第17話 待っててな

「やっぱり……」

 思わず声が出た。

 しかも、謙杜がその電話の相手から得た情報では、最近、彼は、彼の兄のバイクを乗り回していたらしいことも判明した。

 謙杜たちの学校は、比較的自由な校風で、バイクの免許を取ることも禁止してはいない。ただ、事故を起こした場合、未成年が責任を取ることは難しい。だから、できれば乗らないこと、と指導されているらしい。


 謙杜も、町田君も、なんとなく、そうだったのか……という顔をしている。

「驚いてへんね?」

 僕がきくと、 

「話してる途中から、なんか様子がおかしいな、て思って」

 謙杜が言う。

「なんか、めっちゃあせった顔してるな、って気がして」

 町田君も言う。

「うん。そやったな」

「でも、あいつね、悪いやつちゃうんすよ。ちょっと気が小さいところはあるけど……。やから、うろたえて逃げてしもて、あいつ、今めっちゃ後悔して苦しんでるんちゃうかな」

 謙杜が言う。

「そやな。そんな感じがしたな」

「入院してるって聞いたとき、すごく焦ってたし」

 町田君も言う。


「よし、だいたい状況も把握したし、このあと、吉澤君が、どう動くかは、まだわからへんけど、このままほっとくってことはない気がする。やから、とりあえず、僕らは今から、彼女の入院してる病院へ行こう」


(はっきりしたことはわからないけど、あの子、できるだけ早く、体に戻った方がいいと思う。話をしているとき、感じたの。彼女、自分が、魂として存在することになじみ始めてる。それって、よくないと思う。生きている体に戻れなくなりそう。)

 麻ちゃんが出かける前に、僕に心配そうにそう言っていた。

「行きましょう」

 謙杜たちも言う。


 僕らは、さっきの女性に教えてもらった病院へ向かった。

 病院に寄ってきた、と彼女は軽く言っていたし、大きなケガもなかったと言っていたことから考えて、ICUとかに入っているのではなく、一般の病室にいる可能性が高いと思ったので、外科の病棟にまず行ってみた。

 そこで、ナースステーションで、きく。

「すみません、4日前に事故で運ばれて入院してるんですけど……あの、何号室でしょうか?」

 僕は、彼女の名前を麻ちゃんから聞いて知っていたけれど、謙杜や町田君の前で、はっきりと名前を言うわけにもいかず、……のところをむにゃむにゃと早口でごまかして言った。

「ああ、水野さんですね」

「はい、そうです」すかさず答える。

「このすぐ向かいの部屋ですよ。今、ご家族がいらっしゃいますよ」

 彼女、水野さんの部屋は、ナースステーションのすぐ向かいの個室だった。

 病室のドアをノックすると、

「はい」と短い返事が聞こえた。

 僕らは、静かにドアを横にスライドさせて、中に入った。

 ベッドの上で、高校生らしき女の子が横になっていて、そのそばに40代くらいの女性が座っていた。

「あの、明日香のお友達?」

 彼女は、少し戸惑いながら言った。

「はい、いえ、あの、僕、あの日、倒れてる彼女を発見して、女の人たちと一緒に救急車よんだり、荷物拾ったりして……」

 町田君が言いかけると、

「まあ、あなたが。病院まで付き添ってくださった方たちが、もう一人高校生のくらいの男の子が、助けてくれたっていうてはったので、お礼が言いたいって思ってたんです。心配してきてくれはったんやね」

「はい。さっき、道で、あのとき一緒にいてたひとに出会って、ここの病院やって教えてもらったので、来たんです」

「そうなんですか。あの方も、えらい気にかけてくれてはってね。さっきもお見舞いに来てくれてはったんです」

「はい、僕にもそう言うてはりました」

 女の子は、水野明日香さん、そして、この女性は、彼女の母親だった。

 お母さんは、町田君から僕らに目を移して、

「こちらは……?」 

「あ、失礼しました。町田君が、彼女のケガをとても心配して、でも、運ばれた病院もわからないし、と困ってたので、どうしたらいいか、相談にのっていたんです」

「そうなんです。僕が、いろいろ心配してるのを見て、2人とも一緒にここまでついてきてくれたんです」

「まあ、そうなんですか。ほんとに、いろいろご心配をおかけして」

 お母さんが、恐縮したように言う。

「意識がまだ戻らないとお聞きしたのですが」

 僕が言うと、

「そうなんです。検査の結果、脳の方にも問題はないし、多少の擦り傷や打撲はあるけど、そんなに大きなけがは見当たらないから、なぜなのかわからないって、先生も言うてはって……」

 お母さんの顔が、一瞬、心配そうな泣きそうな顔になる。

 僕たちは、ベッドの上の、明日香さんの顔に視線を向ける。

 まだ、目覚める気配がない。

 町田君についている彼女は、僕たちと一緒に、ここへ来たはずだ。でも、まだ、自分の体には戻れていないようだ。

 どうしたら戻れるのか。

 僕たちは、彼女の転倒事故は、単独の事故ではないことを確信しているけど、そのことが明らかになったわけではない。


 足りない。

 明日香さんが納得して体に戻るには、条件が足りないのだ。やはり、僕らから、警察に働きかけて、事故としての調査を何とかお願いする必要があるのだろう。

 でも、それだと、時間がかかって、彼女が、自分の体に戻る日がまだまだ先になってしまう可能性が高い。

 吉澤君に動きがないようなら、同時進行で、彼にもアプローチをかけないといけない。


 そう思ったとき、謙杜のスマホが鳴った。

「あ、すみません。ちょっと、でてきます」

 謙杜がそそくさと病室を出ていく。

 町田君は、じっとベッドの上の明日香さんに視線を注いでいる。早く戻れるように念じているのかもしれない。


 謙杜が、病室のドアの外から手招きをする。

 僕が、病室の外に出ると、

「あの、電話、吉澤君からでした。入院してる病院教えてほしいって言うから、今、僕らもいてるでって言うたら、今からすぐここへ来るって。さっき、僕らと別れたあと、もうこれ以上逃げたらあかんって思ったらしいです。ちゃんと謝ろうって。それで、兄ちゃんにも、ほんまのこと、正直に話したらしいです。あいつ、自分一人で転倒したって、最初言うてたらしくて。でも、ほんまのこと話して。そしたら、兄ちゃんが、すぐ行こうって。一緒に謝りに行ったる、て言うてくれたらしいです」

「そうか。よかった。これで、明日香さん、納得して戻れたらいいな」

 

 僕たちが、病室に戻ってしばらくして、吉澤君が、兄に付き添われて、青ざめた顔で、病室にやって来た。

 そして、ベッドの上の明日香さんと、そのそばにいるお母さんに、一生懸命に頭を下げて言った。

「僕が、バイクで、目の前に滑って割り込んでいったんです。それで、避けようとして、転倒しはったんやと思います。直接ぶつかってないけど、でも僕が割り込んだせいで起きたことなんで、僕が、もっと気をつけて運転してたらよかったんです。ほんまに、ご迷惑かけて、痛い思いさせて、ご心配かけて、ほんまに、ほんまにすみませんでした」

 彼は必死の表情で、さらに続けた。

「それと、僕、そのときびっくりして怖くなって、逃げてしまって、ほんまにすみません。ちゃんと、その場で、手当したり助けたりするべきやったのに、逃げてしもて、ほんとに、すみませんでした……」

 吉澤君のお兄さんも、

「弟が、ほんとにご迷惑をおかけして申し訳ありません。今から、警察に行って事故としてきちんと届けようと思っています。でも、その前に、ちゃんと謝るべきやと思って、来させてもらいました」と頭を下げた。


 明日香さんのお母さんは、予想外の出来事に、驚いて戸惑っていた。

 娘は、自分一人で転倒したのだと思っていたからだ。

 そして、何と言えばいいのか少し困って、ベッドにいる娘の方に、ふと目をやった。僕らも、お母さんの目線につられて、ベッドの方に目をやった。


「お母さん」

 明日香さんが、ぱっちりと目を開いて、呼びかけたのだ。

「明日香! 目ぇ覚めたん! よかった……」

 お母さんは、枕元にあるナースコールを押して、

「意識戻りました!」と、うわずった声でいうと、大きく息を吐いて、次の瞬間、

「このこは! もうホンマに心配してんで!」

 明日香さんの腕をたたくようにさすりながら、目に涙を浮かべて言った。


 駆けつけたナースとドクターは、もうこれで、一安心という診断を下して、明日、もう一度検査をして、特に何も異常がなければ、退院しても大丈夫です、と言った。彼らもホッとしているようだった。

 吉澤君兄弟も、驚きながらも、少しほっとした顔をしていた。

 そして、ひそかに誰よりも心からホッとしていたのは、町田君と、彼を心配して

いた謙杜と僕だった。


 吉澤君兄弟は、明日香さんのお母さんと連絡先を交換して、警察に行ってきます、と言って、病室を出て行ったが、彼らも、明日香さんの意識が戻ったことで、ホッとした明るい表情になっていた。

 僕らも引き上げることにして、挨拶をすると、明日香さんとお母さんは、

「ご心配かけてすみませんでした。ありがとうございました」と何度も

頭を下げた。

 そして、病室の入り口で、町田君と謙杜がお母さんと話しているときに、明日香さんが、僕をそっと手招きで呼ぶと、小さな声で言った。

「あの、伏見さん、麻さんにもありがとうって……とても心強かったって。伝えてください」

「うん。わかった。伝えるよ。……戻れて、ほんとによかったね」

「はい」

 明日香さんは、涙ぐんでいた。


 病院を出ると、僕ら3人は、なんだか一気にぐったりしてしまった。

「疲れたね」

「うん」

「お腹空かへん?」

「空いた」「空きました」

「このすぐそばに、めっちゃ美味しいラーメン屋さんあるねん。小さい店やから、あまり長居はできへんけど。どう? おごるで」

 僕が言うと、

「ほんまですか?」

「やったー!」

 2人の少年の顔に一気に活気が戻る。

 彼らの笑顔を見ながら、僕は、心の中でつぶやく。


(麻ちゃん、報告はちょっとだけ待っててな)


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