第22話 奇跡みたいに
「……ごめんな、恭平」
僕は、やっと、声を出す。
どれくらい時間が経っていたのかわからない。
それは、案外短い時間だったのかもしれないけど、階下から、にぎやかな笑い声や、客の出入りするドアの音が大きく聞こえてきた。
「いえ、ありがとうございます。初めて、あの人のこと、名前で呼べます」
「恭平く~ん、下、混んできたから、お願い~」
階下から、店主である恭平君のおばさんの声がする。
「はーい。今、行きまーす」
大きな声で返事をしてから、僕に向かって、恭平はほほ笑んだ。
「大吾さんは、ゆっくりしてって下さい」
「うん。ありがとう」
僕は、階下に降りて、紅茶と、今日のおすすめのPOPがついた、ロールケーキを頼み、トレーを受け取って、再び2階へ上がる。カウンターで注文して、自分で運ぶシステムなのだ。
もう一度、さっきの席に座って、麻ちゃんの絵を見る。
幸せそうな笑顔だ。
僕や恭平が、どんなに切ない想いでみつめても、この絵の中の彼女は、穏やかでのんびりしていて、ふつうに、ごキゲンだ。
……今にも鼻歌でも歌いそうなくらい。
(麻ちゃん)
絵の中の彼女に、心の中で呼びかける。
(ん? なになに? え? あ、この本?これね、……)
今にも、ニコニコして話し出しそうだ。
僕は、生きている彼女に会えるなら、
してみたいことがいっぱい、ある。
一緒に向かい合って食事したり、
一緒に手をつないで歩いたり、
一緒にお酒を飲んだり、
一緒にドライブしたり、
一緒に旅行して、いろんな景色を見たり、
一緒に、……
僕は、欲ばりなのだろうか。
今、彼女の魂は、僕のそばにいる。
手を握ることもできないけど、
思いきり抱きしめることもできないけれど、
確かに、心は、そばにいる。
人が人を愛するって、どういうことなのだろう。
そんな哲学的なことも、ちょっと考えてしまう。
生きている彼女に会えなかった僕と、
生きている彼女に会えていた恭平。
僕らは二人とも、
さみしくて切なくて、
彼女に会いたくて。
しょうがないなあ……、麻ちゃん。
僕は、ひとり、静かに決心する。
生きている彼女に、
会いたい気持ちも。
会えないさみしさも。
すべて、僕は、僕の心全部で包み込もう。
そして、今の彼女の存在も、
僕は、そのまま丸ごと、受けとめて、
心で抱きしめていよう。
そして、時々、どうしようもなく、つらくなったら。
その時は、恭平を誘って酒でも飲もう。
僕は、今、はっきりと言える。
麻ちゃん、大好きやで。
声だけでもなんでも。
君の存在は、
僕には、奇跡みたいに、
幸せなことやねん。
すっかり冷めてしまった紅茶を飲みながら、ロールケーキを、僕は、勢いよく口に運んだ。
よし、今夜は、なんか美味しいもんでも作って、食べよう。
もし、都合が合えば、丈くんや、和也も誘って、3人でお酒でも飲もう。
麻ちゃん。
麻ちゃん。
抱きしめるように、心の中で呼びかける。
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