白鷺慕情
@futagogames
白鷺慕情
「犯人はワシじゃよ」
喉からしゃがれた音が出た。とある建物の一室。室内はそれほど広くはないものの周囲は暗く、何が置いてあるのか誰がいるのか判然としない。たった一つだけ設置された照明はワシへと向けられ、齢を経て丸くなった肩の輪郭を明確に床へと投影している。
「博士、もう一度確認させてください」
闇の中から別の声音が響いた。緊張して多少固くなっている所に若さが感じられるものの、鍛えられているのかよく通り最近遠くなってきた自分の耳にも意味が伝わる。ワシはゆっくりと頷き、ぽつりぽつりと話し始めることにした。
「構わんよ、刑事さん。久しぶりの話相手じゃから、年寄りの長話につきあってもらうとしようかの」
事件は数日前に起きた。
「ワシは日課の散歩中、宝石を見つけたんじゃな。それを盗んだんじゃ」
「ちょっと待ってください、散歩中に見つけたんですか?」
「そうじゃが?」
「おかしいですよ」
「なんでじゃ」
「犯行現場、宝石の展示場所はオフィスビルの6階なんですよ?散歩している状態から見えますか」
そう、ワシが歩いていたのはビルに面した歩道。陸橋などもない地面の上なのだ。宝石の展示スペースは窓に面していたとはいえ、宝石そのものが見える角度ではない。商業施設でもなし、勿論宝石の展示会などと喧伝する要素は何もなかった。だが、否定する材料を提示する。
「見えるじゃろそりゃ、ドローン飛ばしとったんじゃから。市販品でも画面付きのやつ多いんじゃぞ?」
「……なるほど、理解しました。ちなみに何故ドローンを?」
「趣味じゃ」
「……」
散歩中にドローン飛ばすなど、趣味以外に答え様がないのではないか。無言になった刑事を絶句ではなく納得と解し、話を続ける。
「老後も不安じゃし、蓄えはあって困るもんでもないからの~。年金も年々減っとるし。知っとるかね?ワシら世代でギリギリ払った分貰えるだけで、若いもんは、」
「博士、切っ掛けについては理解しました。次は方法について教えてください」
「……」
せっかく盛り上がってきた話を遮られてしまった。老人の長話に付き合うのではなかったのか。とはいえ公僕に協力するのは市民の義務であり、仕方なく答えることにする。
「方法と言われてものう、置いてあったから拾ったんじゃが……」
「仰る通り、確かに宝石は置いてはありました。台座の上に。ただ、防犯のためガラスのカバーが被せてありました」
まさかドローンで拾ったとか言いませんよね、と言外に睨まれている気がする。刑事は暗闇の中におり、こちらから視線は見えないのだが。
「ドローンは無理じゃろなぁ、ガラスが持ち上がるようなペイロードのドローンは最早UAV(ゆーえーぶい、無人機)クラスで軍事用機種しかないわい。普通は手に入らんし、入手できた時点で違法じゃ」
「では博士、どのように宝石を拾いましたか?」
「腕で拾ったんじゃよ」
「……博士、展示室内には限られた人間しか入れませんし、入出の記録はありません。また、博士の入室記録はありません」
「せっかちじゃな~、何もワシの腕とは言うとらんじゃろ。マジックアームで拾ったんじゃ。ホレ、覚えとらんか?小さい頃おもちゃであったじゃろ伸び縮みする仕組みの挟むやつ。アレの長い版を作ってな」
そして出来上がったのが、目の前のテーブル上に置いてある。マジックアームのおもちゃのオバケみたいな長さだ。骨組みのみで軽量とはいえ長さによる自重を支えきれず、1m伸ばすごとに1脚の支えが降りるようになっている。急造で固定はボルトを締めただけ、耐久性など皆無。2、3回も動かせばバラバラに自解してしまうような代物だが、一度使えれば十分なのだ。
「……」
「とりあえず入口から届いたし、無事ガラスもどけられたじゃろ?」
「我々の検証ではガラスケースは落ちて粉々になりましたけどね。当時ガラスケースはヒビも無く、室内にいた関係者、顧客いずれも落下音等を聴こえてはおりません」
「下手くそなん……いや。当時はたまたま上手くいったんじゃな、もう一回やれと言われてもワシにも無理じゃ」
「そうですか……」
不服そうな声音が伝わる。そんなこと言われてもワシにはどうしようもない。確実とは言えないが、出来るのだから。
「そうなると、監視カメラの映像と矛盾しますが」
商品が高額となるため、当然監視カメラぐらいは設置してあった。当然刑事さんも映像を確認したのだろう。
「そりゃ改ざんしたからの」
「は?」
「なんでもかんでもネット経由で見られるちゅーのも問題なんじゃぞ。監視カメラは他の時間帯で上書きしておいたぞい。そもそもじゃな、数年前ICTだかIoTだかでスマート家電やらが溢れたがのう、ネットから見られるってことはパスワードなりなんなりの認証を通過してしまえば、」
「ありがとうございます、博士」
「ん、あぁ……構わんよ」
また話を遮られてしまった。セキュリティの話はこれからが盛り上がり、あと1時間は話せるのだが。
「博士。映像は改ざん出来たとしても、関係者、顧客のいずれにも目に入らなかったのはなぜでしょうか?」
「わからん」
「……博士?」
わからんものはわからん。それは刑事さんの方が余程よくわかっているのではないのか。溜息を吐いて自らの考えを開陳する。
「……そういうこともあるじゃろ、ぐらいしか思い至らないんじゃがな。犯行現場は会員制の宝石展示即売会だったんじゃろ?販売者は売るのに必死で、会員も買うか否か頭を悩ませとる。挙句にコロナ禍で間仕切りにブース設置じゃ。注意してはいるじゃろうが、一時も目を離さないなんてことはないんじゃないかの?」
「……確かに。事情を伺った皆さんは自分の取引に必死だったと回答しています。関係者側の警備体制については、不十分であったことは否めませんが」
どうにか納得して貰えたようだ。少し肩の力を抜いた。
「その後、どのように逃亡されたのですか?」
「逃亡?散歩中だったんで歩いて帰ったぞい」
怒らせてしまった気がする。息をゆっくりと口から吐き出し、腹式呼吸を行う風切り音が聴こえていた。アンガーマネジメントの一環なのだろう。
「散歩中ドローンで偶然にも宝石を目にし、マジックアームを展示室外から伸ばしてガラスケースを外し宝石を拾い、関係者と会員は自分の取引に必死で眼につかず、逃走車両を用意せず、ましてや走りもせず悠々と徒歩現場を後にしたと、そう仰るので!?」
「……そうなるじゃろな」
「……わかりました。16時38分」
「じゃあ……!」
刑事さんがわざわざ時刻を読み上げ、調書に記入する。ついに、ついに逮捕してくれるのかと、立ち上がって喜んだ。
「今日はありがとうございました、もう結構です。後日改めてお話しを伺うこともありますが、本日はお引き取り下さい。」
しかし、無常にも期待した言葉は続かなかった。少なくとも犯罪の自白により公務執行を妨げてはいるはずなのだ。だが、何かが足りなかったのだろう。お払い箱となってしまった。単なるボケ老人による狂言という扱いなのか。胃の底から悔しさが込み上げる。無力。寂しさ。それも吐き出すどころか飲み込む前に霧散してしまった。諦め、常に自分の人生の傍にあった感情に全て塗りつぶされてしまう。
「わかった。じじいに付き合ってくれてありがとうの、刑事さん」
警察署から出て、真っ先に電話をかけた。
「もしもし?」
電話口の向こうから、齢を重ねながらも涼やかな女性の声がする。耳にするだけで嬉しい。それが今、ただただ何よりも悲しい。見えるはずが無いのに頭を下げながら、ワシは謝罪の言葉を口にした。
「ワシじゃよ、タカ子ちゃん。ダメじゃった……、すまん」
「いいのよ、博士君。そんな気がしてた。何より、博士君を犯罪者にするわけにはいかないもの」
「じゃが……!」
元アイドル、猛禽類タカ子が経営する会員制ジュエリーショップ。熱狂的なファンだったワシは、引退してからも応援は続けていた。宝石店で経営が芳しくないことを耳にしたワシは、傾いた宝石店の立て直しのため、架空の窃盗事件をでっち上げ損害保険をだまし取ることを提案したのだ。
「さっき刑事さんたちがビルの前に車を停めているのが見えたの。もうすぐここに来るわ」
「タカ子ちゃん……」
「今も、その名前で呼んでくれるのね。博士君」
「……も、勿論じゃ!ワシにとってタカ子ちゃんは永遠のアイドルなんじゃあ!!」
「ありがとう、罪を償ってくるわ。……ちょっと長いツアーに行ってくるけど、待っててくれる?」
タカ子の今にも崩れ落ちそうな口調とは裏腹に、電話口の向こうが騒がしい。扉を乱雑に開け閉めし、慌ただしく革靴の足音が響いている。複数人に囲まれ、容姿と氏名を確認されている様子が伝わってきた。
「骨になっても待っとるぞい」
「フフ、待たね」
宝石店のオーナーは確証など何もない再会を告げ、電話口から離れてしまった。し
ばらく擦過ノイズが続く中、ガチャリと。やけにはっきりと金属音が耳に残る。
「通称、猛禽類タカ子。本名、白鷺ことり。詐欺容疑で逮捕する。17時03分」
無情にも逮捕状の読み上げが電話口から漏れている。もう、自分には何も出来ることはない。それでも、老人は力無くぽつりと呟いた。
「犯人はワシなんじゃよ」
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