暗転(3)

水蓮華、創設者であり団長を勤めていた煌木が何者かの手によって命を奪われた状態で横たわっていた朱音の楽屋。

入口前には柔軟な規制線と麻沫の要請で事件現場に急行した憲兵達が二人がかりで扉前に立つ二重の防壁が無関係者の侵入を拒否する砦が生成されていた。

静粛な品性が気高く彩っていた紅の一室から悪魔に生贄を捧げる祭壇に一変した楽屋の中心では幾多もの事件を解決に導いた実績を持つ縹電社の探偵達が麻沫の監視の下、現場を調査していた。

煌木の遺体近く

王族の家庭教師から西洋医学を学んでいたセレナがきめ細かい小さな手にゴム製の手袋を着けて刻まれたばかりの刺し傷を丁寧に調べている。


「うん。直接的な死因は背中の一撃で間違いないよ」


"検死" と呼ばれる海外流の死体調査を終えたセレナは屈めた膝を伸ばしながら傍で解剖の知識を書き込む理系出身憲兵、園崎に報告する。

煌木の死因は刺傷からの失血死。

凶器は傷の直径、現場に突入した際、傘橋が握っていた状況を照らし合わせ小さな包丁だと断定するセレナ(一緒に現場に突入した榊に心当たりを尋ねると、宿舎の個室に用意されているもてなしの果物を捌く包丁と判明した)。

だが背面の各所の傷はどれも被害者を確実に刺し殺す鈍化目的の深さではなく最低限、出血させる最近付けられた物だと判別出来た。

一方、致命傷となった背中の刺傷は心臓を貫いておりそこから流出したであろう血液は色褪せて乾いていた。


「では腕や腰の傷は何の為に作ったでありますか?」


既に死んでいる人間に刺突を与える必要性を感じない常識に囚われているならば当然浮かび上がる疑問に、セレナはこう推測する。


「殺害が今起こったと誤認させる為じゃないかな。新しい刺し傷を何箇所も作っとけば致命傷に目が行きにくいし、傘橋さんに返り血を浴びせられて罪をなすりつける事も出来るから」


外からでは侵入出来ない密室の中は被害者と傘橋の二人だけ。加えて凶器と返り血を併せ持っていれば誰もが殺害をしたのかと疑う。

実際、決定的証拠と大勢の証人が揃っていた傘橋は憲兵達に連行され現在憲兵の事務所で軟禁という名の取り調べを受けている。


「なんと!! ではセレナ氏は眼鏡のれでぃが犯人では無いと言うのですか?」


興味深い答えを追求する際、顔を極端に近付ける悪い癖が無意識に発揮された園崎から引き腰になるもセレナは殺害が数刻前では無くもっと早い時間に行われたと明確にする。


「まだそうとは言えないけど、少なくとも前もって殺されたのは確信を持って言えるから」


園崎に不快感を与えぬ様、慎重に下がり物言わぬ煌木の近くまで寄ると再び彼の屍に優しく触れた。


「死体の温度が自然に低くなった冷たさじゃない。きっと直前まで大量の氷の中に沈められていたんだ」



死体とは別に楽屋内を調査する柚達は傘橋の衝撃で見られなかった全潰の内装を改めて注意深く見澄ます。部屋中に横たわる最高級の家具達。必死に生にしがみつく煌木を追い立てた刺傷の壁画。煌木と打ち合わせした在りし日の楽屋から遠く離れた楽屋を眺め探偵達は自身の無力さを噛み締めていた。

まず嫌でも気になるのは鋭く突き刺す刺激と甘ったるさが中和されずに容赦無く鼻を麻痺させる腐臭。

場に立つだけで事件現場に慣れてしまった熟練の仕事人の意欲すらも削ぐ害毒に抗いながらまずは鏡台の方へと足を運ぶ。


「あ〜あ。折角の高級化粧水が割れた硝子瓶から溢れちゃってるよ」


出演者が化粧を纏う重要拠点の床は気体と化すまで多少の猶予が残った果実の香り漂う液体が水溜まりを成し透明な小瓶の破片が鋭利な刃物にも劣らない攻撃性を露呈させ侵入者を脅す様に浮かんでいた。

現場に充満する腐臭の正体は煌木の死体と化粧水の香料が混ざった物だったのだ。

捜査に集中する為、周囲の障害を取り除こうと換気扇に赴くと推定五メートル以上はある天井付近の高さに苦戦する先客がいた。


「ほれ!! もっと気張らんかお主!! 女一人担げんとはそれでも誉れある憲兵かぁ!?」


空気を入れ換えるファンを守護する鉄格子の前方にいたのは麻沫と同じ憲兵の軍服を装う複数の男性と肩車で僅かに足りない身長を補っているつもりに絵に描いたような金髪碧眼の外国女性。

無論、縹電社の探偵達にとっても既知の人物であり常に同行させている同僚や後輩と繰り広げる調査のちぐはぐは前兆なく開催される喜劇と化している。


「ナタリー。お疲れ」


「麻沫さん!! いい所に来たのぅ!!」


麻沫を見かけるなり男性の頭に無気力の微音を鳴らし降下を急かした ”ナタリー・ヴィレッジ” はすらりと長い脚を黒い革靴に履き戻す。爪先から踵が靴の内部に密着し地上に降り立ったナタリーの姿は雑誌の表紙を飾るカリスマモデルとも遜色ない美貌と部下の能力、性格を把握し遊戯の駒同然に操作し場を支配する女王クイーンの気高さを兼ね備えた淑女。三十一という若さで憲兵副長という麻沫の右腕を務め、彼が不在の際は全ての業務を代わりに果たせるまさに仕事が出来る女。

ナタリーは届かない天井近くの切替式装置を指差しながら麻沫に懇願する。


「すまんが麻沫さん換気扇を動かしてくれんかね? 儂らだけでは手詰まりじゃ」


長身を生かせる数少ない機会だと快く引き受けた麻沫。 しかし彼の背丈だけではどう足掻いても届かないので持ち運んだ手頃な椅子に登り装置を反対側に押し込むと年代が積もった錆を振り解きファンが回転を始める。


「お手を煩わせて申し訳ない。本当に助かったよ麻沫さん。自分の腕の短さをこれ以上呪った事は無いぞ」


「背が高い奴が適任の作業だっただけだ。こういう時にしか役に立たないから遠慮無く言えよ」


同じ日に入社し激戦を乗り越えた同僚に礼拝の如き感謝が捧げられる。過剰と言うべき深謝の豪雨を浴びる様子を見ると改めて麻沫 仁が憲兵として真似出来ない信頼と地位を築いているのかが実感出来る。


「ねぇナッちゃん。見たところ換気だけが目的じゃないんでしょ?」


「相変わらずお主は察しがいいのぅ霧ヶ谷。ほれ、こっちに来るんじゃ」


注目するよう促されたのは換気扇を動かす際に利用した装置。ボタンでは無く少しでも掴みやすくする為、ハンドルレバーに加工された取っ手の黒布部分。滑り止めを任されたそれの表面には微弱な一息で発散されそうな激しい摩擦で削れ落ちたとされる木の粉が薄っすらと降り積もっていた。


「楽屋は全室くまなく掃除しているとここの係員から聞いておる。無論、利用者が触れるであろう換気扇の装置にもじゃ」


目に見える汚れを見逃した、なんてヘマを格式高い劇場に選ばれた優秀な係員が残すとは考えられ無い。それに換気扇の装置の真下には狙った様に被害者の煌木が横たわっている。不自然な木屑と位置関係、犯人が残した証拠として事件に関係すると考えるべきだろう。

事件解決に必要なのは疑問を提示しあらゆる知識、仮説を徹底的に敷き詰める不屈の気概。事件の全貌を切り拓く為の始点となる気になる点を挙げたのは氷六であった。


「装置ってさー こんな風に木屑が付着する事あるかな〜?」


「と言うと?」


柚の合いの手を受け取り氷六が続ける。


「もしさ、何らかの木の道具を使って装置を動かしたとするじゃん? この装置はレバーを押したり引いたりする事で稼働を制御している訳だけどこいつは背の低い人でも触れるだけで動かせるよう敢えて建付けを弱めているんだ。だから細い木の棒なんかで当てたりすれば問題無く押せるはずなんだよ」


だが氷六の推論通りに装置を起動したなら摩擦が生じる程の相対運動は起きず崩れた破片は横に付着するはず。そんな氷六の考えを裏切り、現場のレバー上部中心に刻まれたのは手を掴んだ様に縦向きで連なる痕。どうやら方法だけで無く道具についても一から検討し直す必要がありそうだ。

だが再び事件時の構想を練り直す程の証拠が足りない不可解な装置に訝しげに向き合う一行に近付く別の憲兵がいた。


「お取り込み中失礼します。麻沫隊長に報告が御座いまして」


憲兵が取り出したのは採取された白濁の粘体。ゴムに酷似した科学香料をキツく放つそれは扉の設置面を中心に伸ばして多量に塗りたくられたのだとか。


「科学に精通している霧ヶ谷殿なら詳しい効能を知ってるかと思い、知識を拝借しに参ったのですが」


「どれどれ? ・・・・・・ あ、これ私も使ってる奴。金属も簡単に引っ付けられるから重宝してるんだ〜 性能凄すぎて一般ルートじゃ買えないのが難点だけど」


「ほう。では木製の物でも効力を発揮するのかの?」


「もっちろん♪ ま、強力過ぎるから量には注意だけど」


憲兵から報告された量を使えばどんな鍵よりも強力な施錠を施せると氷六は言う。完全に固まってしまえば二度と開かない可能性もあったそうだ。



「クソっ!! あの脳筋赤毛!!」


宿舎一階共用スペースから喉をひしゃげた怒号と机の振動で揺れた牛乳ミルク珈琲コーヒーと氷のグラスが飛び跳ねた音が人目を気にせず鳴らされる。

予約を取り付けた団体の確認、宿泊後の会計を行う受付を越えた先に広がる喫茶店の一部を切り取った様な緑の世界では利用者の気分に合わせて軽い休憩が出来る丸ソファと長時間の着想に最適な座れるテーブル席の二種が用意されており夕の八の刻までにサービス料を含めた二百円と係員に願い出れば好きな飲料を一杯飲む事が出来る。

今日の稽古が強制的に中止になり劇場関係者に紛れた犯人を逃さぬよう帰宅も許されない窮屈で退屈な空虚。暇を持て余した六月は同じ思想を共有する仲間と歓談をしていたのだが開始直後からずっとこの調子だった。


「止めさないよ六月。水蓮華に相応しく無い下品な行為だわ」


輪切りの檸檬を浮かべた暖かい紅茶を啄む様に少量を含ませた女性に忠告されても六月の腹の虫は収まる所を知らない。


「冷静になれるか!! 目障りな傘橋さんを排除する為に団長の命まで弄びやがって!! 絶対に報いを・・・・・・」


握り拳を小刻みに震わせる六月に抹茶のほろ苦さを楽しむ劇員の優男が純粋な好奇心で追求する目で見つめてくる。


「ふとした疑問だけど、なんで六月君は団長を殺したのが三上君だと断定するんだい?」


心の内に密閉された怒りの発散を遮られるのは癪だがいきなり名指しで犯人を決めつけるのは傍から見ればこじつけと捉えられても仕方無い。

六月は苛立ちながらも確信たる根拠をぼそっと呟く。


「・・・・・・ 傘橋さんが消えて一番清々して喜ぶのがあいつだからだ」


水蓮華の名が万華町から海の向こうの国にまで轟いたのは傘橋がいたから。その事実は劇員ならば誰もが知っている功績であり感謝し続けるべき恩でもある。水蓮華に身を置く三上も当然、理解していた。

数ヶ月前までは

朱音が加入する前の赤国での公演以降、表面上の態度は普段と変わらないものの二人が関わる機会はめっきり減り表面だけ取り繕っていた見せかけの関係は拗れて行った。加えて三上は外来人で年端も行かぬ朱音を同じ劇員として認め、暖かく容認している数少ない理解者の一人。朱音に向けられた理不尽な指導に不満が爆発し傘橋を陥れようと事件を起こしたのではないかと六月は推測する。


「理解出来ねぇよ。水蓮華の人間にとって傘橋さんの言葉は神託と同意義だ。口を挟む事すら信じられねぇのに奴は外来のガキ一人の為に無骨に反論しやがる」


「ま、外来人を良く思わない私達と同じ緑国りょくこく民には思えないわよね」


「そもそもあいつは昔から気に食わなかったんだ。ろくな演技も出来ない癖に体格の良さだけで目立つ役をかっさらいやがるし朱音なんて生意気なガキが入ったせいで俺が舞台に立てる可能性が更に狭まりやがった。はぁ〜・・・・・・ あいつさえ退団してくれたらな」


六月は今までも魅せる体を作ろうと様々な策を弄した事がある。が、生まれ持った体質のせいで幾ら研鑽を重ねても力の付く食事を摂っても得られるのは筋肉では無くただの栄養にしかならなかった。全ての努力が気泡と化した現状、彼が役を掴むには主役に穴を開けるしか手段が無い。

それぞれの飲料を飲み進めながらゆっくりと進むやるせない時の中、抹茶を飲み干した団員が抑揚無くなんの躊躇いも無く提案をした。


「だったらこの機会に三上君を叩き落とせば良いんじゃないかな」


一瞬、言ってる意味が分からず眉をひそめていた六月だが意図を理解した劇員が簡易に咀嚼して机から身を乗り出す。


「あんた、それ復讐しろって事?」


「自身の罪を演出家に押し付けのうのうとしている殺人疑惑のある役者彼を狂わせた異国の少女。二人まとめて締め出すには良い機会だと思わないかい?」


目の敵の三上だけで無くついで感覚で朱音も蹴落とす算段。やはりこの場にいる連中は全員、朱音を忌み嫌っているんだと実感した六月であった。


「協力してくれるというのか?」


「勿論だとも六月君。称賛されるべき君の演技を暗幕の下に埋めるのは勿体無いのだから。僕もずうっと前から美しくない振る舞いしかしない朱音さんには反吐が出る程の嫌悪感を抱いていた。共に彼女を貧乏人に相応しいボロ屋敷に送り返そうじゃないか」


「全く・・・・・・ まともな振りしてあんたが一番性格悪いわね」


卑劣な結束を固め終えた時、グラスの中には小さく角の取れた氷と薄まった僅かな牛乳珈琲しか残っていなかった。

これから策を練るというのにグラスが空いたままでは味気無い。

二百円を握りしめた六月は係員に追加の牛乳珈琲を要求した。


暗転(3) (終)

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