宛先のない手紙、行く先のない冒険者3

 † † †


 アルトリーネがようやくそのことに思い至ったのは、昼食を摂り終え、ミルヴァの住家に向かうべく、JR横浜線八王子行きの電車へと乗り込んでしばらくしてからだった。他愛のない会話も尽き、座席の右隣でスマホをいじり始めたセンジュの方をちらりと見ると、アルトリーネはその疑問を投げかけてみた。

「そういえば……なんで楽器店に?」

 アルトリーネが楽器店に居た理由は、改めて話さずとも既知であることは間違いない。しかし、センジュがあの場に現れた理由について、アルトリーネと似たような理由があったのだろうと容易に予想はできるとは言え、実際に詳しく話題へと挙がったわけではなかった。

 だから、世間話の一環として気軽に質問してみたのだけれども――。

「だから、約束までの時間潰しだって」

 返ってきた答えは絶妙に的から外れたもの。

 そういうことじゃないと、アルトリーネは眉をひそめた。そして、言わんとしていることはわかるだろうと、センジュの目を見て二の句を待った。センジュもセンジュですぐに察したのか、自身の見当違いの答えに照れたように笑うと、小さく「ごめんごめん」と言い、そのままアルトリーネの問いに見合った答えを用意した。

「いや、アタシさ~、実はあっち行くまでベースやってたんだよね~。で、まぁ、異世界帰りの心境も落ち着いてきたし……再開しようと思ってさ。弦を買いに来たってわけ」

 曰く、別にあの店でなくても良かったそうなのだけれども、ベースを再開しようと思ったタイミングが今だった、とのこと。むしろ、センジュとしてはアルトリーネがギターを買う予定があり、その下見としてウィンドウショッピングしに来ていたことが意外だったらしく、その旨を付け加えてきた。

「てか、マジでギター買うの? そういうタイプだったんだ?」

「そういうタイプって、どういうタイプよ……」

 そう答えつつ、アルトリーネはセンジュがそう思うのも仕方がないと思った。今でこそ親し気に話してはいるものの、こちらに来た当初は親交などほとんどなく、そういったプライベートにまつわる話などする由もなかったのだから。今でも近況以外は、それほど密に話をすることなどない。つまり、センジュがアルトリーネたちの世話を焼いているのは、彼女の純粋な善意であり、だからこそ、アルトリーネたちはそれに極力甘えることがないよう、それぞれ自立して生活しようとしていたのだった。

(ま、さすが勇者候補って感じよね……)

 勇者は必ずしも聖者ではない。しかし、人々の間ではそういった、いわゆる神聖視されている部分も多分にあり、センジュは人々の期待通りの人種だった、ということなのだ。もちろん、正式な勇者として活躍していた者もすこぶる評判が良かったことから、もうひとりの勇者候補もそれに値するような人格者だったことは想像に難くなかった。

 そして、そういう人物を邪険に扱うことに苦手意識を持ったアルトリーネは、センジュの視線に少し考えてから素直に答えることにした。

「私、元々は吟遊詩人になりたかったのよ。別に歌は上手くなかったけど……竪琴を弾くのが何よりも好きだったから。でも、ほら……あっちの世界は情勢が情勢だったから……」

 魔王とその軍勢により、徐々に荒廃していく世界。そんな世界の中、冒険者として魔王の軍勢と戦うことこそが最大の誉れという風潮があるのは当然で、アルトリーネの両親や里の大人たち、冒険者も冒険者じゃない者も、皆がアルトリーネを含めた若者たちへ、そういった期待をかけていた。そして、ほとんどの者はそれに応えるべく、使命感に駆られるようにして冒険者を目指していたし、適性がなかった者以外は実際に冒険者として旅立っていった。アルトリーネだってそうだった。

 しかし、彼女の場合、冒険者であることは義務的な側面が強く、それを自覚した頃からは常に「これでいいのか?」という葛藤が渦巻いていた。そして、何より悲劇的だったのは、アルトリーネには弓や魔法に対しての非凡さがあったということだった。だから、勇者一行の後方支援役として魔王討伐の任務に就くことになり、前線基地に敗北した勇者が担ぎ込まれてくる瞬間を目撃することになり――一時しのぎとは言え、世界を救う一縷の希望、四魂の大封印の犠牲となったのだ。

(思えば、ただの自暴自棄だったな……こちらの戦力で最強の勇者が負けたんだから……進むも地獄、戻るも地獄……どうせ死ぬなら、半端なままは嫌だ。最期に何か成し遂げてから死にたいって……)

 そこまで考えて、アルトリーネは電車の振動に合わせて揺れるセンジュの、あちらでの言葉が頭を過った。瀕死の勇者が運び込まれた直後、前線基地で行われた全戦力を集めた緊急会議で四魂の大封印を決行するしかないという話になった時だった。

(せめて、最期は勇者らしく、か……)

 彼女は誰よりも先に、自身が犠牲になるべく声を上げたのだった。

 アルトリーネは、もしかすれば、あの時のセンジュは自分と同じ心境だったのかもしれないと思わずにはいられなかった。いかに聖者のような人物であっても、勝手に召喚され、勝手に人類の希望を背負わされ、勝手に「正式な勇者は別の人。この人は候補止まりです」と宣言されたのだ。自身と所縁ゆかりの薄い世界のために命を懸けるなんて、生き残った先を見越した自棄を起こしたとしても不思議ではないと感じたのだった。

 そうして、アルトリーネがセンジュに妙な親近感を覚えていると、その当人が少しだけ困った様子で小首を傾げた。

「……どしたの?」

「いや、別に。とにかく、切迫した状況じゃないからやりたいことというか、音楽やってみようかなって」

 アルトリーネが元の世界での出来事を振り払うように頭を振ると、センジュは何故か嬉しそうな声色を黒いマスクの奥から響かせた。

「ははっ。じゃあ、アタシとほとんど同じだ」

「……まぁ、心境は似てるかもね」

 アルトリーネがギターを始めようと思った理由と、センジュがベースを再開しようと思った理由――言われてみればと、アルトリーネは納得した。そして、感じた親近感は嘘ではなかったのかもしれないとも思いつつ、そんな考えは気恥ずかしいので口にする必要はないとセンジュからおもむろに目を逸らした。

「ね、ね、好きなバンドとかいんの?」

「当然。竪琴じゃなくってギターやろうと思ったのも、そのバンドの影響だし」

 出会いは来日してすぐのことだった。日がな一日働いた後、夕飯を求めて入ったコンビニで、偶然にもそのバンドの曲がかかっていたのだ。そして、その曲がアルトリーネの心に刺さったのだ。ただそれだけのこと。だけれども、アルトリーネにとって、その感覚はではなかった。

 言葉や文字は翻訳魔法を使えば、コミュニケーションを取ることは難なく可能だし、今だってそうしている。しかし、文化――異なる世界の文化についてはそうもいかない。見慣れない景色、食べ慣れない料理、聞き慣れない音楽。翻訳ではどうしようもないものが多いのだ。しかも、同じ世界ではないということで、慣れない次元が違うのだ。そんな中で心に刺さったのだから、その衝撃は相当なものだった。

 実際、アルトリーネはグリフォンの繰り出す強力な雷撃を喰らった時のような感覚に囚われ、おにぎりの並んでいる商品棚の前で曲が終わるまで動けなくなってしまっていたのだ。

「なんてバンド?」

「あー……クロウカシスってバンドなんだけど――」

 刹那。センジュは素っ頓狂な声を上げ、アルトリーネへとズイッと迫った。

「マジ!? クロカ好きなの!?」

「え、あ、うん……」

 あまりの勢いにアルトリーネは思わず仰け反ってしまった。一方、センジュは数少ない乗客から向けられた好奇の視線に気がつかないのか、さらにアルトリーネへと身を寄せた。そして、いつの間にかがっしりとアルトリーネの手首を掴んでいた。

「いいよねぇ~、クロカ! あっちの世界に行ってから、最初の頃はいっつも鼻歌で歌ったりしててさ~。頭ん中でず~~~~っとループしてた日もあったんだよね~」

「そ、そう……」

 魔王に対する切り札ということで、勇者や勇者候補の噂話は、民草だけではなく冒険者の間でも絶えずされていた。それがアルトリーネの印象だった。しかし、アルトリーネにはセンジュが語ったような話は聞いた覚えがなかった。

(今にしてみれば、噂話の内容は『ドラゴンブレスを受けても無傷だった』とか『ダークリッチを一瞬で浄化した』とか、センジュはたしか……オルカレイコスを素手で砕いた、だったっけ……まぁ、とにかく武勇伝ばっかりだったわね。人となりがわかるような噂話も非の打ち所がなさすぎて、どこか作り話みたいだったかも……)

 それはつまり、勇者や勇者候補に関する情報が操作されていた可能性があった、ということ。しかし、世界の希望となるような存在なのだから、もしかすれば、それもやむを得ない選択だったのかもしれないと、アルトリーネは理解を示した。

(けど、それにしたって……こんな無邪気な子だったなんてね……)

 一応、交流を持つようになってから、そういった気配は口調や態度から感じてはいたのだけれども、ここまではしゃいでいる姿を見るのは初めてだったのだ。

「そうだ! 夏に渋谷でワンマンライブあるんだけど一緒に行かない!?」

「チケット代が工面できたらね」

 それならアタシが出す――などと言い出しそうではあった。が、さすがにそこまでしてもらうほど堕ちてはいないと、アルトリーネは八王子に到着する旨を告げる車内放送に乗じ、センジュの機先を制した。

「それよりも、中央線に乗り換えでしょ」

「あれ? いつの間に八王子……」

 アルトリーネがゆっくりと減速していく車内で器用にセンジュの拘束から逃れて立つと、センジュもそれに倣い、スマホを革製の黒いボディバッグへと押し込んで立ち上がった。そして、並んで一番近くのドアの前へと移動してから、アルトリーネはチケット代の話を有耶無耶にすべく、かつ、一番大事な情報を尋ねた。

「ミルヴァの家、行ったことあるの?」

「あるよ。立川駅の南口から出て、多摩モノレールの下のおっきい交差点を右に曲がってさ……えーと、十分か十五分くらい? ちょうど西立川駅との間くらいだったかな。狭いけど築浅で良いとこでさ~。近くにコンビニとかスーパーとか――」

 ドア上部にある液晶に映る路線図を眺めながら、ミルヴァの家の周辺情報を語り出したセンジュに、アルトリーネは上手いこと話題を逸らせたことを確認し、心の中でほっと一息吐いた。

 そして、センジュの語りへ耳を傾けながら、停車と同時に開いたドアから吹き込んだ寒風に、思わず身を縮こまらせるのだった。

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