第15話 助けてあげたい

 翌日午後、謙杜に伴われてやって来た町田駿佑は、背の高い、きまじめそうな

少年だった。

「こんにちは。ご迷惑かけてすみません」

 そう言って頭を下げ、目にかかる前髪をかきあげた彼の顔は、青白かった。

「すみません。伏見先生」

 謙杜も、ぺこりと頭を下げる。

「ええよええよ。あがって」

「失礼します」「おじゃまします」

 少年たちは、礼儀正しい。


 2人は神妙な顔をして、リビングの座布団にちんまりと座る。町田君は、長い脚を持て余すように、もぞもぞしている。

「そんな気ぃつかわんと、足くずしてええからな」

 僕は、2人にお茶を出して、丸テーブルの反対側に座る。


「今日は二人ともおつかれさま。僕は、伏見大吾といいます」 

 僕に続けて、麻ちゃんが言う。

「私は、野上 麻です。わたしの声が聞こえますか」


 謙杜は、僕を知っているので、ニコッとして頭を下げ、町田君は、

「町田駿佑といいます」と緊張気味に言った。

2人からは、麻ちゃんの声に対するリアクションは、何もない。

よかった。聞こえてない。

これで、少しやりやすくなった。


 2人で声をかける。

 これは実は、賭けでもあった。

 昨夜、僕と麻ちゃんは、いろいろなパターンを想定して、話し合った。

 町田君のそばにいるらしい魂と会話する場合に気をつけないといけないこと。

 謙杜や町田君に、麻ちゃんの声が聞こえる場合、聞こえない場合。

 僕に、町田君のそばにいる魂の声が聞こえる場合、聞こえない場合。

 いろいろ考えた。

 そして、結局のところ、会って話してみないとわからないことが多いので、会ってみて臨機応変に行こうということになった。

 できるなら、おびえている町田君にこれ以上怖い思いをさせたくはない。けど、まず、町田君たちに麻ちゃんの声が聞こえるかどうかは、一つのポイントで。

 聞こえる場合は、いろいろと説明が必要になってしまう。ただ、彼らには、麻ちゃんの声は聞こえない可能性が高いと、僕は思っていた。


 そして、一つ残念なことに、謙杜と町田君だけでなく、僕にも、その魂の声は聞こえなかったのだ。

「この部屋に来たときから、彼女、大ちゃんに声かけてるけど、きこえてないよね。

だから、私が彼女と直接話して、その中ですぐに大ちゃんが知ってる方がいいことがあったら、ささやくね」

 麻ちゃんが言う。

 僕は、声を出さずにうなずく。


 僕は、町田君との会話に意識を向ける。

「じゃ、早速聞くわな。町田君、何かケガをするとか危険な目に合ったりした?」

「いえ、それはないです。机の上に置いたものの位置が変わっていたり、消した覚えのない電気のスイッチが消えていたり……。昨夜は、ノートパソコンのキーボードの上に、うっかり、お茶の入ったコップをひっくり返しそうになったときに」

 青白い顔を、いっそう青くしながら、彼は続ける。

「一瞬、止まったんです。コップが。で、パソコンは無事、だったんですけど」

 またしても、魂は彼を助けているらしい。


 町田君の話によると、

 倒れている女の子を助けたその日は、何もなかった。その次の日、現場を通ったあとから、起こり始めた不思議な現象は、少しずつ、頻度も内容も目立ってきている。


「今日で何日目やった? 不思議なことが起こり始めてから」

「今日で、3日目です」

「そうか。まず、一つ言えるのは、君のそばには、たぶん、その女の子の魂がいてる」

 町田君の顔がさっと曇る。

「でも、君に対して、何か恨みとか、そういうものがあって、そばにいてるわけちゃうから、あまり怖がらんでいいで。それと、声で話しかけられたり、とかはないんやよね? でも、不思議事象の頻度や内容が目立ってきてるところを見ると、明らかに何か君に伝えたいことがあるみたいやな。」

「僕に伝えたいこと……?」

「君の知り合いではないんやよね?」

「はい、周り暗かったので、顔ははっきりはわからんかったけど、少なくとも、同級生とか知ってる子ではなかったです」

「うーん。周りに車とか、事故らしい様子はなかった?」

「はい、周りに車とかなんもいてなかったし、こけてる自転車おこして立てたときも、ぐにゃって曲がってるとか、へこんでるとか、そんなこともなくて。もちろん、キズとかはあったんかもしれへんけど。 車とぶつかったとか、そんな感じじゃなかったんで、自転車で走ってるときに、自分で滑って転倒して、頭打って、打ち所が悪かったんかなって。やから、救急車が来たときも、救急隊の人に、

『自転車で滑って転倒したみたいです』って僕ら、言ったんですけど」

「けど……?」

「けど、翌日、僕、その場所通ったときに、その子の倒れてた場所のすぐ近くの、店のシャッターに、なんかバイクのタイヤ痕ぽいのがあって。関係あるのかどうかは、わからないんですけど。でも、道路から滑ってきて、そこまで突っ込んでいってたとしたらって……」

 町田君は続ける。

「その子が倒れてるの見たときは暗かったから気ぃつかんかったけど、もしかしたら、交通事故やったんちゃうかって、気がして」

 そして、彼は、そのタイヤ痕ぽいものやそのあたりの様子をスマホで撮影しておいたのだという。

「そうか。今、みられる?」

「はい」


 僕らは、町田君の撮った写真を見せてもらった。

 シャッターの下の方には、斜めにタイヤ痕というか、少し幅の広めのキズのような

ものが残っている。麻ちゃんも写真を見ている気配がした。


 僕の頭の中に、そのシーンのイメージが浮かんでくる。

 雨にぬれた路面。

 自転車よりは、ずっとパワーのあるバイクが、目の前に猛スピードで滑り込んでくる。一瞬、パニックになる。

 でも、次の瞬間、避けようとハンドルを切り、必死で急ブレーキをかける。けれど、避けきれずに横倒しになる自転車……

 きっと、その子は一瞬ものすごく怖い思いをしただろう。


 麻ちゃんが、僕にささやく。

「バイクは、結構なスピードが出てたみたい。しかも、すぐ目の前に横滑りしてきて、直接ぶつかりこそしなかったけど、何メートルか前の方で、そのバイクも転倒して。でも、乗ってた人はすぐに起き上がって、慌ててバイクに乗って走って行った、て。倒れてる彼女のことは振り向きもしないで」


 本当はバイクがきっかけの事故なのに、一人で転倒したと思われていて、その子は、どれだけ納得のいかない思いをしただろう。

 しかも、自分はショックのあまり、体から魂が抜けだしてさまよっている状態に

なっていて、この件が、暴走バイクのせいで起きた事故だと、誰にも訴えられない

でいるのだ。それは、あまりに悔しい。誰かに本当のことを知ってほしい。

 でも、魂の状態で体から飛び出して、そのあと体に戻る方法がわからない彼女は、

そのまま事故現場で、途方に暮れていた。

 そして、翌日。

 町田君が、そこに通りかかった。

 昨日、親切に助けてくれた彼は、さらに、これは交通事故かもしれない、という

疑問を持ってくれた。彼なら、わかってくれる。きっと、協力してくれる。

 そう思った彼女は、町田君についていくことにした。

 そして、なんとか彼に事故だということを、明らかにしてもらえたら、そう考えた。ところが、彼には、彼女の声は届かない。

 せめて、存在を知ってもらおうと、いろいろ、彼の身の回りのものを動かしてみた。すると、彼は、わけの分からない現象が次々と起きることに、すっかり恐怖を抱いてしまったので、彼女は、再び途方にくれることになった。

 もう、何も動かすまいと思ったけれど、彼が困りそうな場面では、ついつい、手を

出さずにはいられなくて……


 彼女の自転車には、直接何かと接触したような大きな形跡はなかったらしいから、

このままだと、彼女の家族も、誰も、事故だとは、思わない。

 この件が事故だということ、そして、そのバイクを運転していたのは誰なのか、それが、明らかになれば、彼女の魂は救われるのではないか。


 麻ちゃんのささやいてくれた内容に加えて、僕自身が推測したことを、町田君と謙杜に、

「あくまで想像やけど、そんなに大きく外れてへんと思う」

 と言いつつ、話した。


 話し終わると、町田君の顔からは、恐怖はすっかり消えて、青白かった頬には、赤みがさし、瞳に強い意志が見えた。

「僕も、きっとそんな気がします。なんとか助けてあげたい」

「よっしゃ。町田君、とにかくその現場にいってみようか」

「あ、はい!」

「急いで、出かける用意するから、その間、外で待っててくれる?」

「はい」


 2人が、外に出ていくとすぐに、僕は麻ちゃんに声をかける。

「どう?」

「うん。ばっちり。大ちゃんがあの子たちに話した通り。

 ただ、彼女、事故の相手のこと、ほとんどわからないって。目撃者は、唯一、彼女自身なんだけど、暗かったし、突然で、あまりわからなかったって。覚えてるのは、転倒したバイクに乗ってたのは、雰囲気から見て、若い男性っぽかったこと。それと、その人が倒れたときに、手首から何かが飛び散って、ばらばらって、あたりに転がって行ったけど、その人は拾わずに行ったってこと。もしかしたら、その散らばったものが、まだ、その現場にあるかもしれない。事故として処理されていないから、まだ、いろんなものが残っている可能性がある。

 大ちゃん、できるだけいろんな角度から写真を撮ってきて。それから、ビニール手袋3人分と、透明なビニール袋、何枚か持って行って。見つけたものを入れられるように」


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