人外のあそび
新城彗
第1話
立ち並ぶ住宅街が次々に後ろへとんでいく。
ゴトゴトと音を鳴らして家々の間をすり抜けるようにして走るのは、長野市の私鉄、長電の銀色の車両だ。
「次はぁ、きりはらぁきりはらぁ」
車掌のアナウンスが車内に響く。
一両目の先頭、運転席の見えるガラスに張り付いていた3歳ごろの男の子が左手を口の前に持っていき、
「ちゅぎはぁ、きりはらきりはら」
と舌足らずな言葉でアナウンスを繰り返す。
ロングシートに向かい合って座る地元民は、その健気な姿に微笑み、和やかな空気が漂う。
長野の平日、穏やかな昼過ぎだ。
そんな昼下がりの中、人に知られず住宅街の屋根の上をつたい走る真紅の生き物が1匹ある。
真っ赤な体毛に覆われ1メートル程の背丈のそれは、長い腕を伸ばし4本の足で危なげなく、家から家へ屋根を跳び移っている。
猿と馬を合わせたような顔で、常にニタニタと笑みをうかべているそれは、900年以上も前、平安の頃にこの島国にやってきたものだった。名を猩赭という。
猩赭は、2本の足で歩き前足を器用に使うニンゲンという生き物に関心があった。これまでの900年間、様々な方法でニンゲンを調べてきた。遠くからじっと観察してみたり、ある時は1匹を捕まえて"中身"を調べたこともあった。中々苦労したが彼らの言葉を学び、話しかけてみたりもした。話す間も無く逃げられたが。
全て興味だった。高い社会性を持ち集団を形成している彼らは何か他の生き物にはないものを持っていた。猩赭はそれが何なのか知りたかった。だが、長い時間と努力を費やしてもそれはわからないままだった。
猩赭は人間への興味を失った。実らぬ努力は面白くなかった。
そうして猩赭は、あちこちに溢れかえる人間で楽しむ方法を考え始めた。もはや興味はないが即興的な遊びには使えると思った。
住宅街を電車が走る。
男の子はまだガラスに張り付いていた。
「まもなく、きりはらぁきりはらぁ。お降りの方は…」
響くアナウンスを、男の子はやまびこみたく繰り返す。
車内にはのんびりとした時間が流れている。
その時、ダンッと電車の屋根に何かが落ちたような音が響き、幾人かの乗客の気を引く。
と、同時にトタトタトタと屋根の上を駆けるような音がする。
「猫かしら」「いや、猿かも」
乗客は怪訝そうに上を見ながらヒソヒソと言葉を交わし、見えない屋根の上の様子を伺う。
足音がやみ、気配が消えると乗客たちはあれはなんだったのかと顔を合わせ首を傾げる。
ーと扉を叩くような、鈍い衝撃音がした。間髪入れずに執拗に繰り返され、何かがいる気配がする。
乗客の顔に怯えが浮かび始める。何かがこの電車の上にいると、気づく。
男の子も顔を上げ、ドアの上の方を凝視している。
電車が
「左側のドアが開きます。ご注意下さい」
とアナウンスを流しホームに入る。
皆んなが見守る中、がたがたと揺れてドアが開く。
「ばあ」
ニタリと笑みを浮かべた猿顔が逆さまに覗き込んでいた。
猩赭は沸き上がる興奮を噛み締めた。人間の悲鳴が心地よかった。
我先に逃げ出すもの、腰を抜かしてもがくもの、固まって動かなくなるもの、全てが面白かった。自分の姿を見ただけでこんなになるのも面白い。お前らの方がよっぽどおぞましいと猩赭は呟く。
しばらくの間じっくりと人間の反応を楽しんだ。
腰を抜かしていたものもゆっくりと近づいていくと必死の形相で転がるように逃げていった。
1つの子供が、車両の先頭からこちらを見ていた。
数歩駆け、距離を詰めると顔を突き出した。子供との間に数センチしかない状態でまた、ニタリと笑う。
猩赭は人間がこの顔に恐怖を感じると知っていた。子供の悲鳴、鳴き声は大好物だった。甲高い声が耳を震わせ、脳に突き抜けるのが快感だった。
だがこの子供は違った。笑みを浮かべる猿顔になぜか微笑み返してきた。
途端に猩赭は興奮が冷めるのを感じた。
面白くなかった。期待を裏切られたというのもある。
細い襟首に爪を引っ掛け、開いたドアから放り出す。小さな悲鳴が聞こえた気がして少し胸がすいた。
次のおもちゃを探そうと、振り返って車内を見渡した。何もいない。人間は全て逃げてしまったようだった。
最後の最後であんな裏切りに遭うとは。猩赭の楽しい時間は最悪の形で終わった。
面白くない。
力任せに天井を蹴破り、外に出る。
電車の上からホームを見渡すとたくさんの人間がいた。
そっとこちらを伺う人間、逃げ惑う多くの人間、カメラ片手に車両の中を写そうとしているさらに多くの人間、色々だった。
なんだ、まだこんなにいるじゃないか
猩赭は胸に残るしこりを流してしまうことにする。
そっと、目についた次のおもちゃに向かって手を伸ばしていった。
2024年8月9日13時21分、長野電鉄長野線を運行中の車両上に正体不明生物が出没。桐原駅に停車した車両に侵入、死傷者21名余りを出し、のち駅構内にて地元警察官の発砲により左腕を負傷。取り逃す。近くの山にて目撃されること多数。が、駆除は叶わず。のち4年間、日本各地で目撃されるようになる。2028年、自衛隊特殊対策部隊による山狩りにて駆除されるまで、計35名の死者、98名の負傷者を出す。同2028年、日本は政府に人外対策室を設置。積極的な人外調査に踏み出す。
人外のあそび 新城彗 @KeiShinjyo
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