暗転(4)

明の七半の刻 (午前七時半)


未だ日の目を拝めぬ薄暗い曇天の中、万華町では街の活気を回そうとガス灯の明かりは仄暗く灯り、交通や飲食に携わる人々が既に忙しなく動いている。それは背広姿の会社員達の狭間で路面電車を待ちながら寒空に耐え忍ぶ探偵達も同じであった。


「あー 寒い寒い寒い寒い・・・・・・ かなかなはなんでそんな平気そうなんだい?」


「慣れただけよ。貴方ももうここに来て二年経つでしょ? この気温で音を上げてたら冬季はもっと厳しいわよ?」


春も中盤に差し掛かった時期だと言うのに、外は吐いた息が色濃く染まりその濃度が視認出来る程冷え切っている。薄手の外套の下で身を縮こませる氷六が万華町で流通されている温度計を外気に晒すと忽ち目盛り ”四” と指す。


「うっそだろ!? もうすぐ夏なのになんで冬の昼下がり並に寒いんだこの街は!?」


思わず零れた氷六の叫びは閑静だった駅構内に瞬く間に響き、路傍で始まったストリートパフォーマンスと同じ注目を集める。苦笑いで場を収める事には成功したが危うく失態を犯しかけた氷六に訓戒代わりの柚の肘の小突きが小さめに入った。


「氷六、外で大きな声を出すなんてはしたないですよ。必要以上に目立って調査に影響が出たらどうするんですか」


「反省してまーす。すみません」


真摯に言い聞かせる柚と軽率さを改めた心の底が見えない氷六、そのやり取りに呆れる佳菜子と麻沫。一波乱を終えた一行にずっと電車の動向を見つめていたセレナから報せが来る。


「あ、もうすぐ電車が来るよ」


程なくして一行の前には暗闇と重苦しい空気を切り拓く出力多めの照明と円柱型のフォルムを特徴に持った三両編成の路面電車が速度を落として到着し待ち侘びた利用者を歓迎する準備を整えた。



乗車した車内は文字通り天国である。

複数台設置された灯油ストーブと天井から吹き出る風が暖かい空気を循環させ乗客達を包み込む。合わせて体全体を預けている翡翠色の座席はゆったりと体に寄り添い、負担無く支えてくれる。内装も駅員が欠かさず手入れを行っている為、外国に張り合おうと急速に打ち出された政策で運行を初めて十二年とは思えぬ清潔感を保ち続けている。

車体の振動だけが体に染み込む無言の空間で最初に口を開くのは麻沫だった。


「白糸。お前は事件当日も楽屋エリアを警備していたんだよな?」


自らが初日に配置した通り、担当場所である楽屋エリアの廊下を巡回して来た佳菜子。当然、事件当日も抜かりなく警備を遂行していたが楽屋エリアに常駐出来なかった事実と悲劇の起きた場所が受け持っていたエリアの楽屋である事を考えると胸を張った態度で返答を編成する事は無理だった。


「当然よ。と言いたい所だけど残念ながらずっといた訳では無いわ」


"ずっといた訳では無い" の一言に小さな謎を抱えた麻沫にセレナが代わって事情を説明する。


「楽屋エリアは毎日九時半以降に係員が掃除しに来るからね。二十分間は別の場所で待機してもらって、私も萩野さんと一緒に手伝っていたから佳菜子さんと良くすれ違ってたんです」


合宿稽古期間中の一日の流れはまず明の八 (午前八時) に朝礼を終えた劇員のチェックアウトを確認し共有スペースと客室を一つずつ清掃。

その後は場所を劇場に移し汚れを排除しつつ客人に危険が及びそうな不備があれば対処する。後はこれの繰り返しだが、作業が複雑になったり水蓮華の手助けに対応すれば多少の時間はずれるが楽屋エリアへの立ち入りを禁じられるのは大体、明の九半 (午前九時半)、それも過ぎれば後は警備に全力を注ぐだけ。

これらは煌木と朱音が同席した初日の打ち合わせで確認した共通認識として探偵達と参加した二人のみに把握されている。


「けど掃除で立ち入れないその間も探索用の香りを調合して廊下に漂わせてあるの。無関係者が入ってくれば刀を通じて知る事が出来るわ」


「事件当日は怪しい人物を察知出来たのですか?」


「あの日は掃除しに来た係員、手伝いのセレナと萩野さんしか確認してないわ」


迷宮の様に入り組んだ複雑な楽屋エリアで確認出来たのは合計五人の人物のみ。薄い香料が読み取った動きでは互いに確認出来る距離で付かず離れず移動し一人一部屋に分担して清掃していたが途中で抜け出し朱音の楽屋に向かった者もいなかった。

オマケに楽屋の扉の異常が発覚したのは明の十の刻、一五いちご地点 (十時十五分) 。仮に別の人間が佳菜子の監視を欺き、現場まで辿り着いても煌木の殺害と現場偽装、被告人の配置。これらを全て行うには余裕があるように見えて段取り良くこなせる熟練者でも切羽詰まる僅かな隙と言える。犯罪に慣れていない小心者ならば尚更足りない時間だろう。

短時間での犯行を成し遂げた方法に検討つかぬ一行にセレナが解決の光になるかもしれない発想を啓示した。


「一度に全部やる必要は無いと思うよ。前日に楽屋に侵入して死体や道具を用意しておくの。そしたら後は見せびらかす当日の仕上げだけ」


当日の仕上げと言うのは恐らく罪を被せる傘橋に返り血を浴びせ、鍵代わりの接着剤を扉に塗る密室化の準備。係員や劇員を巻き込んで冤罪の傘橋に言い逃れ出来ない状況を作るには見せびらかす前に工作した方が効果的と言える。それに労力の低い作業を二つやるだけなら係員が来る前に数十分で済ませられそうだ。

前日の夕方以降であれば手強い探偵達も帰宅しているので比較的自由に行動出来ただろう。(夜を担当した樹倉の対処はまだ分からないが)

しかし前もって煌木を殺したのであれば避けては通れぬ問題が残る。


「前日に殺したとしたら団長の死体はどうやって保存するって言うんだ?」


人が死亡した場合、死後二時間~三十時間で顎から硬直が始まるがそれと同時に人の体内に住む微生物が有機物を分解する事で死臭も発生する。例え真夜中に殺害されたとしても死体が発見された十の刻、一五地点まで十時間以上は経過しているのだから現場にそのまま放置すれば臭いが漏れて誰かに気付かれる可能性もあった。

当然、麻沫から疑問に対する答えをセレナは併せ持っている。医学的根拠と死体の状況から導き出した揺るぎない答えだ。


「簡単な事だよ。死体を冷たい場所に」


後少しで答えの全容が判明しそうな途中に起こった出来事だった。

危うくセレナの舌が誤って噛み切りそうになる振動を内部に響かせ電車の車輪がつんざく音を鳴らして急停止する。


「な、なんだ? 列車が急に止まるなんて」


先頭車両の様子を見ようと立ち上がった瞬間、窓硝子が砕け扉に作為的な歪みが生じる。

二つの空間からなだれ込んで来たのは統率された戦闘服と顔を覆う鉄帽を装備する推測十五人程の兵士。恐らくこれ以上の真実を嗅ぎ回られたくない脅迫犯が送った刺客と思われる。

探偵達以外に用は無いらしく一般の乗客を命を脅かす態度で全員退却させたのを確認すると改めて探偵達に振り向き構える。皆、一行の逃げ道を潰す横隊の陣形で前後を占領しいつでも発砲出来る銃口を向けている。


「武器も防具もこの時代の最新作だ。どうやら本気でこっちを潰すみたいだよ」


「少し厄介な状況だけど良い機会だわ。身体も動かせて私達の実力を犯人に知らしめられるもの。セレナ、後ろに下がってなさい」


戦闘が出来ないセレナを中心に匿い臨戦態勢を取る探偵達。各々身体に染み込ませた眼前の障害を打ち砕く得物の先端で敵を定め火蓋を落とそうとするが麻沫によって止められてしまう。


「・・・・・・ お前ら屈め!!」


大音声の指示に従って場の全員が低い体勢を作り、麻沫の左鞘から滑りいづる黒曜の長刀から離れる。すると背後の出入口から風を切って回転を纏った投擲物が迫る。

虚空を走り殺気の具現化を弾くと勢いの止まらないそれは軽やかに舞い上がり落下の衝撃と共に床に亀裂を刻んだ。

根深く刺さったのは刃と柄の大きさが両極端な手斧。投げやすい様に小型化されてるもののその威力は小さな背丈に見合っていない。それに小型化されても投げるには不向きな重量がのしかかっている手斧を兵士の頭上を越え、的確に探偵達を定めた人間離れの援護射撃が可能なのは厄介な手馴れと断言出来る。


「ほう。勘が鋭い」


手斧が飛んできた奥から靴音を鳴らして現れたのは兵士よりも格別な戦闘服、深紫の外套を装備する小柄な男。

その身なりから兵士達を統括する長である事は見て取れるが例に漏れず男も鉄帽を身に付けている為、素顔を知る事は出来ない。

本人は純粋な気持ちで投擲の防御に成功した麻沫を賞賛しているが弾道、速度から見て小手調べにしか投げていない。

準備運動にも満たない攻撃で褒められるのは下に見られてる様で麻沫にとって気持ちの良い物では無かった。


「憲兵達の上に立っているんだ。あれくらいの攻撃を守れないと模範になんてなれねぇよ」


もし脅迫犯に雇われたのであれば何らかの秘密を知っているかもしれない。

犯人に繋がる情報を伺える貴重な好機を逃すまいと銃口の狙いを脳天に固定させて氷六は本気の声色で探る。


「あんたさ、脅迫犯について何か知ってたりする?」


引き金が引かれれば一瞬で命が絶たれる緊迫の状況。

男は震えて動じる事無く淡々と疑問に返す。


「私達は雇われただけだ。君らの実力を測って欲しいなんて変わった依頼でね。それにこちらも守秘義務を遵守せねばならないから、知っていても教えられない」


「実力を測りたい? だったら好きなだけ調べて雇い主に報告しなさい。貴方程度じゃ私達を止められないって事実をね」


「口先だけの虚栄で無いことを願うとしよう」


男の合図で兵士達が探偵達に襲いかかる。

どの兵士も緻密に鍛え上げられ銃の心得も会得している中々の実力者揃いだが過去に数段強力な犯人達と戦った経験を持つ探偵達の敵では無い。

正確無比な反撃の一振で相手を沈める柚、教本の手本通りの動きで華麗に斬り伏せる佳菜子、長い脚を活かした蹴りと双銃の狙撃で近付かせる間も与えずに無力化させる氷六、そして長年、培った実力で敵を蹴散らしていく麻沫。

殺さぬよう手心は施しているがある程度の力が宿った峰や足背で殴られているので動けは出来ても多少は痛みが残るだろう。

大きく聳え立つ壁の如き実力を追い越せる訳も無く力無く倒れる同胞を眺めながら一人、また一人と兵士達は倒れていくが個別に相手していては電車の遅延が長引く。


「ちまちま相手してたら時間を食っちまう。悪いがこいつで終いにさせてもらう」


一気に決着をつけようと麻沫は再び二刀を握り直す。

右手に装備しているのは先程の手斧を弾いた漆黒の刀、底黒丸ていこくまる、左手には底黒丸の半分にも満たない青白の刀身を持つ小刀、青白刃せいはくじん。これらは彼が憲兵長に就任した際に海神を祀る浜辺の神社から賜った宝剣である。

僅かに長い戦いの中で途切れかけた雲の隙間を縫って陽光が車内を包み込むと正反対の景色が兵士達に顕現した。黒々と輝いていた底黒丸が朝の車内には似つかわしくない黒炎を滾らせていたのだ。

温度、音圧だけで無く牛頭馬頭も裸足で逃げ出す威圧も兼ね備えた地獄の業火は神聖なる加護を浴び、思わず後込む兵士達のどよめきを呑み込んで存在をより一層際立たせる。

敵にとっては恐怖その物を纏った切っ先を鋭く見据え、麻沫は低く唸る。


「とくと拝みな。これが形無き悪霊をも灰塵に帰す漆黒の炎だ」


兵士達の土産代わりに爆ぜ散らした黒炎は熱波と衝撃だけで数多の戦意を焼き尽くす。

一度くらった兵士達は四方に吹き飛び座席や壁に叩き付けられ再び立ち上がり探偵達に向かう者はいなかった

全員の鎮圧を確認し現在、電車に立っているのはリーダー格の男のみ。残り一人の危機に立たされているというのに彼は自慢の精鋭を倒した探偵達を賞賛するように手を叩いている。


「素晴らしい。噂にたがわぬ力の持ち主だ。そちらの憲兵長様も中々の手前・・・・・・ 探偵諸君と憲兵長様、雇い主から伝えなくてはならない事が一つ。この事件の悪化を防ぎたいならば "朱音" ・・・・・・ という名の少女の降板が条件らしい。最悪、殺してでも良いとの事だ。その為なら手段も他の犠牲も問わないと仰られていた」


男の言葉を聞き、ふと楽屋の壁に書かれた血文字を思い出す。

"舞台ノ座二居続ケルナラバ、次ハオ前がコウナル番ダ"

脅迫犯が言う舞台の座とは恐らく朱音が演じるイヨの役、合わせて脅迫犯の望みが生死問わず朱音を舞台から引きずり下ろす事。

他の犠牲、つまり周りの劇員を巻き添えにしてでも朱音に相当な恨みを募らせているのだろうか。


「どうだろう? この話を依頼人に聞かせて彼女を丸め込むだけで、水蓮華は再び対立の無い円滑な軌道に乗れるんだ。悪い話では無いだろう?」


しかし屈強な脅しをかけられても探偵達の答えが変わる事など有り得ない。

依頼人の守護こそ最も遂行せねばならない任務でありこの場にいる意義なのだから。


「伝言人に言っても仕方ありませんが、それは私達にとって仕事を放棄しろと言ってるような物ですよ」


「誠実なる探偵諸君はやはりその決断を取るか。まぁ良いさ。ではに移る準備をしなくてはね」


だと? 貴様らまだ何か企んでるか!?」


言葉に秘めた意味を問いただす麻沫には目もくれず男は倒れた兵士を一声で起こして再び出入口の闇の中へ呑み込まれて行った。

波乱が収まった車内、美術品にも似た刀を鞘に収めて佳菜子はただ一言で急かす。


「早く劇場に行きましょう」



万華中央巌窟収容所

万華町で唯一認められた最大規模の牢獄は海の深奥に閉じ込められた無機質な岩に囲まれ、重苦しい薄暗さに覆われている。

誰かに強制的に連れて来られねば誰も好んで行かないこの建物の取調室ではほんの一欠片の灯りだけを頼りに流れ作業のような尋問が行われていた。


「だから私は犯人じゃないんです!! 団長を殺す理由だって持ってないんですから!!」


目の前の机をバネに激しく起立し無実を立証しようとする傘橋。

しかし劇団仕込みの気迫を持ってしても昨日と相違無さ過ぎて見飽きているのか尋問相手の憲兵は気怠そうに頭を搔く。


「そう主張されてもアンタが怪しいのは間違いないんだよね〜 あれ、持ってきて」


近くに待機していた部下が持ってきたのは傘橋が犯人だと言い切るのに充分な力を持つ写真。それらが机に並べられ表裏がひっくり返ると傘橋の顔が青ざめた。写っていたのは嫌でも忘れられない事件を経て変わり果てた自分の持ち物であったからだ。


「んじゃ、一つずつ説明しとこうかね。まずこれあなたが身に付けてた衣服。これだけで確実な証拠だと我々は思うのよね」


技術が進んでいない白黒写真の為、鮮明な色は分かりにくいが白シャツには濃い影が飛沫を浴びた様に落ちている。

縹電社のセレナに検査してもらい影の正体は血痕である事が判明しており傘橋は些細な怪我も負っていないので血の持ち主は被害者の煌木以外、有り得ない。凶器が振り下ろされた瞬間、被害者の間近にいた傘橋にしかあの形跡を生む事は出来なかったのだ。

合わせて提示された果物包丁の写真にも既に調べがついており血塗れの刃とは反対にある持ち手からは香料の匂いがベッタリと付着していた。

傘橋は昔から自分で調合した自家製のハンドクリームを愛用しており、販売されている既製品には無い独特な香りが傘橋の不信感を更に高めていたのだった。


「被害者の死体が発見された明の十の刻、一五地点。九半になれば清掃が入って楽屋に出入りしずらくなる上、それ以前でも劇場のあちこちに人がいる状態だから下手に動けば怪しまれる。けど演出家として上位の地位を獲得していたあんたなら多少、強引な行動を取っても丸め込めたはず・・・・・・ そうやって楽屋に向かって閉じこもり団長を滅多刺しにしたんじゃないのか? 実際、アンタの犯行直後は水蓮華の関係者や探偵達、麻沫憲兵長もはっきりと目撃しているのだから」


「馬鹿馬鹿しい!! なんであたしがそんな事を」


「動機ならちゃんとありますよ。団長とは随分対立していたらしいじゃないですか。ある子役の演技指導の方針で」


鳩尾を的確に狙った重撃が深く入り込んだ様な事実であった。憲兵の言う通り、傘橋は朱音に対して徹底的に冷たく当たる独裁者を演じ続けていた。煌木が優しく諭してくれたにも関わらず裏切った代償を恐れて素直に受け止めなかった報いが冤罪という形で清算されているのだろうと傘橋の心を濁らせていく。


「ま、四日後の裁判が終わるまでは何着ても良いし自由に過ごせるから落ち着いて待っとくんだね」


憲兵の退室後、平常心を蘇らせる為に取り出したのは一枚の白黒の写真。

今年で四つを迎える愛しい一人息子、たった一人の代え難い肉親、 傘橋 楓真ふうまの満面の笑みが写った宝物であった。


第三話 暗転(4) (終)






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輝く泡沫の中で Ryng @ryng

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