第27話 いっちばん
丈くんの勤める学校が、麻ちゃんの勤めていた学校だったということ。なんとなく気づいていたけど、僕は、あえて話題にしなかった。それには、わけがある。
あの頃の僕は、生きていたころの麻ちゃんに、会いたくてたまらなかった。
どんな顔をしていたのかな。
どんな笑い方をしたのかな。
どんな髪形をしてたのかな。
どんな服を着てたのかな。
身長はどのくらいだったのかな。
・・・・・・・・・・・・・・・
思いつく限り、およそ、声以外のすべて、生きていたころの彼女を全部知りたいと思っていた。
だから、丈くんと同じ学校だと知ってしまったら、きっと、僕は、丈くんの気持ちも、麻ちゃんの気持ちも考えずに、自分の、知りたいと思う気持ちのままに、突っ走っていただろう。少しでも、麻ちゃんにつながるものを求めようとしていただろう。
そして、それを知ったとしても、もう決して、現実には、会うことができないことを、あらためて思い知って、きっと、めちゃくちゃ落ち込んでしまっただろう。
それは、自分がもう生きてはいない存在であることを、麻ちゃんにあらためて思いしらせてしまうことでもある。
言ってみれば、僕の手で、もう一度、彼女を死なせてしまうのと、同じだ。
彼女に、二度も同じ悲しい思いをさせたくはない。 彼女を悲しませること。僕は、それがこわかった。
もちろん、今も、僕は、生きている彼女に会いたい、そう痛切に願うことがある。
でも、あの日、恭平の絵で、初めて彼女に会った日から、少しずつ、僕の想いは、前に進みつつある。
会えても会えなくても、
僕が大好きなのは、今、ここにいる、彼女だ。
たとえ、声だけであっても。
姿形がなくとも。
そう。
究極の遠距離恋愛だと思えば……なんて、少し冗談めかして考えてみたりもする。
そんなことを考えていると、麻ちゃんが声をかけてきた。
「大ちゃん、そろそろ始まる時間だよ」
「ん? ……ああ。ほんまやな。ちょっとまって、すぐつけるわ」
麻ちゃんは、見たくても、自分では、テレビのスイッチは入れられない。本のページもめくれない。きっと、すごくもどかしい思いを抱いているはずだ。
「ごめんな。ぼーっとしてたわ」
「ううん」
麻ちゃんの声に、ほんのり、僕を気遣うような気配が漂う。
「大丈夫やで」
僕は、笑って見せる。
大急ぎでつけたテレビの画面に映るのは、僕らが毎週、楽しみにしているドラマだ。天才ピアニストが主人公のドラマで、その役をアイドルグループのメンバーの一人が演じている。
もともとライブでも弾いていたらしいけど、天才役って、いくらなんでも無理でしょう、といろんな人にさんざん言われていたらしい。
けれど、いざ、ふたを開けてみたら、彼の演奏は、とても音が美しくて、心に沁みる、と評判になり、老若男女問わず、ハマる人が続出していると話題だ。
オープニングは、少し、派手な技巧を要する演奏で、印象的に始まる。
さすが、天才だ。そう思わせておいて、次のシーンでは一転して、ピアニストと助手のおじさんの、ずっこけ弥次喜多道中が始まる。
この落差がいいと、それもウケている理由の一つらしい。
でも何より、毎回の演奏シーンが、けっこう感動的で、実は、麻ちゃんも僕も気に入って毎週楽しみにしている。
リアルタイムで見て、さらに録画もしておいて、あとで、演奏会のシーンを、何回も再生し直す、というのが、僕らのお決まりのパターンなのだ。
今日も、演奏会の最後、アンコールのシーンで、会場の声に応えて、彼がリクエスト曲を演奏し始める。
そのときの、ピアノに向かう表情が、すごくいいのだ。ピアノが心から好きでたまらない、そう思っていることが、伝わってくるような、幸せそうな笑顔。
これは、演技なのか? それとも本心?
僕らには、本当のところは、わからないけど、麻ちゃんは言う。
(演技には見えないよね。きっと、心からそう思ってるんだよね)
画面の彼は、唇の両端を、そっと上げて滲むように優しく笑う。
めちゃくちゃ甘い表情になる。
「これ、この表情! 大好き!」
麻ちゃんが、ため息交じりに言う。
「そやね」
僕は、少し、短く答えて、頬杖をつく。
(そういえば、僕って、麻ちゃんに、『大好き!』って、言われたことあったっけ……)
次の瞬間、麻ちゃんの声が、僕の耳元で、ささやいた。
「でも、いっちばん、大好きなのは、大ちゃんだよ」
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