洗面所の方から、ドライヤーの音がする。

 手早くシャワーをすませて出てきたらしい。

 お茶がいいかな? それとも、ビールの方がいいか?

 何か、つまめるものでもあった方がいいだろうか。僕は、考えながら冷蔵庫をのぞく。


 髪を乾かし終えて、和也が、リビングに戻って来る。

「ほんま、ありがとう。……めっちゃホッとした」

「ビール? お茶?」僕がきく。

「ん~、ビール」

 人心地ついたのか、和也が、やっとニコッと笑った。

 缶ビールを手渡す。

 僕も1本付き合うことにする。

 そして、個包装の小さいチーズを4個、小皿にのせてテーブルに置く。

「こっち、アーモンド入り。こっちが、サラミ入り」

「お。ありがとう。じゃ、1個ずつな」

 いいことがあったわけじゃないけど、

 僕らは、つい習慣で、缶をコツンと合わせて、

「かんぱい」と言って、一口くいっと飲む。

「あ~。生きかえる~」

 和也は、ホッとした顔をして、チーズをかじっては、ビールを飲み、

「はあ~」とため息をつく。

 和也の目がしょぼしょぼしている。もう、かなり眠そうだ。

 ビールを飲み終えた和也に、

「これ、使う?」

 僕は、買い置きの新品の歯ブラシを渡す。

「え、使っていいの?」

「ええよ」

「大吾、めっちゃ、よう気ぃつくな。こういうの、至れり尽くせりって言うんやろな。おれ、大吾と結婚したいわ」

 和也が、目をウルウルさせて言う。

「なにいうてんねん。こんなん普通やろ」

「普通ちゃう。おれ、ほんま、大吾が、ここにおってくれてよかった……」

「そうかぁ。まあ、疲れてるやろから、早よ、歯磨いて寝たら。隣の部屋に布団敷いてあるから」

「うんうん」和也がうなずく。


 和也は、歯磨きをすませると、転がるように布団に倒れ込んで、

「ありがとう。おやすみ……へへ」と照れくさそうに笑うと、あっという間に、すやすやと寝息をたて始めた。

「おやすみ」

 たぶん、僕の声は耳に入っていなかったかもしれない。



「寝たみたい」

 僕が言うと、

「そうだね。やっと、ホッとしたんでしょうね。あとは、明日、鍵が見つかればいいね」麻ちゃんが答えた。

「そうやな。バイト先の更衣室かどこかに落としてるとか、ありそうな気がするけどな」

「うん。あったらいいね……」

 麻ちゃんの声も、なんだか、ちょっとトロンとした声になっている。

 眠いのかな? なんだか少し、可愛らしい。


「麻ちゃん」

 僕は、彼女に呼びかける。

「ん?」


 一瞬の沈黙のあと、僕は言った。


「僕な、麻ちゃんのこと、大好きやで。……ずっと言いたかった」



 僕は、やっと、気がついたのだ。

(麻ちゃんに、大好きって言われたことがあったっけ?)

 なんて、言ってる場合じゃなかった。


 麻ちゃんに、『大好きなのは、大ちゃんだよ』と言われて、初めて気づいたのだ。僕の方こそ、彼女に、大好きって、声に出して言ったことがなかった。心の中では、何度も叫んでいたのに。


「大ちゃん、大好きだよ」

 麻ちゃんの声が、僕の耳元で、とろける。

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