ナルシストな鏡

果燈風芽

第1話

 俺はとある駅の女子トイレの鏡だ。小さな駅なのでそれほど訪問者は多くはないのだが、毎日トイレの利用者はいるものでいつも色んな女たちが俺を見つめてくる。当然、美しい女もいれば醜い女も、老いも若きも様々な女と出会う。そしてその女たちの中には時折、俺に話しかけてくる者がいるのだ。何故分かるのかって?壁に耳あり障子に目あり、とあれば鏡にも目と耳があってもおかしくないだろう。

 それはさておき女たちが様々なアプローチをしてくるのは何故だろう。これは美しいものが好きで女にモテる俺がそれに気付くまでのそんな話である。



 ある日の昼日中。

「どっちにしようか悩む…」

 俺の前に立った年端もいかない少女が2種類の髪留めを何度も頭に当てて見比べ、尋ねてくる。先程からずっと俺の前に立って問いかけているのだ。この少女は俺に興味があるのかもしれないが、正直に俺はそれほど彼女に興味はない。だが、少女は真剣に尋ねてくるのだ。髪留めのどちらを選んでもさほど変わらないと思う。若干の煩ささえある。ただ、そう思っても鏡に口は無いので返事をしないだけである。少女はしばらくして返事をもらえないことを悟ったのか、決心して髪を纏め俺の前から離れていった。



 2番目に現れた若い女はちらりと俺を見ただけだった。まもなくスマホの着信が鳴る。

「……うん、分かった、愛してる。今すぐ行く」

 若い女は慌ただしそうに耳に当てたスマホに返事をすると早々に去っていった。女が立ち去った後を見ると、紙袋があった。この角度からちらりと覗ける範囲では中身は綺麗に包装された小さな箱。つまり、さり気無く置かれた俺への贈り物ということか。俺は目と耳はあるが残念ながら触ることは出来ないのでこれを開けることは出来ない。まあどうせ、開けるだけ無駄な大したものではないだろう。しかし直ぐに去っていった上に俺を物で釣ろうとするなんて、この女も若いだけで美しくないな。



 次に来た女も若かった。髪が長く、化粧は濃い。彼女は俺の前で無言で口紅を塗り直し始めた。そして綺麗に塗り直された唇をこちらに向けてくる。化粧を整えて満足そうに微笑む女は俺に気があるのかしばらく目が合っていた。これは俺に対して脈ありサインのアピールということか。沈黙の誘惑に俺は返事が出来なかった。出来なかったのではなくてしなかったのだ。理由はこの女も若いが美しさには欠けている。若いのは良いのだが美しくないのだ。もっと美しくなれば俺は満たされない。

「もうこんな時間だわ」

 何度目かの瞬きの後、腕時計を見てそう呟いた彼女は、足早に去っていった。



 また新たな女が訪れた。少し歳の行った婦人だ。

「あら、これ置き忘れ?」

 そう言って女は紙袋を持って立ち去って行った。一瞬のことだった、止める暇もない。俺の物を奪ってどうしようというのだ。そんな行動をするなんて、若くもないうえにとんだ阿婆擦れめ。これまで俺に話しかけてくる女は俺に好意がある女ばかりだったからまさかそんな行動をするなんて思わなかった。世の中にはそんな態度の女もいるということか。まあそんな酷く醜い女は特にお断りだ。怒りの感情が沸いたが鏡の俺は口が無いので止める言葉や暴言も発せない。止める言葉もないと言った通り、去っていく女を無言で見送るしかなかった。






 それからしばらく誰も来なかった。時折遠くから鳥の鳴き声が聞こえるくらいであとは辺りは静かである。

 時が経ち先程の出来事を忘れ、怒りが治まってくる。一人になった俺は思考を巡らす。

 ………どうして女たちは俺を求めてくるのだろう?

 あの若い女の言っていた『アイシテル』ということなのだろうが俺はそんなものいらない。俺が欲しいのは完璧な美しさだけだ。そして今まで出会った女たちは美しさが足りない。あ、誤解の無いように言っておくが、女子トイレの鏡だから出会えるのが女たちなだけで、俺は男も等しく美しくなければ興味がない。俺が美しいと思うのは俺が認めた美しいものだけだ。何処にいるのだろうか。愛などいらぬからそんな美しいものが早くこの場に現れて欲しい。とはいえ俺は鏡なので動けず、出来ることは新たな訪問者を待つのみである。




 更に時間が経ち、それからしばらく後に現れたのは女子高校生の二人組だった。

「ここの水冷たい、寒い、しぬ」

「はいはい、そしたらコンビニで温かいもの買って行こ」

 にこにこと喋り合う二人の息は白かった。見ると厚い上着を羽織り、マフラーをしている。そうか、今は冬なのか。寒さを感じない俺は今の今まで気が付かなかった。とても仲が良さような二人で、寒そうに白い息を吐き、なにやら二人の間で目配せをしている。ちらりとこちらを見る仕草は俺を値踏みしているということか。俺には彼女らの真意が分からない。二人で見つめ合って微笑んでいたが結局この二人は俺の前から去っていった。それにしても俺を冷たいだなんて、嘲笑っただけか。とんだ迷惑だ、そんなことを言える立場なのか。俺は悪くない。この二人が勝手に失望して立ち去るのが悪いのだ。若さがあったので少しは期待したがこの女たちも全く美しくなかった!!!





 夕暮れになり外の薄暗さに反応して、自動でトイレ内の電灯がつくと俺の周りは明るくなった。散々な目に遭って一人になった俺の心も少しばかり明るくなる。そんな頃に初老の女がやって来た。見ると歳を取っているからか手は荒れ放題、至る所に皺が多い。魔女のようなその姿を見てやはり先程のように若い方がまだ美しかったのだなと俺は思った。この初老の女は、日に一度決まったこの時間にやってきてはトイレの中で何かをしている。バケツとブラシを持った女はトイレ内に入っていきしばらくガサガサと音がしていた。掃除というやつらしい。それが止むと今度は俺に向かって歩いてきた。嫌な予感がした。手には薄汚れた布と液体が入ったスプレーを持っている。スプレーが俺に向けられた。やめろ、なにをする。そんな声は届かず俺にスプレーの中の液がかけられた。それから薄汚れた布でゴシゴシと擦られる。そんな汚い布で俺を拭くな。言葉にして藻掻きたくても鏡にはそんなことは出来ない。逃げることも叶わない。しばらく擦られていたが、泡立った液体が拭い去られた後ふいに視界が鮮明になった。あ、女の顔が良く見える。よくもこんなことをしやがって。ああ、やはり皺が多くて美しくない女だ。胸元の名札を見ると『清掃員:森英子(もりえいこ)』と書かれていた。

「いやぁ、こんなもんかい」

 笑顔になった老婆は最後にコトリと俺の前に小さな花瓶を置いた。その笑顔が眩しかった。俺にこんな扱いをしておいて最後に花のプレゼントか。そんなことをしても圧倒的に不快感の方が勝っている。笑顔の老婆も美しくない。










 しかし、なんだか美しい花だな。あれ、なにか思い出せそうだ。

 水仙の花………そうか、思い出した。これは俺なのか。

 気付いた瞬間にこれまでの出来事の意味を一気に理解する。

 女たちの発した言葉の最後がこだましている。

 最後の一音……、エコー………、そうか、順に追っていくとそういう意味なのか。


 俺はどれだけ女たちのことを見ていなかっただろう。だが、あの女たちも俺を見ている訳ではなかったのだ。いや、見ていたのかもしれない。俺はこんなに美しいのだから。もう立ち去られた今となっては分からないのだが。

 水仙の花を見つめる。この世で一番美しいのはこの俺だったのかと気付いてしまった。ああ、俺が愛おしい。俺はただただひたすら水仙を見つめる。

 鏡の俺はそんな世界の真実に気が付いたが、愛の言葉を紡ぐことも出来ない。手を伸ばすことも叶わない。俺に出来ることはただただ水仙を見つめることだけ。

 これが恋なのか?

 どうして、届かない。どうして、俺は俺に触れられない。











 水仙の花言葉【報われぬ恋】



 鏡は、割れた。 





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