宛先のない手紙、行く先のない冒険者4
† † †
JR立川駅。三番線ホームに降り立ったアルトリーネたちは、早々に改札を抜け、昼下がりの人混みの中へと身を投じた。町田も大概ではある。が、特に人の少ない田舎出身のアルトリーネにとって、立川駅を往く人の多さは未だに目を回しそうになることがあるほどだ。
電車の乗車人数だけであれば、町田の方が多いとはされていても、こうして実際に歩いてみると、立川の方が若干歩き難い印象がある。アルトリーネはそんなことを思いながら、センジュの先導を頼りに駅の南口から外へと出た。そして、やはり人の多いペデストリアンデッキを進もうとして、ふと前を歩くセンジュの足が止まったことに気がついた。
「センジュ?」
センジュに声をかけた直後、刃物が肌を撫でるような冷たさが背筋を駆け、アルトリーネは彼女と同じく立ち止まらずにはいられなくなっていた。
「…………」
それはこちらの世界に来てから久しく感じていない気配。こちらの世界ではありえない気配。そして、あちらの世界では自身らの生と隣り合わせる形で存在していた気配――それを発するのは人間の敵である魔物だ。
(そんな、これは……まさか……)
脳裏に浮かびあがる映像は、四魂の大封印が発動する直前に見敵した魔王なる唯一無二の存在だ。もちろん、アルトリーネたちが感じている気配が、本当に魔王のものであるのならば、魔力によって自身の魂を守る術を知らない周囲を歩く人々は、魔王の放つ瘴気で既に死んでいるはずなので、その気配は魔王であるはずがない。しかし、あの時ほどの絶望感を彷彿とさせる畏怖の念がアルトリーネたちの足首を掴んでいることは確かだった。
(強者、というわけじゃない……? だけど、何か……根源的な禍々しさが……)
魔王のものと似ている。アルトリーネがそう結論付けた瞬間だった。
「どうして……ここに居るのですか?」
やけに不機嫌そうな声がふたりの背後――先ほど、自分たちが出てきた駅の方から響いた。その声にいち早く反応したのはセンジュで、アルトリーネは振り返ろうとしようとした時には、彼女の視線はアルトリーネの肩越しに声の主へと向けられていた。そして、その口から漏れ出たのは「あ」という、異常事態である可能性が高いのにもかかわらず、どこか気の抜けた声と、その声の主を呼ぶ声だった。
「ミルヴァ~」
少し間を置いてから駆け寄っていくセンジュの背中を見送りながら、アルトリーネは努めて表情を変えないよう、しかし、確かに湧き上がった疑問に頭を割く。間違いなく、自分たちの前に現れたのは、自身の知っているセイレーンのミルヴァである。丁寧に切り揃えられたくすんだ茶色の前髪が風に揺られ、午後の穏やかな陽光の中で微かな明るさを出していた。
ちなみに、ミルヴァは人化魔法を扱えるためセイレーン特有の翼や脚爪などは見事に隠されており、彼女が魔物であることを見破れる存在はアルトリーネたち以外に存在しておらず、とにかく、彼女の姿は日本に来た日の記憶とほとんど一致していた。
既知のものと大きく違うのは、やはり、その存在感だけだった。
それを考えれば、異常事態ではあるはずだ。しかし、アルトリーネにはセンジュが彼女に無防備とも思える形で近づいたことを咎めようとする気持ちは起きなかった。不機嫌な表情と声色こそしているけれども、そこに殺気は毛ほども混じっていなかったからだ。一応、それを直前まで隠せる暗殺者や魔物と会敵したことはある。だが、ミルヴァがそこまでして人の多い場所で自身らに接近する理由がないと、アルトリーネは判断したのだ。
何かしらの理由があってそうしていないだけかもしれない可能性は無きにしも非ず、といったところなのだけれども。
そして、そんな風にアルトリーネが思考を巡らせていると、ミルヴァを爪先から頭の天辺までジロジロと観察していたセンジュが安堵の混じった声を上げたのだった。
「ま、元気そうだね。いや~、良かった良かった。てか、どっか出かけてたの? 今日はコンビニのバイト休み?」
「お休みですけど……もしかして、ワタシの様子を見に来たのですか? わざわざ?」
ミルヴァがどこか呆れた様子でセンジュ、アルトリーネの順に視線を送ると、アルトリーネが何か反応を示す前に、センジュが口を尖らせて不満気に答えた。
「そりゃそうっしょ。連絡無視するんだもん。心配するっしょ」
「……元勇者候補が魔物の心配、ですか」
自身らの故郷の事情を考えれば、万が一にもありえない状況ではある。けれども、ここはそういった事情には全く関係のない大地なのだ。それに、ミルヴァだって短いながらもセンジュの人となりは見てきたはずだ。だから、アルトリーネはミルヴァに向けられた半ば非難のような視線にわかり易く肩を竦めて答えてみせた。
「連絡を怠ればどうなるかなんて、予想できたはずだけど」
他の勇者候補はいざ知らず。センジュにおいては否応なしに世話を焼いてくることは、この世界に来てからのことを考えれば至極当然のこと。それがわからないほど、ミルヴァが疎いのであれば仕方がないのだけれども――。
「はぁ……ええ、ええ、そうですね。連絡する余裕がなかったとは言え、その点についてはワタシの落ち度でした……」
頭痛を抑えるように額に手を当てる仕草を見るに、どうも本当に余裕がなかったのだろう。アルトリーネはそう思いながらも、センジュの訪問を落ち度と表現した辺りに、ミルヴァの本心をわずかに垣間見た気がしていた。
(こうしてセンジュ――いや、この場合は私たちか……とにかく、自分を訪ねて来られると困るようなことがあったってことよね、多分……けど、それっていったい……)
レストランで交わしたセンジュとのやり取りの中でも感じたように、今さら敵対関係だったことを気にしているとは思えず、それならば何か他に理由があるはずだと考えるも、アルトリーネにはどうにもそれの見当がつかなかった。そうなれば、本人に直接訊いてしまうのが早いだろうと思った矢先、センジュが率先して口を開いていた。
「いや、落ち度って……私たちに来られたら迷惑になるようなことでもあったの?」
「いえ、別に」
センジュのストレートな質問に、ミルヴァはあらかじめ用意していたかのように即答すると、おもむろに歩き始め、するりと質問者の横を通り過ぎた。
「あ、ちょっと!」
「もういいでしょう。ほら、ワタシは元気ですから。忙しかっただけですから、何も心配要りませんよ。今後はちゃんと連絡もしますから」
だから、もう帰ってもらっても結構です。そう言外に含めると、ミルヴァは立ち止まる素振りすら見せず、その場をそそくさと立ち去っていってしまう。そして、アルトリーネはミルヴァとすれ違う刹那、その横顔を目線で追いはしたのだけれども、彼女の態度を鑑みて、実際に彼女を止めたり、追いかけたりするようなことはしなかった。四魂の大封印を一緒に行った仲ではあるため、アルトリーネはミルヴァに対して少なからず奇妙な縁を感じているものの、本人が干渉されることを望んでいないということが充分に感じ取れたので、これ以上深入りするつもりは起きなかったのだ。
一方、センジュはもう少しだけミルヴァの懐に入り込みたい欲求はあったのだけれども、それが自身の自己満足でしかないことを理解しており、なおかつ、当初の目的を達成してしまったのだから、結果的にアルトリーネと同じく、ミルヴァを黙って見送るというスタンスを取らざるをえなかった。
「帰りましょう」
ミルヴァが雑踏へと完全に消えたのを確認すると、アルトリーネは未だにミルヴァが去っていった方向に目をやるセンジュに諭すように言った。それに対して、センジュは名残惜しそうな雰囲気のまま頷くと、すぐにアルトリーネに向かって両手を合わせた。
「ゴメンね。せっかく付き合ってもらったのに」
「あぁ……いいわよ。お昼奢ってもらったし」
だから、少々徒労を感じるような展開になってしまったけれど、気にするようなことではないと付け足し、駅の方へと歩き出した。そして、すぐに横に並んだセンジュへと無視できない疑問をぶつけた。
「それより……ミルヴァの気配、どう思う?」
「魔王に似てた。けど……今のところ、害はないと思う。それと、何か起こったとしてもアタシたちなら大丈夫っしょ……まぁ、アタシひとりでも無理ではないかも」
ミルヴァについて、センジュも同じように感じていたことを確かめると、アルトリーネは「そっか」と短く返した。それだけ、センジュは強いのだ。そして、それが少しも失われていないとすれば、ミルヴァには勝算はない。センジュの「何か起こったとしても」という仮定を聞きはしたが、よっぽどのことがなければ、ミルヴァが何か起こすような真似はしないだろうという、明確な答えになっていない――それでいて、なんとなしに納得できる推察を導き出した。
そして、彼女がどうして魔王と似た気配を持つようになったのかという、気になりはすれど、今は答えが出そうにない無益な会話を重ねないよう、その矛先をもうひとりの異世界人へと向けた。
「ところで、デメトリアには直接会いに行かないの?」
「そうしたいんだけどさ。あっちが指定した日以外は勘弁してくれって」
センジュの苦笑交じりの答えに、アルトリーネは呆れながら目を細めた。
(さすがドワーフのブラックスミス。デメトリアも例に漏れずと言うか、相も変わらず気難しいわね……そういえば、初めて会った時も他の冒険者と武器の納期のことで揉めてたっけ……自分が指定した日程でしか受けつけないって……)
アルトリーネはデメトリアと初めて出会った日のことを薄っすらと回想しながら、彼女とミルヴァの顔を思い浮かべ、四魂の大封印に集まった面子が適当であったのかと、一抹の不安を覚えたのだった。
Stranger Rock'n'Roll 古瀬 風 @fuu_furuse
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