宛先のない手紙、行く先のない冒険者2

 アルトリーネとセンジュがとある店の四人用のボックス席に落ち着いたのは、それからほどなくしてだった。

 楽器店の在る七階からふたつ上のレストランフロアへと赴き、特に示し合わせたわけでもなかったのだけれど、海外にもチェーン展開しているイタリアンレストラン――そこがふたりのランチの舞台となった。

 ショッピングモール内ではなく駅周辺で探し回れば、もっと安価な店は存在する。が、これも示し合わせたわけではなかったのだけれども、お互いにわざわざ歩き回るのも面倒だという気持ちが勝った結果だった。そんな事実に自身がどれほど今を生きる世界に慣れてしまったのかを感じつつも、アルトリーネはおもむろにメニューへと目を落とした。

 クオリティの差はあれど、実はあちらの世界にもこちらの料理と似たような代物は思った以上に多く存在しており、その中でもアルトリーネは麺類を好んで食すことが多かった。あちらの世界で食べたことのない麵料理がない、と豪語できるほどだ。だから、彼女は迷わずパスタ――魚介がふんだんに使われたペスカトーレを選んだ。

「決めるの早くね?」

「冒険者の基本。何事においても判断は早めに」

 アルトリーネはぱたりとメニューを閉じて言うと、席に座った際に店員の持ってきてくれたお冷やへと手を伸ばし、付けていたマスクを顎下へとずらした。

「ふーん……冒険者の、ね……」

 少し含みのある返事だと、アルトリーネはちらりとセンジュの顔色を窺うようにするのだけれど、どうにも気のせいらしい。センジュはメニューと睨めっこしたままだった。未だに何を食べるのかを決められないのか、時折、小さく「うーん」と呻っている。

(彼女には彼女の事情があったのは知ってる……けど、私が首を突っ込んでまで心配するようなことじゃないか……)

 センジュの事情――それはに関係している。しかし、本人の口から語られない以上、推測、推察の域を出ないことから下衆の勘繰りにしかならない。いつの間にか親しき中にも礼儀ありという言葉を覚え、一理あると納得していたアルトリーネからすれば、そういう領域に足を踏み入れることは避けたかった。

 ならば、アルトリーネのできることはひとつだけ。センジュの選択の結果を待つのみ。

「……よし! そっちがパスタなら、アタシはピッツァにしよ~。マルゲリータ~」

 センジュはそう言うと、テーブルの端に置いてあった店員呼び出し用のボタンを押し、黒いマスクを先ほどのアルトリーネと同じようにずらし、お冷やへと手を伸ばした。そして、それを一口で飲み干してから、これまで他意はなしに触れていなかった残りのふたりについて切り出した。

「そういやさ~、デメトリアとかミルヴァとは連絡取ってる?」

「ううん」

 その名前を聞き、アルトリーネは銀髪のデメトリアと、灰色混じりのくすんだ茶髪をたなびかせるミルヴァの顔を思い出すと、否定の言葉とともに頭をゆっくりと振った。別に避けているわけではない。単純に忙しいからという理由と、デメトリアもミルヴァも夜勤の仕事についており、生活時間帯が違うという理由があり、特に最近ではアルトリーネからふたりに対して連絡を取るということがなかったのだ。そして、その逆もまた然り。

「というか、それは私のセリフなんだけどね」

 言い方は悪いのだけれど、センジュはだれひとりとして頼んだわけでもないのに、アルトリーネたちの世話を甲斐甲斐かいがいしく焼いているのだ。なので、彼女が率先して自分以外の面子と連絡を取っている、と考えてもおかしくはない。そして、その理屈に気がついたのか、センジュは少し長めの前髪をかき上げながら苦笑を浮かべた。

「それもそっか」

 そして、何となく、本当に何となくではあるのだけれども、そんなセンジュの反応にアルトリーネは違和感を覚え、ふと浮かんできた疑念を口に出さずにはいられなかった。

「わざわざ、そんなこと聞いてくるなんて……何かあったの?」

 センジュのことを深く知っているつもりはない。しかし、これまでに見てきた彼女の性格や行動を考慮すれば、ふたりの様子を尋ねてくるのではなく、アルトリーネから聞く、聞かないは横に置いておき、センジュから報告してくる方が自然なのだ。しかし、そうしてこないということは、そもそも連絡を取れていない可能性も考えられたのだ。

 もちろん、会話の切り出し方の常套手段のひとつである可能性も否めなくはない。が、続くセンジュの回答は、アルトリーネの読みが正しかったと告げていた。

「いやぁ、デメトリアはマジで短~~~く返事くれるんだけど……ミルヴァがさぁ、ガン無視なんだよね~……」

 センジュは天を仰ぐようにしてソファの背にもたれかかり、目に見えてわかるようにため息を漏らした。

「やっぱり、アタシが勇者候補だったからかなぁ……?」

 それとこれとの因果関係は何なのかと聞かれれば、その答えは単純明快。センジュが世界を救う勇者候補で、ミルヴァは世界を破滅させる魔王軍の一員――いわゆる、セイレーンなる人型の魔物だったから、である。陣営的には敵対していた者同士なのだから、それも仕方がない。だが、それでもアルトリーネには思うところがあった。

「最初からそうだったわけじゃないんでしょ?」

「え? まぁ、そうだね……」

 天井を仰いだままのセンジュの答えに、アルトリーネは「やはり」と思った。

 根拠として、ミルヴァは魔王の配下として生まれてきた存在であるのにも関わらず、自ら四魂の大封印の犠牲になることを選んだのだ。それの意味することを考えれば、今までのことはすべて水に流し、すぐに良き友人として付き合っていくとはならずとも、敵対関係は解消されているはずだ。そして、最初は無視していなかったということを考えれば、後から連絡を取れない、もしくはあえて取らない理由ができたと考えるのが妥当だとアルトリーネは感じたのだ。

(それはそれで色んな意味で心配なんだけど……)

 アルトリーネとミルヴァの関係値は、センジュとのものよりもさらに浅く、彼女がどうして四魂の大封印の犠牲になったのか、その理由を詳しく知らない。つまり、魔物との激しい戦いを目の当たりにし、その一端を経験してきたアルトリーネからミルヴァに向けられた信用はそれほど高くないのだ。

 それでも、ミルヴァを野放し状態にしているのには、それなりの理由があった。

 ミルヴァは四魂の大封印を行う際、勇者一行に名を連ね、あちらの世界における魔法の最高峰ともされた人物から土壇場で裏切れないよう「魔力、魔法を使えば死ぬ」という重い枷をはめられているのだ。それは呪いと言っても差し支えはないだろう。そして、それはこの世界に来てからも有効であったことは確認済みなのだ。だから、自分たちから離れて暮していても、問題はないと判断したのであった。

 それに、こちらの世界では魔法という概念は創作や伝説、伝承の域を出ていないことや、実際に大気中に存在する魔素の薄さを考えれば、無暗矢鱈むやみやたらに魔法を使った時、その力の補充が可能なのかという懸念点が出てくる。今朝、アルトリーネが忘れ物を取りに普通じゃない方法――魔力や魔法を使わなかったのは、そういった理由があったのだ。

 それと、ミルヴァは一介いっかいのセイレーンであり、どうやら勇者としての能力を失っていないセンジュひとりでも退治することは簡単だということもある。

(だとしても……最近になってから音信不通、か……うーん……)

 ミルヴァが何かことを起こすメリットは思いつかない。けれど、不安を払拭し切れないのも事実。アルトリーネは両腕を組んで、店内を見渡すように視線を泳がせた。静かに、ひとりで食事をしている人も居れば、食事もそぞろに会話に興じる恋人らしき人たちも居る。家族連れや友人連れだって多い。そこに広がっているのは、平和な光景であることは間違いなかった。そして、今のところ、それが自分たちの世界に由来する物事で乱されていないということは、アルトリーネにとって憂うつな世の中を生きる上で数少ない救いであった。

「……直接、会いに行きましょう」

 これ以上、悩みの種は増やしたくない。そういった想いが、アルトリーネをその決断へと導いた。

「え……この後、そうするつもりだったけど……一緒に行く?」

 センジュが天井から自分へと視線を戻したのを確かめると、アルトリーネは軽く頷いた。

「私も気になるからね。それに今日は早上がりさせられて暇だし……明日も休みだしね」

 週五で働かせてくれと頼んでいる。が、週四十時間以上は時間外労働の賃金を払わなければならないらしく、勤務先にはそれを避けるようなシフトを組まれていた。だから、余裕があれば他の単発のアルバイトなどで稼ぎたいところなのだけれども、スケジュールも都合よく回っていなかった。

 その辺りを察したのか、センジュは納得したように「あぁ」と短く答えると、改めてアルトリーネに問いかけた。

「えーと……じゃあ、お願いできる? アタシが拒否された時の人員として――」

「悲しくなるようなこと言わないでよ。それに私も気になるって言ったでしょ。こっちに来てからの面倒も見てもらってるし……ここ、奢ってもらえるのよね?」

 だから、お礼は要らないと言外に含めつつ、アルトリーネは妙にネガティブなセンジュの言葉を遮った。そして、センジュがそれでも何か言いたそうに口を開くと同時に、テーブルの上に置いていたメニューを再び開き、綺麗に撮影された料理の写真を人差し指で叩いた。

「シーザーサラダも頼んでいい?」

 そんなアルトリーネに対し、センジュは通路の奥の方から近づいてくる店員の姿を捉えながら、上手く形になる前の感謝の気持ちを呑みこんだ。そして、嬉しそうに少しだけ化粧っけのある、睫毛の長い目を細めた。

「なんなら、ガーリックトーストも頼んどく?」

 実家暮らしでアルバイトをしてるから好きに使えるお金は多いと、センジュはアルトリーネの財布の薄さと、彼女がそれに苦労していることを忘れ、ぐんと鼻を高くするのだった。

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