第10話 お隣さん

「さあ、朝ごはんやで! 起きて、大ちゃん!」

 朝からテンションの高い萌が、キッチンから声をかけてくる。

「う~ん。わかった。でも、ちょっと待って」

 昨夜、麻ちゃんとすっかり話し込んで、気づいたら2時を軽く過ぎていた。

 いつ布団に入ったのか、はっきりとした記憶はないけれど、おそらく、いつものごとく、リビングのクッションにもたれて寝そうになっている僕を麻ちゃんが、ここで寝たらだめ! と止めてくれて、半分寝ぼけながら、布団にころがり込んだんだろう。ぐっすりは寝たけど、まだ少し寝足りない。

 しぶしぶ、起き上がって着替える。顔を洗って、コンタクトは……やっぱり今日もメガネやな。


 だし巻き卵と野菜炒めと胡瓜の浅漬け、鰆の西京焼き、白ごはん、海苔。

「なんか旅館みたいな朝ごはんやな。めっちゃ、美味しそう」

「そやろ~あたしが本気出したら、軽くこんなもんよ」

「うま。この浅漬け、買うてきたん?」

「ちゃうちゃう。浅漬けの素で、あさイチで作ったやつ。でも、意外にいけるやろ?」

「うん。塩加減ちょうどいい感じ」

「萌ちゃん、ほんと料理上手やね。すごいなあ」 

 麻ちゃんが感心したように言う。

「このだし巻とか、すっごいきれいに巻けてるし。美味しそう……」

「だし巻はねえ~一時期めっちゃ凝っててん。ひたすら、毎日のように巻いてた」

「確かにな。そんなこともあったな。あの時は、朝ごはんも、弁当のおかずも、ヘタしたら晩ご飯も、だし巻やったし。それも、失敗作ばっかりな」

僕が、ちゃちゃを入れる。

「……わるかったね。まあ、何事も修行、修行。そのおかげで、達人技の美味しいのを、今、食べれるんやで。大ちゃん、感謝し~や」

「え? 僕が、感謝なんや? 修行にめっちゃ協力してんから、逆の気ぃもするけど」

 麻ちゃんが、くすくす笑っている。


 食事の後片付けは僕がして、その間に、萌はメイクをしている。

「今日は、マンガミュージアムに居りたいだけ居る。そのあとは、まだ決めてへんけど、お土産いろいろ見て、それから家に帰るわ」

「1週間泊まるんちゃうん?」

 引っ越してきた日そう言っていた。

「うん。そうしたいのはヤマヤマやねんけど。明日バイト入ってるねん。また、今度夏休みにでも、どどーんと、泊まりにくるわ。麻さんとも、もっとおしゃべりしたいし」

「うん。楽しみに待ってるよ」

 2人は、すっかり仲良しになっている。

 今朝も、僕が起きる前から、料理をしながら、おしゃべりしていたらしい。


 荷物を置いていって、帰るときにとりにきたら? と僕は提案したけど、そしたら、またここまで戻ってこなあかんのが大変やからと断り、萌は荷物を抱えて、玄関に立った。

「麻さん、大ちゃんをよろしく。野菜食べてなかったら、ちゃんと食べ! って言うたってな。それから、しんどいときは、一人で抱え込まんと、ちゃんと話するねんで、って」

 まだまだ、何か話したそうにしていたけど、萌はそこで僕をじっと見た。そして、にかっと笑った。小さいときから、時々する顔だ。

(こんな顔をするときの萌は、何かを思いついたか、何かすでにイタズラを仕掛けているときだ。)でも、それ以上は、何を言うこともなく、

「大ちゃん。……また、来るわ。じゃあね」萌はあっさり言った。

「またおいで」

「うん。ぜったい来る来る」

「待ってるで~」「待ってるよ~」

 僕と麻ちゃんの声に送られて、萌は出かけて行った。

「行っちゃったね」

「なんだか急に静かになったね」

 なんとなくさみしい気持ちになる。でも、別れ際の、あの意味ありげな表情はなんだったのか、少し気になるところだ。


 リビングででくつろいでいると、なんだか急に、ドアの外の廊下が騒がしくなった。何人かの足音と声、行ったり来たりして荷物を運んでいる気配。

「引っ越しかな?」

「そんな感じだね」

「そういえば、麻ちゃん、お隣は3月の終わりに引っ越したって言うてたよなあ」

「うん。誰か新しい人が越して来たのかな」

「ちょっと様子見てくる。なんなら挨拶したほうがいいかもやし」

 麻ちゃんに言って、僕は、ドアの外へ出て隣の部屋の方を見た。


「あ、すみません、それ、奥のリビングの隣の部屋にお願いします。窓際あたりで」

 引っ越し業者さんに声をかけながら、ちょうど部屋から出てきた若い男を見て、思わず僕は叫んだ。

「ええ~! 丈くん! 丈くんやんか!」

 彼も僕の方を振り向いて、目を丸くしている。

「え? え? 大吾? まさか、お前もここ住んでるん? え? そこ?」

「そうやで。お隣さんやな」

「マジか」

「びっくりしたわ~なんか聞いたことある声やなあ、と思って、顔見たら、丈くんやねんもん」

「いやあ、なんか、ちょっと心強いなあ。隣が大吾って」

 丈くんが、嬉しそうに笑っている。

「なんか手伝うことない? 荷解きとかなんぼでも手伝うで」

「ほんま? 助かるわ。じゃ、とりあえず荷物運び込んでもろたら、また声かけるわ」

「わかった。じゃあ、声かけてな」

「おう。ありがとうな」


 僕は、いったん部屋に戻る。

「聞いてた?」

「うん。丈くんていうの?」

「瀬川丈一郎。高校のときの同級生。京都の中学校で、教師することになったって聞いてたけど、まさか隣になるとは思えへんかったわ」

「よかったね。にぎやかになりそうやね」

「うん。丈くんが隣におるとなると、きっと、これから和也もちょくちょく来るやろな。あいつら、めっちゃ仲いいから。それで、たぶん、うちにも来るかもしれへんな。そしたら、ちょっと麻ちゃんに不便な思いさせることもあるかもしれへん。そのときは、ごめんな」

「大丈夫。うっかり会話に入らないように気をつけるよ」麻ちゃんは笑っている。

「ごめん。ありがとう。でも、いつか様子見て、丈くんにも和也にも、麻ちゃん紹介する」

 なんか、友達に彼女紹介するみたいな言い方になって、少し、テレくさくなる。

「うん。でも、気をつけてね。友達をびっくりさせたり怖がらせたりして、大ちゃんを困らせたくないもん」

「僕は困らへんけど、麻ちゃんにいやな思いはさせたくないからなあ。ちゃんとタイミングを見て言うわな」


 初めて麻ちゃんが、僕に声をかけたとき、

(あなたが、きゃあ~って叫んで逃げちゃう人だったら、今頃、わたし、すっごい

落ち込んでたと思う。自分がなんかとんでもないオバケにでもなった気がして、すっごいショック受ける)

 と言っていた麻ちゃんだ。

 すっごい、という言葉を繰り返して使うほどに。

 だから、麻ちゃんにそんな思いはさせたくない。

 慎重に二人の様子を見て考えよう。僕は思った。

 でも、麻ちゃんの気配からは、なんだか嬉しそうな、ワクワクした空気が伝わってくる。

 この前、何かの番組を見ているときに、予知とか予感の話になって、麻ちゃんは、

(私が、いい予感がするとき、たいていそれは当たる)と自信たっぷりに言っていた。だから、もしかしたら、今、何かいい予感がしているのかもしれない。そう思うと、何か僕までワクワクした気持ちになってきた。


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