第11話 窓を開けて

 リビングのクッションにもたれて本を読んでいると、部屋の外のにぎやかな足音や声は、しばらくして、次第に落ち着いたものに変わった。搬入完了かな?

 ドアを開けて外をのぞくと、丈くんが部屋の前で、引っ越しやさんに、お茶の入った袋を手渡しながらお礼を言っているところだった。


 エレベーターで去っていく、引っ越しやさんを見送って、丈くんが

「やっと終わった~。てか、ここからが本番やねんけど」

「おつかれ~。あのさ、そろそろお昼どきやし、なんやったら、うち来て昼ごはん

食べへん?」

 僕は、提案する。


 さっき、冷蔵庫をのぞいたら、いろんなお惣菜の入ったタッパーが、ぎっしり詰まっていた。僕は、タッパーは2つくらいしか持ってこなかったから、どうやら、昨日、スーパーへ出かけた萌がタッパーを買い足したようだ。ご飯も朝炊いて、冷凍にしたものがいっぱいある。


「昨日さ、萌が来てて、めっちゃおかずとか、作って行ってくれてん。ご飯もいっぱいあるし」

「え、萌ちゃんいてんの?」

 丈くんの顔が、一瞬かがやく。

「いや、今朝、マンガミュージアム行ってから帰る、って言うてでかけてった」

「なんやそうか……いや、でも、ええん? ほんまは、おれが引っ越しそばとか、ふるまわなあかんとこやんなあ」

「いや、別に振る舞ってくれてもええけど、それはまた今度で。今日は、サッと昼、食べて、荷物の整理せなあかんやろ?」

「うん。ありがとう。めっちゃ助かるわ」


 丈くんは、自分の部屋のドアに鍵をかけると、僕の部屋にやってきた。ベランダ側の窓を開け放しているので、気持ちのいい風が、時おりカーテンを揺らす。そのたびに、やわらかい日差しが、リビングの床やテーブルの上で、踊る。

「なんか、めっちゃ気持ちいいな」

 丈くんが驚いたように、目をぱちぱちさせて言う。

「ほぼ間取りも同じで、窓の方角とかも同じやけど、なんか、雰囲気違うな」

「そうか?」

「おお、なんか空気が柔らかい、っていうか……なんかわからんけど、気持ち

いいな」

「丈くんとこも、片付いたら、そうなるんちゃう?」

「そうかな」

 言いながら、丈くんも、引っ越してきた日の和兄のように、ベランダからの風に

目を細めている。

「ここの部屋ってさ、本棚がええよな。おれ、それで決めてん。机もついてるし」

丈くんが言う。

「え? 机? どこに?」

 僕は少し驚く。

「ほら、ここのところ、ここの板引き出して、この下にある、支えの板をここにはめ込んだら」

「わ、ほんまや、そんなん付いとったんや! 気ぃつかんかったから、机、家から持ってきてしもた」

「まあ、でも、その機能使ったら、本置くスペースがその分減るからな。大吾の本の量で言うたら、机は別の方が、ええんちゃう?」

「そうかな。そやな。たしかに」


 納得して、僕はキッチンに戻って、萌の作ったおかずを一人分ずつ皿に盛り付ける。4つに仕切られている白い皿は、一度にいろんなおかずを盛り付けるのにぴったりで、とても重宝している。

 実は、この皿は、和也のおすすめで買ったものだ。

(3枚買うといたら、ええで。絶対役たつで)と言われて、そんなにいらんけど、と思いながらも、買っといてよかった。さっそく役に立っている。

 待てよ。

 もしかして、あいつ、うちで、自分と丈くんと僕の3人でご飯食べること、想定してたんちゃうやろか?


 盛りつけたお皿を、リビングのテーブルに運ぶ。このテーブルは、食卓兼勉強机兼くつろいでるときのお茶なんかを載せるテーブルでもある。広めの丸いテーブルだ。

 コップにお茶を注ぎながら、僕は丈くんにきく。

「丈くん、中学校行ってんねやろ?」

「そうそう。ここから少し離れた、駅の向こう側にあるとこ」

 そして、この辺りでは、わりと評判のいい学校の名前を丈くんは口にした。

 その次の瞬間、

「あっ!」 麻ちゃんの声だ!

(麻ちゃん、声がでてる!)

 僕は、あわてて、彼女の声にかぶせるように、言う。

「あっ、えっと、まさか校区内に住んでるん?」

「ちゃうちゃう。自転車で通えるくらい、まあまあ近いけど、ここと校区は違うねん。そんなん校区の真っただ中に住む勇気はないわ」

「そやな。そらそやな。でも、よう名前きくで。なんか、けっこう評判ええん

ちゃう?」

―――幸い、丈くんは麻ちゃんの声を僕が発した声だと思ったのか、何も気づいた

様子はない。

「そうかぁ。まあ、たしかに、むちゃくちゃ荒れてるわけでもないし、落ち着い

てると言えば落ち着いてるからなあ」

 つぶやきながら、丈くんは、僕が敷いた座布団に座って、にっこりしながら

「はい、手を合わせて、……いただきます」と言った。

「ちょっと、何それ」 

 手を合わせた丈くんが、なんだか可愛らしく見えて笑ってしまう。

「あ、つい……。いつも、学校で昼ごはんのとき、そう言うねん」

 丈くんは少し照れくさそうだ。

「そうかあ、そういや、学校で、給食のとき、当番の子が前に出て、そういうの、

やってたな。なんか、なつかしいけど。丈くん、ほんまに学校行ってるねんな。丈くんが、先生って、なんかちょっと不思議な気ぃするな」

「いや、おれも、まだあんまり実感ない、っていうか、毎日、ホンマ必死やねん」

「そうなんや」

「生徒の前では、何でもないような顔して、『はい、そこ。ちゃんと話聞けよ』とかって、普通に言うたりしてるねんけどさ、職員室戻ったら、結構ヨレヨレのグダグダで。ああ、しまった~、あのとき、こう言うたらよかった。あ、そういえば、あのとき、あいつなんか言いかけてたよな。ちゃんと聞いたったらよかったな、とか。反省の嵐や」

 言いながらも、ご飯を頬張る顔は、楽しそうに見える。

「うっま!これ、全部、萌ちゃんが作ったん?」

 だし巻を一切れ食べて、丈くんが言う。

「うん。けっこういけるやろ。萌曰く、作り立ての熱々でも冷めててもおいしい

特製だし巻、やて」

「まじで、上手いわ。おれ、ここに引っ越してきて、めっちゃ正解やわ」

「よかったわ、そんなに喜んでもろたら。萌にも言うとくわ」

「うんうん。お、このピーマンとじゃこの炒めたやつも、めっちゃ美味しい」

「それな。ご飯進むやろ。おかわりあるからな」

 言いながら、僕はレンジで、ご飯をもう2パック温める。僕も、おかわりする気、満々だ。

 あとで、萌にお礼のメール送っとこう。


「丈くん、部活って何の顧問してるん?」

「野球」

 丈くんが、にかっと笑う。

「お、野球! よかったやん。中学高校とやってきたから、ばっちり指導もできるしな」

「まあ、バッチリかどうかはわからんけど、やったことない部活担当するのと違って

まだ、助かったわ」

「え、そんなん、やったことない部活とか、やっぱりあたることもあるんや?」

「あるある。おれの隣の席の先生なんか、生まれてからいっぺんも、竹刀触ったことないのに、剣道部顧問や、言うて困ってはったもん」

「へえ、そんなん、どないするんやろな」

「まあ、外部コーチよんだり、卒業生とか3年生の上手な子らに、手本見せてもらったりしてなんとかするしかないよな」


 丈くんは、美味しそうに、おかわりのご飯もおかずも気持ちよく平らげた。

「ほんま、ありがとう。めっちゃ、うまかった!」

 めっちゃのめ、のところに、すごく力が入っている。

「よし! これで、めっちゃ元気出た! がんばってかたづけるわ」

「うん、手伝うで」

「ほんまにええんか。貴重な休みやのに」

「大丈夫やで。一人より二人の方が早いし、また、月曜からは、普通に仕事なんやろ。今日のうちに、ある程度片付いとったら、明日は、ちょっとはゆっくりできる

やろ」

「うん。この土日は、引っ越しやから部活はなしにしてん。せやから、今日のうちに

片付いたら、ホンマ助かる」


 丈くんには、一足先に部屋に戻って、作業を始めてもらうことにして、僕は食器を

洗って手早く片付ける。片づけている僕の背後で、

「さっきは、ごめん」

 麻ちゃんの声がする。

「うっかり、声出した」

「大丈夫や。丈くん気づいてへんかったみたいやし」

「ごめん、大ちゃん。なんか、学校の話してるの聞いたら、どうしても反応して

しまって」

「そやろな。話に参加したくなるわな。ごめんやで。がまんさせて」

「ううん。私こそ、ごめんね」

 僕と麻ちゃんの間で、ごめんね、が行ったり来たりする。

「もう、ごめんはなし、な。」

 僕は、ストップをかける。

「うん。わかった。今から、手伝いにいくの?」

「うん。行ってくるわ。結構時間かかるかもしれへんけど、隣やから」

(なんかあったら、すぐ呼んでや)と、つい言いそうになる。

「じゃあ、行ってらっしゃい」

 麻ちゃんの声は、明るい。

 話に参加できなくても、久しぶりに、学校の話が聞けたのが嬉しかったのか?


 部屋を出るとき、僕は、麻ちゃんに言った。

「この部屋も、丈くんの部屋も、窓、開けとくようにするわな」


 そしたら、たぶん少しは声が聞こえるから、さみしくないよな? 麻ちゃん。

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